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ラテントピック・一語一絵 その2

2021-01-31 11:30:52 | ラテントピック・一語一絵
エリス・レジーナの次はやはりこの人。

Adoniran Barbosa

アドニラン・バルボーザ

イタリア系移民の家庭に7人目の子として生まれる。
歌手。作曲家。

作曲家として受けそうな名前にするために、友人の名前
からアドニラン、ファンだった作曲家の名前からバルボ
ーザとそれぞれ変えたので本名ではない。
João Rubinato が本名。

サンパウロのイタリア人地区のベラ・ビスタであるBexiga
ベシーガと呼ばれる地区の中に彼の胸像がある。

「11時の夜汽車」や「サウドーザ・マローカ」が有名。
サンパウロで知らない人はいないくらい。
個人的には「サウドーザ・マローカ」の方が好みかな。
因みに「11時の夜汽車」の行き先はサンパウロの郊外
Jaçanã と言うところ。この歌から名前を取った通りが
ある。

サンパウロの言わば下町弁をそのまま歌詞にした。
動詞の活用が正しくなかったり言葉の末尾に来るSを
発音せず飲みこんでしまう。品の良い話し方ではないが 
そう言う風に話すのだからそれが普通で自然なのだ、 
と述べていた。東京の下町だって同じだ。言葉使いは
少々荒いしヒとシの区別が曖昧。山の手から見たら品が
悪いが人々の暮らしはそういうところにある。着飾ら
ない。

ブラジルはアルゼンチンと同様にイタリアからの
移民が非常に多くイタリア人地域ではイタリア語と
ポルトガル語が混ざり合う。

いわばピジン語になるがそれはそれで伝われば良い
のである。明治元年に移民の始まったハワイでも
同じだ。言葉は混ざり合う。文法を意識して話す
わけではない。意思の疎通が先にある。話し言葉を
そのまま歌にするのが自然なのだ。

そもそもはラジオでのお喋りが始まり。今で言う
DJをしていた。お洒落で粋でウイットに富みどこ
となく哀愁があった。クルマにコンクリだらけに
なったサンパウロを嘆き、古き良きサンパウロ、
特にイタリア人地域ベシーガをこよなく愛した
ひとだった。

東京の下町だって昔は弓矢の遊び場があちこちに
あった。7、8メートルほど先の土間に的が置いてあり
それを矢で射る。弓の射的で勿論遊びだが弓を引くの
にも力が要る。矢を射るセンスがないと難しい。矢は
10本100円くらいだったか。卓球場と同じようにどこに
でもあったが今はどこにもない。コンクリに追われて
消えた。初乗り60円のルノーのタクシーが走っていた
頃だったか。オート三輪が街中を走っていた時代が
懐かしい。

サウドーザ・マローカは何度聴いても良い曲だ。

マローカからエリゼッチ・カルドーゾのバラカァンを連想
させる。バンドリンのジャコーの演奏が秀逸で泣かせる。
戦後10年ぐらいは東京だってバラックだらけだったもの。


Youtubeでエリス・レジーナと一緒に歌ってるのが
いくつか取り上げられています。 

今こんな渋いひとはいないのじゃない。

見出し写真は一枚なのになんだかんだ能書きの方が
多いや。
何枚か描いたがこの絵が良いかな。
ボールペンなのでやり直しがきかないから
ちょっと大変。

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