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ラテントピック一語一絵 その42

2024-09-01 10:09:54 | ラテントピック・一語一絵
Mari Trini
マリ トリニ
1947-2009


スペイン人歌手 


スペイン南部のムルシアの出で亡くなったのもムルシアでだった。
音楽とは縁のない家庭で生まれ、子供の頃にマドリッド に移るが
病気がちで14歳まで床に伏せることが多かったらしい。また母親と
不仲気味だったとも言われている、

ムルシアは懐かしい響きがある。アンダルシア地方に行くとグラナダ
やムルシアにハエンを表すナンバープレートをつけた車が多く、当たり前
のことだが案外そんなことに日常を感じたりする。僕が滞在していた
頃はスペインのセアットと言う、フィアットのコピー車が走っていた時代
でシトロンの2CVだったかな、あちこち現役で走っていた。古いルノーも
良く見かけたものだ。まだフランコが生存していた頃だものね。


マリ・トリニは一世を風靡した感がある歌手だ。まだうら若い時に一時
ロンドンにいたがすぐにパリに移り5年くらい滞在している。

ロンドンに行ったのは映画「北京の55日」の監督でもあるニコラス・レイ
の勧めによるものだか間も無くパリに移り住んで音楽関係の仕事に重点を
置いた。余談だが「北京の55日」には日本人俳優伊丹十三が出演している。
当時は伊丹一三と言う芸名だった。後に映画監督として知られるずっと以前
のことだ。

スペインに戻り当時あったレコード会社「Hispavox」から発売された
"Escúchame””Yo no soy esa “が大ヒットしポップチャートに踊り出た。

1970年代初頭の時代背景はまだまだ封建的な考え方が残り、その中で自立
した女性の方向性を際出させるような存在感のある歌い手だった。

70年代中頃までスペインはフランコ総統が生存していたのでやや封建的な
ムードはあったが明るい兆しも見える時代でもあった。そう言った社会
背景の中で、一歩も二歩も先を行く女性の、今では当たり前の強烈とも言える
独立した個性を歌に宣言したのがMari Trini の"Yo no soy esa"だった。
小気味よいほどの歌詞は当時の若い女の子を大いに引きつけ大ヒットになり
どこへ行ってもこの曲が流れていた。あの時代はバラード風な歌い手が
好まれる傾向もあったがそれを除外しても大ヒットだった。


マリ・トリニは2009年に肺ガンで死去している。

まあまあの仕上がりに描けたかな。ラテン系の女性は若い時は凄い
綺麗な人が多いんだけと、歳を重ねて行くとこんなに老けちゃうのかと
いうケースが多いのだよね。顔の彫りが深いせいか変化が激しい。特に
スペイン南部のモーロ人の血を引く地域の女性はビックリするくらい
美人が多いから余計心配になる。

今年になり僕も老化が進んだようだ。前から不具合だった足が更に
悪く立っているのが辛い。痛みはないが普通に立てない。足の裏が
平均して地面についていない感じがある。足裏の外側しかつかないで
歩いている。従って前傾してゆっくりと歩く。どう見てもヨボヨボの
爺さんだね。後発白内障も出て来てボヤけて見えるし全く情け無い。
もう何時動けなくなるか分からないから書き溜めないでサッサと
ブログアップしておきます。

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