セアトです。
アメ車のポンティアックを登場させましたので欧州車もひとつ話題に
しましょう。
といっても最近の話ではありません。1970年代初頭の頃のことで
あります。古過ぎて恐縮ですが少しばかりお付き合いのほどを。
イタリアの代表的なクルマといえばフィアットですが、このフィアット社が
スペインに技術提供をしていたのがSEAT(セアトと呼びます)社です。
フィアット出資でフィアットのモデルをライセンス生産していたのです。
600とか800とか3桁の番号でお馴染みのクラスが良く見受けられ
ました。比較的小さい車種が多かったです。
初めてスペインに行った時にまず驚いたのが、このSEATという名前です。
もう全てフィアットなのに名前だけがセアト。何だこりゃあ、と長くスペイン
に住んでいる友人に聞くと、「スペインのフィアットだからセアットさ」と
事も無げの説明。当時はかなりフィアットの全面協力があったようです。
現在はセアトが独立してスペインのクルマメーカーとして頑張っています。
VWの傘下グループとなりイビサというブランドの人気車も出しています。
セアト、知ってるよ、スペインのクルマだろ。という方はかなりの通ですよ。
日本ではまだまだ馴染みのないメーカーで日本には輸入されていないは
ずです。もうユーロで共通市場だから輸入しても良いのにねえ。
シトロエンの2CV。これに荷台のついているタイプも良く見ました。
ドゥーシヴォ。ドスセヴェ。たまに東京でも見かけますよ。
1971,2年の頃のスペインでも、セアットのほかにも、プジョーとかルノー、
シトロエン、BMWなどヨーロッパを代表するクルマは勿論走っておりました。
それこそランチャなんかモダンなほうです。もう古くさい2CVなんか、わんさか
わんさか町を走っていましたから。
フランスなどと接している陸続きの国ですから、国境を越えて入って来るのは
容易です。たまにイギリスのスポーツカーなど走っていると皆振り向いていま
したよ。イベリア半島の端っこのスペインにとっては新鮮ですからね。
どこだか場所は忘れましたがロータスヨーロッパを見たことがありました。
ルノーキャトレール、この後発売になったルノーサンクはベストセラーになり
ました。四角っぽいデザインで良く売れましたね。ルノーは1桁の番号でお
馴染みです。黄色の前照灯(古い言い方!)でね、カッコ良かった。
こんなのが町中にいっぱい走っていました。今見ると古くさいですが当時は
人気のあるクルマでした。懐かしいです。
私の住んでいた田舎町では、まだロバの背中にいっぱいオレンジを積んで
売りに来ていた時代ですから、クルマだってまだまだ古くさいのが堂々と
して石畳の上をドタドタと行き交っていました。VWのビートルなんか偉そう
に見えたものです。
1971年の年の暮れに、2週間ほどパリに行ったときはフランスのクルマの
デザインの新鮮さにびっくりしたものです。やはり都会ですから当時流行の
最新車が町のあちこちにいて、古いクルマばかり見ていた私にはもう浦島
太郎状態でした。洒落たクルマが多かったですね、パリは。
最後に、駐車のしかたをひとつ。これは町で良くみかけたものですが、
彼らの縦列駐車はこうです。2台クルマがいて、その間に停めようと
するときは、まず頭かお尻を突っ込み相手の車のバンパーに当たったら
ハンドルを切って逆方向に進み、別のクルマのバンパーに当たるまで
動かします。つまり前後の車に当たって押し込むように駐車するのです。
それで平気な顔をして去って行きます。日本ではちょっと考えられない
駐車方法ですね。何度も見ました。
変わっていると言えば、モロッコで乗ったタクシーは運賃メーターが外に
ついていましたね。これもビックリしました。
かくいう私めは20年近くドイツ車に乗ってしまいましたが。従兄弟は
いまだにイタリア車に乗っています。
1971年というと、あのスペインの独裁者フランコ総統が老いたりとは言え
まだ生存していて閉鎖的な国家の頃でした。いまでは当たり前の週刊誌の
グラビアヌードですらご法度でした。まだ貧しかったですね。
1ドル=360円で換えて渡欧した時代です。
いまやクラシックカーになってしまったルノー、プジョー、シトロエン等の古い
のが現役でヨタヨタ走っていました。それがいまや「猫足」と絶賛されるフラ
ンス車ですからね、そりゃ40年も経てば時代は変わりますよ。
セアトも随分リファインされたものです。そのうち輸入される日が来ることを
期待しましょう。
P.S.
昔、ルノーはタクシーでした。60円、70円、80円と三種類のタクシーが
あり、ルノーは一番安い60円のタクシーで、水冷のリアエンジンの4CVで
した。もっとも日野自動車が今でいうライセンス生産で造っていたものです。
東京では良く走っていました。
アメ車のポンティアックを登場させましたので欧州車もひとつ話題に
しましょう。
といっても最近の話ではありません。1970年代初頭の頃のことで
あります。古過ぎて恐縮ですが少しばかりお付き合いのほどを。
イタリアの代表的なクルマといえばフィアットですが、このフィアット社が
スペインに技術提供をしていたのがSEAT(セアトと呼びます)社です。
フィアット出資でフィアットのモデルをライセンス生産していたのです。
600とか800とか3桁の番号でお馴染みのクラスが良く見受けられ
ました。比較的小さい車種が多かったです。
初めてスペインに行った時にまず驚いたのが、このSEATという名前です。
もう全てフィアットなのに名前だけがセアト。何だこりゃあ、と長くスペイン
に住んでいる友人に聞くと、「スペインのフィアットだからセアットさ」と
事も無げの説明。当時はかなりフィアットの全面協力があったようです。
現在はセアトが独立してスペインのクルマメーカーとして頑張っています。
VWの傘下グループとなりイビサというブランドの人気車も出しています。
セアト、知ってるよ、スペインのクルマだろ。という方はかなりの通ですよ。
日本ではまだまだ馴染みのないメーカーで日本には輸入されていないは
ずです。もうユーロで共通市場だから輸入しても良いのにねえ。
シトロエンの2CV。これに荷台のついているタイプも良く見ました。
ドゥーシヴォ。ドスセヴェ。たまに東京でも見かけますよ。
1971,2年の頃のスペインでも、セアットのほかにも、プジョーとかルノー、
シトロエン、BMWなどヨーロッパを代表するクルマは勿論走っておりました。
それこそランチャなんかモダンなほうです。もう古くさい2CVなんか、わんさか
わんさか町を走っていましたから。
フランスなどと接している陸続きの国ですから、国境を越えて入って来るのは
容易です。たまにイギリスのスポーツカーなど走っていると皆振り向いていま
したよ。イベリア半島の端っこのスペインにとっては新鮮ですからね。
どこだか場所は忘れましたがロータスヨーロッパを見たことがありました。
ルノーキャトレール、この後発売になったルノーサンクはベストセラーになり
ました。四角っぽいデザインで良く売れましたね。ルノーは1桁の番号でお
馴染みです。黄色の前照灯(古い言い方!)でね、カッコ良かった。
こんなのが町中にいっぱい走っていました。今見ると古くさいですが当時は
人気のあるクルマでした。懐かしいです。
私の住んでいた田舎町では、まだロバの背中にいっぱいオレンジを積んで
売りに来ていた時代ですから、クルマだってまだまだ古くさいのが堂々と
して石畳の上をドタドタと行き交っていました。VWのビートルなんか偉そう
に見えたものです。
1971年の年の暮れに、2週間ほどパリに行ったときはフランスのクルマの
デザインの新鮮さにびっくりしたものです。やはり都会ですから当時流行の
最新車が町のあちこちにいて、古いクルマばかり見ていた私にはもう浦島
太郎状態でした。洒落たクルマが多かったですね、パリは。
最後に、駐車のしかたをひとつ。これは町で良くみかけたものですが、
彼らの縦列駐車はこうです。2台クルマがいて、その間に停めようと
するときは、まず頭かお尻を突っ込み相手の車のバンパーに当たったら
ハンドルを切って逆方向に進み、別のクルマのバンパーに当たるまで
動かします。つまり前後の車に当たって押し込むように駐車するのです。
それで平気な顔をして去って行きます。日本ではちょっと考えられない
駐車方法ですね。何度も見ました。
変わっていると言えば、モロッコで乗ったタクシーは運賃メーターが外に
ついていましたね。これもビックリしました。
かくいう私めは20年近くドイツ車に乗ってしまいましたが。従兄弟は
いまだにイタリア車に乗っています。
1971年というと、あのスペインの独裁者フランコ総統が老いたりとは言え
まだ生存していて閉鎖的な国家の頃でした。いまでは当たり前の週刊誌の
グラビアヌードですらご法度でした。まだ貧しかったですね。
1ドル=360円で換えて渡欧した時代です。
いまやクラシックカーになってしまったルノー、プジョー、シトロエン等の古い
のが現役でヨタヨタ走っていました。それがいまや「猫足」と絶賛されるフラ
ンス車ですからね、そりゃ40年も経てば時代は変わりますよ。
セアトも随分リファインされたものです。そのうち輸入される日が来ることを
期待しましょう。
P.S.
昔、ルノーはタクシーでした。60円、70円、80円と三種類のタクシーが
あり、ルノーは一番安い60円のタクシーで、水冷のリアエンジンの4CVで
した。もっとも日野自動車が今でいうライセンス生産で造っていたものです。
東京では良く走っていました。
それにしても懐かしい車が続々登場して、うれしくなりますね。
シトロエン2CV。
以前にお話ししました伊丹一三さんの著作の中に、シトロエン2CVの記事があり、それでこの愉快な車の存在を知りました。中学生でしたね。
フランス人のプチブル精神を論じて、シトロエン2CVのカタログに記載された、小荷物を積む積み方や、果てはバカンス用途に大きな荷物が積めることをアピールするために、アップライトのピアノを積むやり方が書かれていると紹介されていました。
ヨーロッパは石畳の町が多く、足回りはその点ではすばらしいとも評価していました。
私はイギリス車も好きですが。
確かフランコ将軍の独裁にもふれ、映画の吹き替え(ほとんど外国映画は吹き替え)についても書いてありました。倫理観のない恋愛ものは御法度だったので、男女同衾は兄姉であるかのように台詞が置き換えられていたとか・・・・。
ところでこのフランコ将軍をあまりよくは知りませんが、この当時の時代背景の映画で『日曜日には鼠を殺せ』とかいう映画がありましたよね。
突然思い出したので、詳しく思い出せませんが。
あの当時独裁政権下に捕まった話の映画が多かったので、ちょっと記憶が曖昧です。ピレーネ山脈だか山越えをするシーンを思い出しました。
お持ちですねえ。スノビッシュでとっつきにくい
かと思えば、人情家で家庭的だったり。長い歴史の
ある国ですから独特の文化を持っているのでしょう。
ブルジョアっぽい感じもしないではないですが、
こういう点をいち早く敏感に感じて判りやすい説明
をしてくれる伊丹一三氏の国際的センスは抜群です。
お父さんの影響でしょうかね。ペタンクもフランス
からお持ち帰りでしたっけ?
「日曜日~」はその後10年後ぐらいに映画化され
た「ジャッカルの日」の監督であるF・ジンネマン
の手によるものですね。G.ペック、O.シャリフ、
ら名優が出ていますがちょっと暗い感じです。
「ジャッカルの日」は私がスペインにいる頃から
べストセラーでした。フレデリック・フォーサイス
の出世作で、ドゴールの暗殺がテーマになっている
映画で、慌てて英語で読みました。
ジンネマンで一番有名なのは何と言っても「真昼の
決闘」ですね。ジンネマンは話しを「ひっぱる」の
が好きですね。ですから派手なアクションシーンは
最後まで出てきません。ドキュメント風に淡々と
進めていきます。「真昼~」でも保安官に誰も協力
することなく、最後まで進行して結局決闘の場面は
あっという間に終わります。延々とひっぱることに
よって凝縮させた味を出しているのかも知れません。
あ。ヘプバーンの「尼僧物語」もこの人でした。
イギリスのクルマも良いですね。好きです。
ロールスロイスが祝儀用、ベントレーは不祝儀用に
用いられるなんてことを聞いたことがありますけど。
くるまの情報誌メールマガジンですが、今までだったらタイトルだけ読んで中を開くこともなかったセアトの文字が目に飛び込んできました。
nnakazawa様が紹介されていた古めかしい写真の車を連想していましたら、今ではVW傘下にあるらしく、コンパクトでスポーティな『イビサFR、イビサCUPRA』というかっこよい車でした。
しかも“ボカネグラ(Bocanegra)”と呼ばれるこのしゃれたこの車の写真はなかなか素敵です。
日本のモーターショーでも見ることが出来るのでしょうか。
ボカネグラというくらいですから正面から見たら
ラジエータグリルのあたりが黒のデザインなんで
しょうね。フィアットとプジョーとルノーを混ぜて
後ろから見たらアルファロメオ見たいなミックス
されたデザインです。若者向きです。
一時期の韓国の現代自動車のようです。日本の
クルマ技術で小さな車を造っていましたが、いまや
大メーカーとなり日本でも販売しています。
まだまだマイナーですがアメリカでは安値で
売られるまで成長。ヒュンダイと発音します。
造船部門もあり韓国ではメジャーな会社です。昔
ヒュンダイのポニーという小型車を南米へ輸出
していましたので良く覚えています。
やはり軒先を貸して母屋を盗られないように
しないといけませんねえ。もう手遅れかも知れません
けれど。
最初上陸してきたときには、大してよい車に感じませんでした。ところがところが、出てくる車がことごとく良くなって見違えるのですよ。
しかも価格が安くて。
こんな車がどうして出来るのか、不思議で不思議で・・・。
この車に関してはかなり徹底的に市場調査をし、車自体もお勉強させてもらいましたね。
それがしばらく経つとエクセルという名前の
次世代車を発売しました。ヒュンダイのこの
シリーズはどんどんと輸出量を増やして行き
ました。三菱自動車のベースではありました
が、値段が安いためかウナギ上りで輸出台数が
増えて、韓国の経済が上がっていったのが
実感できたものでした。
もっとも安定した販売網や中古車の販売ルート
が確立されていなかったようですが。
まだ自動車運搬専用船が一般的でない頃で
船内に木でデッキを造らせてそこにクルマを
乗せるという方法を取りました。これはクルマを
揚げたあとで、バラしてしまうので勿体ないと
いえば、そうなのですが、木造のデッキ代を
払ってもまだクルマのフレートのほうが上回って
いましたのでペイはしていました。
今はこんな方法は取らないでしょう。
ヒュンダイのクルマは良く売れましたね。
日本のクルマの代替車というイメージは抜けなか
った感はありましたが。