1987年。長良川河口堰が建設が始まる前の年のことだ。環境コンサルタントとしての初めての仕事として長良川の生物レポートを作製した。KSTという60年代の報告書を評価し、新たな調査を提案し、実施計画まで作成したが、翌年調査計画は破棄され、河口堰の建設が始まった。私と長良川との出会いでもあった。
川をいつも見ていたというわけではない。私は20代の後半まではもっぱら海辺にいた。
1987年春の事、知人からある依頼があった。60年代初頭に行われた長良川の生物調査。調査の主要メンバー、愛媛大学の伊藤猛夫教授より報告書を借用し、その内容を整理するというものだ。私は伊藤教授の研究室で、生態学を学んだ。
伊藤先生からお借りした資料の名は「木曽三川河口資源調査報告」KSTと略す。先生はこんな事を言われた「長良川にはおもしろいものがいる。もっと調べたかったが、調査は3年で終わった」五年間で発行された報告書は本編だけでも6100ページ。
もっと、長良川のことを知りたい。KSTだけでは河口堰による影響の全容はわからない、長期間の現地調査が必要では。そのような内容で、報告書をまとめたが、翌年、長良川河口堰建設は開始された。私が長良川に暮らすきっかけだった
先生がお亡くなりになり、私は残された資料の整理をすることになった。吉野川など、四国の川の資料は徳島大学で保管することに、長良川の資料は、私が預かることになった。
長良川にいるおもしろいものとはなにか。残された資料は、アユについてが全て、謎は解けなった。ところが一年ほどして、先生が最後まで手元に置いていたという資料を入手する。
その大量の資料の中に「吉野川マス」と書かれたネガフィルムが入っていた。パソコンに取り込むとそこには、特徴的な模様のある大型のマスの姿があった。ダムができる前の吉野川で、先生はその大マスを見ていた。そして、調査に訪れた長良川に「カワマス」と呼ばれる大型のマスがいることを知り、その由来を調べようとされていた。
岐阜県水試の研究者によってアマゴが海に下り、大型のマスとなると解明され、サツキマスと名づけられる前のことだった。
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