なぜ、川を下るか。
それを言葉にする努力をこのところ、続けている。
17年前、長良川を全て泳ぎ下ること、その理由を説明することは容易かった。
有り体にいえば、ニュースになること。
今にして思えば、大それた試みであった訳だが、あの時点で、自らの肉体を張って長良川河口堰の建設を世に知らしめることは、たぶん、大義として自分自身にも受け入れやすかったことだし、説明も容易だった。
それを、また、なぜ今年繰り返すのか、ということなのだ。
運用から10年。という年だから、アユの記録的な不漁という異変?が世の関心を集めているからなのか、
たぶん、そんな理由はボク自身にとっては、許容することは出来ないと思う。
なんか、妙な言い回しになったが、ボク自身、今回の下りには、あまり明確な目的を設定できない、設定したくないという思いが強くある。
きっかけは、あのときの資料を読み返したことだ。
長良川河口堰に勝手に反対するの記 1988
34歳にしては、青臭いというべきか、あのころの熱情は、チロチロと、初老と言った方がいい現在のボクの中に、火を灯してしまった。
そして、その時やり残したことも、思い出していた。
本当は、ゆっくと、川を見ながら下りたかった。そんな思いがあったのだ。
光の差し込む、いい瀬があったなら、黄班のくっきりした、きりりとしたオオアユが見えたなら、しばしそこで寝っ転がって、その姿を見ていたい。時間に追われ、ひたすら川を下ったあの時、そんなことを考えていた。
しかし、バカというか、貧乏性というか、
アレもやろう、これも見なくてはと、まだぞろ、のんびりと下る状態ではない状況を、自ら作り出しているようなのだが。
17年前、ボク達はホントに何も持っていなかった。長良川の状態も流量も知らず、堰など構造物についても知らなかった。知り合いさえもほとんどなく、持ち物といえばも途中で買ったタイヤのチューブと防水バック(ほとんど用をなさなかったが)だけだった。
旅の記録 全長良川流下行記
今度の川下りは、また違っている。
何を持って下るか、川を下る行為には、荷物を選別するという作業が伴う。
計画をつくり、荷物を選んでいて、いつのまにか、身に纏うことになった、様々なものと、向き合っている。
そして、ひとつ、はっきりとしてきたことがあった。
この流下行は、今の自分の得たもの、失ったものを確認するという旅なのだということだ。
計画は変更されるかも知れない。もっとシンプルなカタチとなると思う。途中の立ち寄り先も、変わるかも知れない。
ただ、時間は定めないが、ゴール地点は決めることにした。
7月27日、長良川河口堰着
それが、ボクの17年前の旅の出発点であったと思うからだ。
ニイムラ
それを言葉にする努力をこのところ、続けている。
17年前、長良川を全て泳ぎ下ること、その理由を説明することは容易かった。
有り体にいえば、ニュースになること。
今にして思えば、大それた試みであった訳だが、あの時点で、自らの肉体を張って長良川河口堰の建設を世に知らしめることは、たぶん、大義として自分自身にも受け入れやすかったことだし、説明も容易だった。
それを、また、なぜ今年繰り返すのか、ということなのだ。
運用から10年。という年だから、アユの記録的な不漁という異変?が世の関心を集めているからなのか、
たぶん、そんな理由はボク自身にとっては、許容することは出来ないと思う。
なんか、妙な言い回しになったが、ボク自身、今回の下りには、あまり明確な目的を設定できない、設定したくないという思いが強くある。
きっかけは、あのときの資料を読み返したことだ。
長良川河口堰に勝手に反対するの記 1988
34歳にしては、青臭いというべきか、あのころの熱情は、チロチロと、初老と言った方がいい現在のボクの中に、火を灯してしまった。
そして、その時やり残したことも、思い出していた。
本当は、ゆっくと、川を見ながら下りたかった。そんな思いがあったのだ。
光の差し込む、いい瀬があったなら、黄班のくっきりした、きりりとしたオオアユが見えたなら、しばしそこで寝っ転がって、その姿を見ていたい。時間に追われ、ひたすら川を下ったあの時、そんなことを考えていた。
しかし、バカというか、貧乏性というか、
アレもやろう、これも見なくてはと、まだぞろ、のんびりと下る状態ではない状況を、自ら作り出しているようなのだが。
17年前、ボク達はホントに何も持っていなかった。長良川の状態も流量も知らず、堰など構造物についても知らなかった。知り合いさえもほとんどなく、持ち物といえばも途中で買ったタイヤのチューブと防水バック(ほとんど用をなさなかったが)だけだった。
旅の記録 全長良川流下行記
今度の川下りは、また違っている。
何を持って下るか、川を下る行為には、荷物を選別するという作業が伴う。
計画をつくり、荷物を選んでいて、いつのまにか、身に纏うことになった、様々なものと、向き合っている。
そして、ひとつ、はっきりとしてきたことがあった。
この流下行は、今の自分の得たもの、失ったものを確認するという旅なのだということだ。
計画は変更されるかも知れない。もっとシンプルなカタチとなると思う。途中の立ち寄り先も、変わるかも知れない。
ただ、時間は定めないが、ゴール地点は決めることにした。
7月27日、長良川河口堰着
それが、ボクの17年前の旅の出発点であったと思うからだ。
ニイムラ
動機を重視するのは警察、検察、マスメディア。アレコレ説明に苦慮するとはないのです。ニイムラさんは、数日水になり、川になり、魚になる。夜は人間に戻ってサケのむ。
そして、いつの日か龍神さまになって空高くかけあがる。
又、飲めそうですね。長くて短くて長い長良川の
何処かで。
自宅には車がなくなったので、その時飲みに来てくれると、うれしい。
27日は予定を満潮までとしたので、午後4時に長良川河口堰着とします。
終わってから、みんなでのもうよ。