リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

岐阜新聞 鮎の12ヶ月 連載2007年 1月

2008-01-01 17:20:34 | アユの12ヶ月 川面からの記録
 琉球列島にはアユがいて、真冬に産卵している。

 そのことを聞いたのは、そのアユをリュウキュウアユと命名した西田睦先生からだった。その頃ボクたちはアフリカのタンガニーカ湖でカワスズメという魚の生態を調べていた。しかし、アフリカの魚はあまりにも魅力的で、沖縄にもアユがいるのか、そんな程度の感想しか抱かなかった。

 アフリカから帰ったその年の夏、小田原市の早川の支流で魚類調査をしていた。ミカン畑の中、急勾配の川の上流の小さな溜まりを泳ぎ回る魚がいた。こんなところに何がいるだろうと、採集した魚は、アユだった。

 放流などするはずもない川で、そんな場所までどうやってアユが登ってきたのかとあきれてしまうほどに堰堤が連続した川でのことだ。
その場所からは眼下に相模湾がよく見えた。あの海からこのアユはのぼってきたのだな。そう思ったとき、その痩せてはいるが、いい香りのする美しい魚のことが気になりだした。

 人工化された川の中のアユ。

 もしかしたら、日本の川がどういう状態におかれているのか、アユの姿をとおして表現することができるのではないだろうか。そう考えていたころ、広島大学の練習船が奄美大島まで調査に行くという誘いをうけた。
広島の宇品港を出港して、練習船は3日かかって、奄美大島に着いた。マングローブの生き物を調べている友人とレンタカーを借りて、リュウキュウアユが棲むという川に出かけた。

 そこでボクが見たのは、赤土で濁った川だった。

 1989年のことだ。そのころ、OA用紙のパルプ需要が最盛期で山では樫の木を根元から伐採していた。そして、島の経済を支えているのは、離島振興予算による土木工事だった。河道内を走るダンプカー。その時、限られた停泊時間のなか、リュウキュウアユの姿を見ることはできなかった。
リュウキュウアユが亜種とされた1988年当時。沖縄本島では、絶滅といっていい状態だった。奄美大島のリュウキュウアユは大丈夫だろうか、そんな不安からボクは奄美大島に通い始めることになる。

 南の島に棲むそのアユは、12月から2月にかけて産卵する。その時期は悪いことに年度末の土木工事と重なった。リュウキュウアユ研究会を設立して、地元でフォーラムを開催する。小学生を対象として自然観察会を行う。工事期間や工法について行政機関に要望を提出する。様々な働きかけが奏功して、産卵の季節の赤土流出が減少したのは、ここ数年のことだ。

 奄美大島に通えない4年間があったのだが、産卵するリュウキュウアユを撮影したいというボクの想いは2005年12月。16年目にようやく叶えられた。
一つの区切りがついたと思う。ボクは改めて、アユをとおして川を見る旅を始めることにした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブログ「リバーリバイバル研... | トップ | 岐阜新聞 鮎の12ヶ月 連載2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アユの12ヶ月 川面からの記録」カテゴリの最新記事