現在、もっとも絶滅に近い状況にある淡水魚アユモドキ。
モンスーンアジアの申し子ともいえるアユモドキは梅雨の初めに川から水路へそして、産卵する。その最初の個体を採集してオランダに持ち帰ったのは、シーボルトだ。1826年5月31日。今の湖南市でのことだったという、説を展開します。
アユモドキ採集の日を記念日に!
撮影 2016年3月28日。石部宿の外れで!
アユモドキ記念日
東海道を西に向かう一行は、雨の中遅くなって五一番目の石部宿(滋賀県湖南市)に到着した。1826年5月30日(西暦)のことだった。オランダ商館の医師として出島(長崎)に滞在したシーボルトが長崎から江戸往復の旅を記録した「江戸参府紀行」によると、26日豊橋を過ぎたあたりから豪雨となった。28日に天気は回復し、宮(名古屋市)から桑名への海路、七里の渡しでは、晴天に恵まれ多度山の眺望を楽しんだという。しかし、四日市、関宿(三重県)を過ぎ、鈴鹿峠を越える頃には激しい雨となった。梅雨の始まる時期である。
シーボルトが集め、世界に紹介した日本の生き物は数多い。「日本動物誌」の中で魚類だけでも100種余りが新種として記録されている。その中で生息地の開発が進み、もっとも危機に瀕している魚類はアユモドキだろう。名前から、その姿を想像するのは難しいが、ドジョウの仲間で、現在は桂川(京都府)と岡山の二河川にのみ生息が確認されている。
シーボルトが持ち帰ったアユモドキは、どの川の産であったか。当時は現在より広い範囲に分布した可能性があるのだが、一行は瀬戸内海を舟で渡ったことから岡山周辺で採取した可能性は低い。桂川と同じ淀川水系の琵琶湖には50年ほど前まではアユモドキがいた。東海道は石部宿から草津宿までの区間、琵琶湖に注ぐ野洲川の近くを通る。
石部宿を訪ねた。旧街道を西に向かう。宿場の外れで街道は野洲川へと続く水路と交差していた。
アユモドキの仲間は東南アジアにその種類が多い。乾季には大きな川、湖などにすんでいるが雨期になると、水路を遡り、水際の水没した草などに産卵する。
シーボルトが石部宿を立った31日早朝。雨で水かさは増していたことだろう。水路を上る魚を捕らえた村人の獲物の中に、彼はアユモドキを見つけたのではなかったか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます