リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

役勝川豪雨、20年前のこと

2010-10-21 16:02:45 | リュウキュウアユ研究会/奄美大島
奄美豪雨は記録的、全国でも30年間で2度だけ(読売新聞) - goo ニュース

ボクが遭遇した奄美大島での20年前の豪雨災害の時、住用村にはまだアメダスが無くて瀬戸内町の記録が残っている。
時間96mmというのがその値で、当時でも日本最大クラスだったと思う。
その豪雨の時、ボクは川とレンタカーが心配で、川を見に行った。

記事にあるように、傘など役に立たないしカッパでもたいへんだ。そこで、ボクウエットスーツを着て、フードをかぶって外に出た。
ところが、呼吸ができない。雨が凄まじいのだ。仕方ないから、水中マスクをはめ、シュノーケルを加えて川に向かった。

フードとマスクをしたものの、口の周りは露出している。その露出した口の辺りが雨が当たって痛いので手で口の周りを覆っていたというくらい、100mm超の豪雨はすごかった。

地元の人に教わった、集落で一番高い お墓の近くに置いたレンタカーは無事だった。やれやれと役勝川の方を見たら。国道58号線の付け替え工事の仮設橋に流木がかかって、その箇所がダムとなっていた。
そのダムは今にも切れそうで、凄まじい濁流がうねっていたので、大急ぎで宿に向かっていると、まさに、その流木ダムが切れた。
濁流が押し寄せてきて、たちまちボクの腰くらいの高さになっった。

元から濡れるつもりでいたので、流れに沿って歩き下ってともかく、無事でミドリ旅館に着いたが、腰から下は赤土で染まっていた(当時 ボクはウルトラマンに習って銀色のウエットスーツを着ていた)。

辺りをみると、旅館の廻りに停車した軽自動車が流れていく、新村の集落は平屋建てが多かったのでほとんどの住民は屋根の上に避難していた。
宿の向かいに、足の悪いお婆さんが一人で住んでいた。 はっと見ると、玄関で柱につかまっている。これは大変と救助に向かった。

宿の納屋からロープを持ってきた。道はすでに川なので対岸に渡そうとしたが、ロープを受け止める人間がいない。みんな屋根の上から勝手なことを叫んでいる。仕方がないので、宿の宿泊客にロープを持ってもらい、宿の門とボクの腰にロープを縛って 対岸(道の向こう)に向かった。
軽自動車が流れる位の水量だ、一人では何とかわたることができた。問題は帰りだった。
がたがた震える、ちいさなばあさんを背中に背負って、流されるように、対岸の宿に帰り着いた。


その後、この豪雨を元に役勝川の河川改修は進行する。
ボクは再三、リュウキュウアユの保護の為に河川工事の工期とか工法について県事務所に要望することになる。
土建の島 奄美大島では、産業とは土木工事であり、河川工事は善であった。
工事と自然保護、その過程でよく「人間」か「自然」か という構図を描きたい勢力がいるものだ。この一件については現地でよく知られていたので「よそ者はあの水害を知らない」というような「正論」をボクに直接言う人間はいなかったな。


☆テキスト版

奄美豪雨は記録的、全国でも30年間で2度だけ

読売新聞2010年10月21日(木)13:07

強力な台風が秋雨前線を刺激し、記録的な豪雨をもたらした。

気象庁によると、20日午後6時以降、奄美大島付近に前線が停滞。南側の太平洋高気圧や南シナ海を北上中の台風13号から暖かく湿った空気が流れ込み、南西諸島で雨雲を発達させた。

静岡大・防災総合センターの牛山素行准教授(災害情報学)によると、奄美市住用町の雨量計では20日午後、2時間雨量が260ミリを超えた。全国 の地域気象観測システム(アメダス)の記録でも過去30年間で2度しかないという。気象庁は、1時間雨量が50ミリを超えた時点で「傘はまったく役にたた ず、滝のように降る」と説明。80ミリ以上では、「息苦しくなるような圧迫感があり、恐怖を感じる」としている。牛山准教授は、「住用町などでは、視界が まったくない状況だっただろう」と推測している。

奄美大島は島のほとんどが山地で、小さな河川が多い。鹿児島大の下川悦郎教授(砂防工学)は「山から一気に下流に押し寄せ、小さな川で収容しきれなくなった大量の水が平地で急にあふれた。避難が間に合わずに孤立した住民も多かったのでは」とみている。

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