「どこか行きたい」
と思いながらひと月。
神社巡りをしたくなった。
平安期に国司が任命されると
国々の一宮を訪れて
国褒めの祝詞を奏上するのが
仕事だったとか。
3月に「国褒めのうた」と題して
オンラインライブをやった。
大多数にはピンときて
もらえていないけれど(涙)
「国褒めの歌」を歌う身の上
としてはなるべく多くの一宮を
訪ねておきたい。
でもまだ10社くらいなもの。
で、出雲の一宮を検索したら
「熊野大社」と出た。
昔の制度で今では出雲大社が
一の宮らしいけれど。
いくつかを廻ることにした。
当日朝、母に言うと
「まあ連れて行って~!」と
いつになく積極的だった。
愛犬・麻呂もついてきた。
下道の方が高速より走行距離が
30キロ少ないし
時間も20分くらいしか違わない。
島根県邑南町を通過して
どんどん走った。
離合も困難な物凄い山道も
あり3時間近く掛かった。
くたくたになった。
熊野大社の駐車場について
見覚えが。
かつて来たことがあるのを
思い出した。
ま、また新たな気持ちでお詣り。
母はお詣りに30秒あれば足りる。
母の視線で集中しにくい。
稲田神社で母が
「あんた積極的じゃの~」と
謎のほめ方をした。
何を祈ったかと聞くので
「女性の神様だから
女性が活躍できるようにね」
と言ったが
左の社の伊邪那美神社で
同じようにお祈りしたら
「それじゃないでしょ」
と言われた気がした。
はい、格好つけてました。
「神経痛快癒」の方が圧倒的に
切実でぇす。
お祈りし直した。
そこから神魂神社(かもす神社)へ。
社は最も古い木造神社だとか。
こちらのご祭神も女性の伊邪那美。
重厚な社殿は「美しい」
というより存在感、迫力感がある。
人も年輪を重ねてゆくに従い
かくあらねばと思う。
帽子を落としたことに気づいて
引き返したら境内に誰もいない。
何とも言えない感覚を覚えた。
歌いながら舞いたいと思った。
舞えないけど(爆)
用事は終わったでしょ、
急いで帰ろうねという母。
もう凝りたらしい。
高齢の麻呂もくたびれた様子だが
そこから30分先へ。
松江市の佐太神社へ行く。
緊急事態宣言前だったが
県外への往来は自粛という
雰囲気だった。
松江市内で広島ナンバーは皆無。
気がひけた。
鎮守の森を背に開けた感じの神社が
ど~ん。
佐太神社は解放的だった。
階段が少なかったし
母もきれいな神社だと喜び
一緒にお参りした。
私はそこからすぐの
縁切りの田中神社へお詣り。
ぐずぐずしている「過去」の自分と
縁を切って来た。
「やっと帰ってきた」
車で待ちぼうけの母が言う。
これでも急いだ方。
神社仏閣は自分のペースで廻りたい。
母に行く前に「神社巡り」と
あれほど念を押したのだけれど
やっぱり退屈させた。
都合6時間の運転で
その夜は左下半身がひどく痛んだ。
麻呂は遠出でくたびれて
あれから咳き込んでいる。
やれやれだ。
わざわざ行った意味があったか?
そんなことを思いつつ
帰宅後ソファに倒れ込んだ。
眼を閉じたら林とその向こうに
沈みつつある夕陽の映像が見えた。
次の瞬間その夕陽の光が
ぴっか~と光って眉間を直射。
ちょ~眩しかった。
で、なぜか分からないけれど
「佐太神社の神様が
パワーをくれた」と思った。
行って良かったんだと思いながら
晩御飯前のひと眠りに
おちた次第。
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