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故郷の川にダムが出来ていた。浜名湖でアサリ漁をする旧友に同行して、変容してしまった浜名湖を目の当たりにした。そして、「かくも長き不在」をおもったのだ。
日本中で年々アサリの漁獲量は減少している。今年の春、観光潮干狩りが中止となった浜名湖のアサリ漁に同行した。
浜名漁協気賀支所(浜松市北区)の藤原繁美さんは62歳。私の中学高校時代の同級生だ。卒業後も地元に残り45年間、浜名湖でアサリ漁をしている。午前四時三十分、浜名湖の北岸の船着場をでて、浜名湖南部の漁場へ向かった。
アサリ漁は静かだが過酷な漁だった。舟の両側に鉄を芯にした棒を刺して舟を固定する。鋤簾(じょれん)という先に歯のある籠を湖底に沈め、アサリを掻き出してとるのだ。資源保護のため機械は使わない。水深3mの場所に柄の長さ6.5mの鋤簾を沈め、全身の力を使って湖底を掻く。漁の合間に話を聞こうと思っていた。しかし、休みをとることもなく、彼は鋤簾を投げ入れ、腕、腰、両の脚、全身の力で引き寄せる。瞬く間に汗がしたたる。
あげた鋤簾の中には死んだ貝が半分、生きたアサリは両手ですくえるほど。漁獲制限いっぱいの66キロのアサリを採るのに彼は四時間余り漁を続けた。
「40年前の一割だな」。40年前には一時間で100キロの漁獲があり、漁獲制限も無かったという。
「ダムができ塩分が濃くなった。」
ダムとは都田川ダムのこと、浜名湖に注ぐ最大の川にできたダムだ。1984年から水を溜め、渇水期の流量が約0.5トン毎秒という都田川から灌漑、水道水用に最大2.2トン毎秒の取水が可能となっていた。
「底モノはみんないなくなった。クルマエビ、アサリも昔はどこでも採れたが…」今は限られた場所のアサリだけが漁獲の全てだ。
漁業補償は、ダム反対運動は無かったのか。我ながら陳腐なことを尋ねたと思った。彼の温厚な瞳の奥が、めらりと燃えた。
「ダムの川を知らないのか、いままで何を見てきたのだ」その目はそう語っていた。
(魚類生態写真家)
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