午前7時に起床する
すでに空は青く晴れ渡っている
鶏もも肉と長ねぎを蕎麦つゆで煮て戸隠十割蕎麦にブッかけ長ねぎと柚子皮を散らす
昨日初売りで買った98円の赤い蒲鉾を切って添える
今朝の蕎麦つゆは会心の出来だった
蕎麦つゆの肝は甘みと塩気のバランスだ
鶏南蛮の場合は鶏肉の脂甘さが加わるので少し甘みを控えて調理する
口で言うのは簡単だが実際に作ると煮込み時間の違いや
鶏肉の脂の違いで狙った通りの味付けになることはなかなか無いのだ うひょっ ♪
美味い蕎麦つゆは飲み干してしまいたくなるのが困る
もうひとくち・・・もうひとくち・・・と飲んでいるうちに
丼の底が見えてくるのはまるで落語の「親子酒」だなどと思ったら
古今亭志ん生の「親子酒」が聴きたくなって iTunes を起動したが志ん生のは無くて
志ん生の息子の金原亭馬生の「親子酒」があったのでクリックする
自由奔放な志ん生と違って馬生の噺は落ち着きと実直さを感じさせるのは
志ん生が語尾を伸ばすのに対して馬生は語尾を飲むからだが
それが「親子酒」には合わない
馬生が下手だというわけではなくて
小兵力士が大きい相撲を取る愚と同じだと言っているのだ
こういうことは絵や音楽の世界でも良くあることで
生まれ持った自分の良さを見つめず憧れに向かって突き進む方がいる
松は松にしかなれないし
竹はどうあがいても竹にしか育たないのに
松が竹になろうとする
そういうことがとても多い
先達からの教え「自分を良く見つめよ」とか「自分に勝て」というのはそういうことだ
夢を捨てろとか夢を見るなと言っているのではない
生きるというのはそういうことなのだ
蕎麦を手繰り今朝も自分を良く見つめて私は今日も私らしく散歩に出かける
今日は大磯の S 画伯宅に行くつもり
その前に湧き水の里山を歩いてみよう
キジに会えるかもしれない
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