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☆ 6月16日 ケーブルテレビの日 お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆
常識を破る松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
私たちを取り囲んでいる常識というものは、想像をはるかに越す根強さを持っています。しかし私たちは、その常識を尊ぶとともに、ときには常識から自分を解放することが必要だと思います。そしてそのためには、やはり強い熱意が要請されます。熱意のたぎっているところ、人は必ず新しい道を開きます。常識では考えられないことをやってのけ、運命を切り開き、新しい発明発見をします。常識を破るのです。
常識は大事であり、破るがために常識をはずれたことをするのは、世の中を乱し、周囲に迷惑を及ぼすだけです。そうではなくて、熱意の発するところには、次つぎと新しい着想が生まれ、必然的に常識が破られていくのです。
【コラム】筆洗
2014年6月15日東京新聞TOKYOWeb
▼「私は夕焼の空に無数に交錯するキャッチボールを見た」。劇作家の寺山修司さんが戦後の「キャッチボール」について書いている。「それはどんなに素晴らしい会話よりももっともっと雄弁に見えたし、どんなに長い握手よりももっともっと手をしびれさせたものであった」
▼サッカー一色の日に野球で書き出す無粋をお許し願いたい。それでも「父の日」に似合うのは野球やキャッチボールではないか
▼米大リーグの黒人選手が減っている。二〇一三年開幕時の出場選手登録に占める黒人の割合は8・3%。一九八四年の18・4%から、大きく後退している
▼理由は黒人の貧困問題にも関係している。バスケットボールに比べて野球にはカネがかかる。フットボールやバスケットボールの方が高額な大学奨学金を得やすい
▼「父親不在」。こんな理由もある。米研究者によると都市部の黒人の子に野球を教えるはずの父親がいないという。離婚率の高さ。子とボールを投げ合う人間がいない。野球へのとば口がない
▼気のせいならばいいが、日本でもキャッチボールをする父と子を昔ほど見掛けぬ。投げ合って学ぶのは野球の技術だけではなかろう。捕りやすいように。ほらこれは捕れるかい。へえ、ずいぶんと力がついたじゃないか。投げ合うのは気持ち。「夕焼の空に無数に交錯するキャッチボール」。無性に見たくなる。
☆ 昨日のカープ
カープVメール
15日QVCマリンフィールド、カープ8―5ロッテ、勝ち投手小野1勝1敗、セーブ・ミコライオ12S、本塁打天谷1号、エルドレッド21号、中東1号 詳しくは中国新聞朝刊で
久しぶりの勝ちです。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
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☆ 6月15日 暑中見舞いの日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆
6月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
批判はあとでよい
賢い人は、ともすれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれないことが多い。このためせっかく優れた頭脳と知恵を持ちながら、批判ばかりして、結局は簡単な仕事も満足にできないことがある。ところが逆に、人が見ればつまらないと思われるような仕事にも「バカの一つ覚え」と言われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。この姿は全く尊く、見ていても頭が下がる。
仕事に成功するかしないかは第二のこと、要は仕事に没入することである。批判はあとでよい、とにかく一心不乱になることだ。こうした努力は必ず実を結ぶと思う。そこからものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。
【コラム】筆洗
2014年6月14日東京新聞TOKYOWeb
▼英国の名門イートン校の生徒手帳にはかつて、こんな心得が記されていた。「爆撃・爆破の警報が出た場合の対処法 建物が近くにある場合は、すぐ中に退避せよ。室内にいる場合は、飛散するガラスを避けるため窓を開けカーテンは閉めよ。運動場にいる場合には、試合を続行せよ」
▼さすがはサッカーやラグビーなど雨天決行のスポーツを生んだ国。いったん試合に臨めば、それこそ雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが闘いに集中せよということか
▼名作『一九八四年』などの作者ジョージ・オーウェルもこの名門校の卒業生で、こんな言葉を残している。「スポーツの真剣勝負とは、銃撃なき戦争だ」。その銃撃なき戦争が、時として銃撃を止める力を持つ
▼ついに開幕したサッカー・ワールドカップで、あす日本代表が初戦を戦うコートジボワールは、長く宗教や地域対立が複雑に入り組んだ内戦に苦しんできた。同国代表が初のW杯切符を勝ち取った時、ドログバ選手は和平への思いを語り、国民の心を動かしたそうだ
▼「私たちはこの国の人々がともに生き、同じゴールに向かいプレーできることを証明した。次は皆さんがやってみせてください。武器を置いてください」
▼直径二十二センチほどのボール一つが、直径一万二千七百キロの惑星の人々の目をくぎ付けにし、心を動かす。宇宙人が見たら、不思議な球に見えるに違いない。
☆ 2014FIFAワールドカップ 日本第1戦始まりですね、皆さんで応援しましょう。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
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☆6月14日勝鬨橋の完成。
お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います ☆
6月14日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
サービスできる範囲で商売を
どんないい商品があっても、サービスがそれに伴わなかったら、これはお客様にほんとうに満足していただけないと思います。むしろ、サービスに欠けるところがあったならば、お客様の不満を招き、かえって商品自体の信用を落とすことにもなりかねません。だからサービスとは、ある意味では製造なり販売に優先するほどのものだとも考えられます。
サービスというものは、どんな商売にもつきものであり、したがっていかなる場合でも、完全なサービスのできる範囲で商売をしていくことが大切だと言えます。そういう経営の姿勢からこそ、堅実な商売の発展がもたらされてくると思うのです。
【コラム】筆洗
2014年6月13日東京新聞TOKYOWeb
▼古代ギリシャの哲人アリストテレスは、「ウナギは大地のはらわたから生まれる」と考えたという。日本では、山芋がウナギになるという言い伝えがあった。なるほど、どちらもぬるぬるとつかみがたく、食べれば精がつく
▼美濃出身の僧で落語の祖とされる安楽庵策伝は『醒睡笑』にこんな話を書いた。肉食を禁じられた僧がウナギを割いて食べようとしているところを人に見られてしまった。僧の言い訳は「山の芋を汁にして食べようと取り寄せたら、見る見るうちに、ウナギになってしまって…」
▼国際自然保護連合が、ニホンウナギを絶滅危惧種に登録した。それこそウナギのぼりに値が上がってから、すっかり縁遠くなってしまったウナギではあるが、「近い将来、絶滅の危険性がある」と聞けば、何とも心苦しくなる
▼古来解けぬ謎だったニホンウナギの産卵現場を突き止めた生物学者の塚本勝巳さんは、今の大量消費ぶりは「シーラカンスの回転ずしや、トキの焼き鳥」みたいなものだと言い、「十年ぐらい成魚も稚魚も捕るのを我慢しないと本当に危ない」と、警告する
▼絶滅危惧種に登録されても、それだけで売買が禁止されるわけではないが、このまま減り続ければ、それこそ禁制品になってしまうかもしれぬ
▼禁じられたウナギに手を出して、「いや山の芋を…」と言い募る羽目になっては笑い事ではない。
☆ 今朝は太陽が眩しいです。今日は、亡き母の3回忌 命日です。早いですね
お花でも買って供養しようと思います。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
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父の詩集 6月13日 nk2367nk.jugem.jp/?eid=899 #jugem_blog
☆ 6月13日(金)今日は 小さな親切の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆
6月13日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
寛厳よろしきを得る
指導者はいわゆる寛厳よろしきを得ることができるよう心がけることが大事だと思う。
やさしさばかりでは、人びとは安易になり、成長しない。厳しさ一方でも、畏縮してしまい、のびのびと自主性を持ってやるという姿が生まれてこない。だから寛厳よろしきを得ることが大切なわけであるが、ただこれは、厳しさと寛容さを半々に表わすということではない。厳しさというものはなるべく少ない方がいい。二十%の厳しさと八十%の寛容さを持つとか、さらには十%は厳しいが、あとの九十%はゆるやかである、しかしそれで十分人が使えるというようなことが一番望ましいのではないだろうか。
【コラム】筆洗
2014年6月12日東京新聞TOKYOWeb
▼作家水上勉さんの小説『ブンナよ、木からおりてこい』(新潮文庫)にこんな場面がある。鳶(とび)に雀(すずめ)と鼠(ねずみ)が捕獲され、高い木の上に放置されている。いずれも死にかけており、お互いの身の上に同情し合っている
▼鳶が戻ってくる。どちらかが殺される。鼠が叫ぶ。「小雀がいる。おい順番にしてくれよ」。雀が金切り声を上げる。「鼠のほうが先だよオッ。助けてェ助けてェ」。さっきまで同情していた両者が恐怖で相手を売る
▼十一日の安倍首相と民主党の海江田さんの党首討論。集団的自衛権の行使についての「大一番」だったが、海江田さんの出来は良かったとはいえまい
▼首相は恐怖の理論で押してくる。言い方は慎重だが、強調しているのは中国と軍事衝突があるかもしれぬ、北朝鮮がミサイルを発射するかもしれぬ、鳶が襲ってくるかもしれぬ、であって「さて、それを防ぐためには…」という論法である
▼雀と鼠ではないが、恐怖を目の前にすれば、何をやっても逃れたい、備えたいと考えるもので、いわば「本性」を海江田さんはなかなか崩せない
▼拙速と主張しても恐怖を覚える人は耳を貸さぬ。歴史の教訓を持ち出してみても理解されぬ。「鳶は本当に来るのか、鳶と関係を改善する方法はないのか」。まず恐怖を疑い、別の道を考える発想が民主党にも見えない。かくして恐怖は拡大していく。それが恐ろしい。
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☆6月12日 バザー記念日
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公明正大
後漢の時代に、高潔をうたわれた楊震という政治家がいた。この人がある地方の太守として赴任していったところ、たまたま以前に引き立ててやった王密という人が夜分に訪ねてきて、大枚の黄金を揚震に贈ろうとした。楊震が受けとるのを断わると、王密は「こんな夜中で、この部屋には私たち二人しか居ないのですから、誰にもわかりませんょ」と言った。そのときに揚震は「誰も知らないと言うが、君と私自身が知っているではないか」こう言ったという。
他人が知っているということよりも、まずみずからの心に問うて、やましいところがないか、公明正大であるかということが大切だと思うのである。
【コラム】筆洗
2014年6月11日東京新聞TOKYOWeb
▼麦秋は秋ではなく、麦が実った初夏の今時分を指す。秋、あきという言葉には本来、収穫期との意味があるという
▼小津安二郎監督の「麦秋」(一九五一年)。家族の別離を描いた映画のラストシーンは六月の麦畑だった。娘が遠方に嫁ぎ、大家族が離れて暮らすことになった寂しさ。その一方で親としてひと仕事を終えたという安堵(あんど)の気持ちもある。だから収穫期の「麦秋」なのだろう。「紀子、どうしているでしょう」「…みんな、はなればなれになっちゃったけど…しかしまあ、あたしたちはいい方だよ…」
▼「麦秋」の冒頭は賑(にぎ)やかな家族の朝食の場面である。六歳の男の子が顔を洗わずにちゃぶ台に着いて叔母(原節子)に叱られる場面が楽しい
▼二〇一三年度版の食育白書によると朝食を家族で食べるという人の割合が五割を切った。夕食でさえ56%と過去最低である
▼政府は「家族の生活様式の変化」と分析するが、事態はもっと深刻かもしれぬ。ただでさえ「少人数」になった家族が食事を共にしない。それは家族で話をしないということでもあろう。団欒(だんらん)、団居(まどい)が失われた時に人はどこで心の澱(おり)を洗うのか
▼大家族から核家族、現在では独居へ時代は歩みを進める。昭和の大家族を懐かしんでも仕方がないが、家族でメシを食わぬのが「現在」なら、戦後以降、日本人は何を収穫するため頑張ってきたのだろう。
☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆