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「なぜ私たちは生きるのか」
こんな事を呟くと、
やれ
「暇だからでしょ」
「夢中になれるものがないからでしょ」
と言われがちだ。
確定申告やらで忙しい昨今も、
そんな思いが浮かぶ時なんてしょっちゅう。
忙しくても、
ぽっかり予定が空いても変わらないのだ。
色々と便利になった今だが、その分苦しむこともその種類も増えていった気がする。
もうデジタルは十分だよ
「LINEはただの線」
ガゼットのれいたは生前ラジオでこう話していた。そんな事をその度に思い出す。
読書量も多い彼。
言葉の深みもラジオに表れていた気がした。
「顔を合わせて話し合おう」
そんな人たちは減っていった気がする。
こうしてブログをデジタルで綴りながら言うのもなんだが、
適切な距離感が年々薄くなっていると。
逆に距離感が近すぎてしまう「距離バグ」も起こりがちである。
そして、老若男女問わず会話から逃げる人間が増えた。
それに遭遇する度に心底情けなく思う。
そんな現代。
暇だろうが忙しかろうが「生きること」に疑問をたびたび抱いてしまう。
空っぽの気持ちのまま。
仕事以外は娯楽で時間を潰している。
落ち着かないので2拠点生活も続けたままだ。
人間の心はデジタルで繋がるものではない。
半ば人の心で遊ぶ人も増えた気がした。
そんな中人生を歩むのは沢山な気がした。
もういいよ、もう沢山だよ。
そんな声が心の中から頻繁に聞こえてくる。
仲間と話すのは楽しい。
ただそれだけになるね。
そんな事を書き連ねていた直後、
地震が来たわ。
いいよ。時代は変わりなさい。
そんなniiaの最近。
追伸:
自宅の近くに、今は空にいるバンドマンが住んでいた時があったそうだ。
彼の関係者(一般人)も若くして持病で亡くなっており、生き証人が居ないとのこと。
数軒先かつ日頃よく通るため、皆が通り過ぎるのを待ち、人目のない少しの間、そっと手を合わせた。
そんなある日の夕刻のできごとだった。
2人とも居ないのか。
なんかやりきれないな。
でも曲は聴き続けるからね。
貴方達の分まで生きるかはわかりません。
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