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聖市より旧友来る

2010-09-08 20:49:10 | その他
アクリマソン公園。池を遊歩道が囲んでいる。日系人の憩いの場。

大学時代の同期で今はサンパウロで医療機器を扱う会社の
社長をしているIK君が来日中だ。横浜の大学では同期だった。

若い時から冒険心が強く、学生時代に50CCのバイクで故郷の
根室まで帰ってみたり、一年休学して横浜からロシア船に乗り
シベリア鉄道を乗り継いで目的地のスペインまで行っている。
今から考えれば1960年代に単身海外へ行くなんて凄いことだ。

もっとも僕も彼の後を追うようにスペインまで行くには行ったが
彼ほどの行動力はない。因みに当時のレートは一ドル=360円
だった。

IK君の冒険心は衰えることなく還暦を越えてなおクルマで南米
諸国をドライブしている。このとき行く先々からブログ発信して
いたので大変面白く読ませてもらった。去年だったかな。

細君とふたりきりのドライブだが、会社も社員も放ったらかして
40日も出たきりの旅をしてしまうのだから、そのバイタリティ
には恐れ入ってしまった。まあそれだけ会社の運営が安定して
いるということだろう。そう言えば、この南米諸国の自動車旅行
はサンパウロのニッケイ新聞にも取り上げられたのだっけ。

当時の大学の仲間は海外志向が強く在学中に移民船のブラジル丸に
乗って南米目指して何人も出かけていった。横浜港で汽笛がなる中
五色のテープを振り今生の別れとばかり大泣きした。10人以上が
そうして海を渡りメキシコや南米へと旅立った。

そのうちの1人は現地採用からとうとう外務省の正式職員となり、
こないだまでリオデジャネイロの日本大使館の領事の仕事をしていた
ブラジルは何回目かの任命地でリオの前はサンパウロでも仕事を
していた。現在はエルサルバドルにいる。いやボリビアだったか。
今年も暮れまでには家族で一時帰国すると言っていた。ハンサムな
ご子息はボストン大学の学生だ。彼もIK君と同期である。

IK君は大学を出てからはキューバ等を相手にした医療品の貿易を
する会社に就職した。その後某有名製菓会社と合併してサンパウロ
の駐在員となったが、一念発起して自分の会社を現地で立ち上げて
しまったのだ。そして今や何十人の社員をかかえる社長として
活躍し、現地の邦人企業が参加している日本でも有名な企業塾の
世話人もやったりして、日系企業の中ではちょっとした有名人だ。
たしかサンパウロのヤクルトの現地法人の社長も同じ大学の出身
ではなかったかな。訪伯したらボアッチの案内くらいしてくれるかも
知れないがもう今はそんな元気も体力もない。夜は早寝だ。
マッサージ機のINADA CHAIRに乗せてくれい! 

もともと面倒見の良い奴だから現地の日本人の中でも評判は良い。
最近ではサムライスピリットの龍馬の会も興している。二世三世に
日本人の経営方針を伝えていくというわけだ。相変わらずのエネル
ギー。外地で裸一貫で会社を起こしここまでやって来たのだから
たいしたものだ。日本人として友人として誇りに思う。

彼は、一時期日本人街として有名なリベルダージ地区の南に隣して
いるアクリマソン地区に住んでいたことがある。ここは比較的安心
できる地域で日本人も多く住む。だが今や韓国系の進出も激しくこの
あたりの地域にも韓国人が住み始めているようだ。

現在の住所はこの前来日した時に聞いておいたのが忘れてしまった。
昔は手紙でのやりとりだったが今や便利な電子メールがある。
住所なんぞろくすっぽ頭に残らない。アクリマソンに住んでいたのも
相当前のことになった。


アクリマソン公園。日系人との歴史も古い。ジョギングをしている。
この池の水が無くなったことがあった。水位調整路が溢れたらしい。

たまに来日してくると、3週間くらい滞在するが自由になる時間が
ほとんどない。いつも多忙なスケジュールの日本滞在で、彼氏の
やっと空いた日程に我々同期生や後輩連中が合わせるので慌しい、
あまり落ち着いて話もできないが元気な顔が見られればそれで充分。

さて、今回は来日中に会うことができるや否や? と思っていたら
当のご本人から電話がかかって来た。横浜で今集会が終ったところ
だそうだ。電車のホームからのようで善く聞こえなかったが、来週
あたり会えることになった。良かった、良かった。



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