Oさんの用事があったので、作業は午後2時くらいに終わった。
地元の方の加勢もあって、嘉徳川の河口の流量は増加して、流れる砂の量も増え河床は順調に下がっていった。さすがに地元の方は慣れている。
「これだけ流れれば、後は川が自分で掘るよぉ」と言って、お疲れ様となった。
名瀬の満潮から逆算して、嘉徳湾の満潮はおよそ5時間後。満潮となって砂が逆流して河口がふさがらないか。ボクは内心は不安だった。帰りがけに東に流れていた旧河道のところに行くと、その河道をふさぐ目的で置いていた土嚢袋が砂に潜りこんで用をなさないでいた。嘉徳川の水量自身が増加しているようだ。旧河道の流量が増えて、河道が元に戻ってしまうかもしれない。
翌日。12日に、ボクは一人で嘉徳川に出かけた。旧河道に設置した土嚢袋を回収することが目的だった。旧河道に向かうと、土嚢袋が干上がっている。水位が低下していたのだ。河道は完全に新たに開削した方向に流れていた。
心配した満潮による逆流が河口を閉鎖することはなかった。汀の位置をみると潮はラグーン内部まで達していたが、その潮が引いていくときに河口の砂を運び去っていた。
水位も、下がり始めていた。
ボクが12日嘉徳湾に行った時間から逆算して満潮時から3時間くらい。およそ10cmほどは水位が低下していた。もう大丈夫だろう。
瀬戸町の役場の方が重機を持ってきて河口閉塞を開削する必要はないかなあ。その旨、地元のYさん宅に伝えにいった。
Yさんは留守で奥さんがいらしたのだが、すでに手配済みなのと、またすぐに砂が溜まってしまうから、作業はした方がいいという意向だった。
結局、よく13日の午後に、瀬戸内町の役場の方が重機を使って河口閉塞を開削したらしい(ボクは午後の便で移動していて確認はしていない)。
今後の事もある。リュウキュウアユの産卵期に河口閉塞によるラグーンが出来ている場合。その対策方法について、すこし、課題の残った結末ではあったのだ。
地元の方の加勢もあって、嘉徳川の河口の流量は増加して、流れる砂の量も増え河床は順調に下がっていった。さすがに地元の方は慣れている。
「これだけ流れれば、後は川が自分で掘るよぉ」と言って、お疲れ様となった。
名瀬の満潮から逆算して、嘉徳湾の満潮はおよそ5時間後。満潮となって砂が逆流して河口がふさがらないか。ボクは内心は不安だった。帰りがけに東に流れていた旧河道のところに行くと、その河道をふさぐ目的で置いていた土嚢袋が砂に潜りこんで用をなさないでいた。嘉徳川の水量自身が増加しているようだ。旧河道の流量が増えて、河道が元に戻ってしまうかもしれない。
翌日。12日に、ボクは一人で嘉徳川に出かけた。旧河道に設置した土嚢袋を回収することが目的だった。旧河道に向かうと、土嚢袋が干上がっている。水位が低下していたのだ。河道は完全に新たに開削した方向に流れていた。
心配した満潮による逆流が河口を閉鎖することはなかった。汀の位置をみると潮はラグーン内部まで達していたが、その潮が引いていくときに河口の砂を運び去っていた。
水位も、下がり始めていた。
ボクが12日嘉徳湾に行った時間から逆算して満潮時から3時間くらい。およそ10cmほどは水位が低下していた。もう大丈夫だろう。
瀬戸町の役場の方が重機を持ってきて河口閉塞を開削する必要はないかなあ。その旨、地元のYさん宅に伝えにいった。
Yさんは留守で奥さんがいらしたのだが、すでに手配済みなのと、またすぐに砂が溜まってしまうから、作業はした方がいいという意向だった。
結局、よく13日の午後に、瀬戸内町の役場の方が重機を使って河口閉塞を開削したらしい(ボクは午後の便で移動していて確認はしていない)。
今後の事もある。リュウキュウアユの産卵期に河口閉塞によるラグーンが出来ている場合。その対策方法について、すこし、課題の残った結末ではあったのだ。
嘉徳川も風台風の時にはなっているな。