今朝は朝焼けがきれいだったよ~。
眠い目を擦りながらより、早く起きてシャキットした体での仕事の方が効率がいいね!
因みに3時起き・・・。
さて恒例、知ってる人は知ってる、知らない人は知らないシリーズ。
知らなくても、いい~んです!(川平慈英風に)
僕だけ知っていれば・・・。
The End of Group B
グループBの終わり、AKBとかじゃないぜ。
WRC(世界ラリー選手権)の1986年に廃止されたカテゴリー。
とにかく過激な時代であった。
ホモロゲ(公認)を得るため、年間200台の生産が義務づけられるが、当然市販車とは別物である。
4WD、エンジン、ダウンホースを得て、86年頃には600馬力はでていたらしい。
馬力もすごいが、パワーウエイトレシオは2kg/psを切っていた。
F1マシンと変わらぬ加速力。
当然ドライバーも手を焼き、大クラッシュ、ドライバー死亡事故、ついには観客を巻き込む死傷事故も起きる。
1986年5月2日、ツール・ド・コルス
屈指のターマック(舗装路)のラリーである。
「コルシカの英雄」と言われるが為に、世界のターマックスペシャリストが集結する。
前年完敗であったプジョー205T16に負けじと、ランチャはミッドシップ、ツインチャージャーで武装してきた。
ランチャ・デルタS4である。
他のドライバーは手を焼いていた中、彼だけが乗りこなしていたかのように見えた。
天才と言われた、ヘンリ・トイヴォネン
現場には、ブレーキ痕もなく、コースアウト、炎上して亡くなる。
レース界において、天才は早死にするのか?
あのジル・ビルヌーブもアイルトン・セナもロニー・ペテルソンもそうだった。
少々、マニアックな話になってしまった・・・・な。
車って人や荷物を運ぶ目的で作られたモノではあるが、
男として、この過激さ、ラテン系の乗りには堪らないものがあるのだ。