1991年9月。台風19号が奄美大島を襲ったとき。奄美大島 役勝川にいた。
奄美大島瀬戸内町で1時間当たり98mm(たしか?)の大雨をもたらした台風19号で、役勝川沿いの集落は冠水した。
ボクはリュウキュウアユを撮影しに住用村 新村に泊まっていたのだが、とにかくスゴイ雨だった。川を見に行こうと思ったが、雨具では間に合わない。ウエットスーツに着替え、水中マスクをかぶり、シュノーケルをくわえ、水中カメラを持って川まで歩いた。
風も凄くて、その後、役場の風速計が40m以上で壊れたと聞いた。真っ直ぐに歩けない。陸上でシュノーケルをくわえたのも、風雨が強くて、口では呼吸が出来なかったからだ。
役勝川に行くと、川をまたいだ仮設橋に流木が引っかかり、上流に水が溜まりだしていた。水中カメラで撮影したが、あまりに雨が強くてよく見えない。もう少し橋の近くにと思ったのだが、橋の上の溜まりから水があふれ出していた。
これは、危ないかも、と集落に引き返しかけたとき、橋が流れ出した。
慌てて、走って逃げる。水が追いかけてきた。無事、旅館まで帰り着いたが、旅館の前の道路はたちまち川になった。
止めてあった、お向かいの軽自動車が流されだした。平屋建ての家では、みんなが大雨の中、屋根の上に避難を始めた。
ボクの泊まっていた旅館は山側にあり、少し高いところにあった。しばらく水がつくことがなかったのだが、向かいの家に脚の悪いおばあさんがいた。とても屋根の上には登れない。水かさは増してくる。もとより若者などいない集落だが、男どももみんな屋根の上だ。
ボクはウエットスーツを着たままで、ある意味完全防水だった。
向かいの家にいた男性にロープを投げて、窓枠に縛って貰った。そして、無謀にも、ロープを頼りに濁流を渡って、おばあさんの救助に向かった。
結果として、難儀をしながらもおばあさんもボクも無事旅館に帰り着いた
その後、役勝川は河川改修が本格化する。リュウキュウアユにとって厳しい時代が始まるのだが、アユの保護についてボクが要望をするとき、「アユと人命とどちらが大切か」といういう反論が、でることはなかった。
ニイムラ
4日奄美、沖縄本島接近 非常に強い台風14号 (共同通信) - goo ニュース
奄美大島瀬戸内町で1時間当たり98mm(たしか?)の大雨をもたらした台風19号で、役勝川沿いの集落は冠水した。
ボクはリュウキュウアユを撮影しに住用村 新村に泊まっていたのだが、とにかくスゴイ雨だった。川を見に行こうと思ったが、雨具では間に合わない。ウエットスーツに着替え、水中マスクをかぶり、シュノーケルをくわえ、水中カメラを持って川まで歩いた。
風も凄くて、その後、役場の風速計が40m以上で壊れたと聞いた。真っ直ぐに歩けない。陸上でシュノーケルをくわえたのも、風雨が強くて、口では呼吸が出来なかったからだ。
役勝川に行くと、川をまたいだ仮設橋に流木が引っかかり、上流に水が溜まりだしていた。水中カメラで撮影したが、あまりに雨が強くてよく見えない。もう少し橋の近くにと思ったのだが、橋の上の溜まりから水があふれ出していた。
これは、危ないかも、と集落に引き返しかけたとき、橋が流れ出した。
慌てて、走って逃げる。水が追いかけてきた。無事、旅館まで帰り着いたが、旅館の前の道路はたちまち川になった。
止めてあった、お向かいの軽自動車が流されだした。平屋建ての家では、みんなが大雨の中、屋根の上に避難を始めた。
ボクの泊まっていた旅館は山側にあり、少し高いところにあった。しばらく水がつくことがなかったのだが、向かいの家に脚の悪いおばあさんがいた。とても屋根の上には登れない。水かさは増してくる。もとより若者などいない集落だが、男どももみんな屋根の上だ。
ボクはウエットスーツを着たままで、ある意味完全防水だった。
向かいの家にいた男性にロープを投げて、窓枠に縛って貰った。そして、無謀にも、ロープを頼りに濁流を渡って、おばあさんの救助に向かった。
結果として、難儀をしながらもおばあさんもボクも無事旅館に帰り着いた
その後、役勝川は河川改修が本格化する。リュウキュウアユにとって厳しい時代が始まるのだが、アユの保護についてボクが要望をするとき、「アユと人命とどちらが大切か」といういう反論が、でることはなかった。
ニイムラ
4日奄美、沖縄本島接近 非常に強い台風14号 (共同通信) - goo ニュース
奄美の東側を通過すると、南西から風が吹いて、嘉徳にはもろにうねりが入りそうですね。
今度の台風よりによって、大潮の期間にに台風が来るなんて、ついていない。
月曜は7時と19時に満潮です。高潮にはご注意下さい。masaさんへ。