昨日、毎月19日恒例の釧路駅前行動に参加しました。💢
安保法制(戦争法)が9月19日に可決されたことを受け、毎月19日野党と市民が集まって釧路駅前で集会を行っています。
この日は、政党代表としてスピーチしたのは私だけでした。
昼間は春の日差しを感じましたが、日が沈むと氷点下の凍てつく寒さです。
雪もまだ残っていて、のぼり旗は雪の中に突き刺して立てました。☃️
私のスピーチの要旨は次の通りです。
釧路市議会では、おとといまで市議会が開催されていましたので、市議会の中で戦争や平和についてどのようなやり取りがあったのかご報告させてもらいます。共産党議員団は村上和繁議員が代表質問を行い、その中で次のような趣旨の質問を行いました。
まず最初に「戦争を体験し、次世代に語りつがれる方が非常に少なくなっている。戦争を証言した動画を記録として残すべきではないか」と質問しました。鶴間市長からは「証言の保存の取り組みを始めた。市民から寄せられる冊子、動画など提供される素材に応じて対応したい」と前向きな答弁を引き出しました。実際市内には民放のニュース番組の取材を受けて、悲惨な釧路空襲の体験を語った動画が今でもアーカイブ動画としてみることができます。証言をした人は今では90歳を過ぎていますが、市として残すことは重要だと思います。
それからもう1つ重要な答弁がありました。村上議員は「今年8月、鶴間市長が市民訪問団の団長として、直接被爆地を訪問する考えはないのか」とただしました。すると市長は「私自身も市民訪問団の一員として広島を訪問したい。折り鶴を持っていきたい」と明言しました。蝦名市長は少なくても私が議員になってから8月6日に広島に行ったことなどありません。とても前向きで市政が変わった一面を見ました。
ただし残念な答弁もありました。村上議員が「釧路港の特定利用港湾の選定を返上して、災害対応を除いて、自衛隊や米軍の釧路港利用は認めるべきではない」と強く迫りました。しかし鶴間市長は「一般船舶と同様に扱う」と述べ、自衛隊や米軍の使用を認める答弁をしました。これは前市政と全く同じで強く抗議したいと思います。
最後になりますが、石破政権はもう末期状態になりました。10万円の商品券配るのであれば、自民党の新人議員ではなく国民に対してです。今度の参議院選挙で厳しい審判を下して、退陣に追い込もうではありませんか。私も野党共闘の先頭に立つ決意を申し上げ、訴えとさせてもらいます。