S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

誰かを攻撃しないと安心できない怖さ。

2007-10-29 16:40:25 | Weblog
最近になって見えてきたものがある。

それはこの国は、誰かを自分の敵として攻撃する対象が常にあることで、自分を安心させているんだということ。

そしてその敵というのは、政治が捏造したものであったりすることもある。


社会保険庁のずさんさで国民のいかりが大きくなってくる。そのいかりの矛先がまた別の人へ向けられたりする。亀田家だったり、守屋氏だったり・・・・
けれど背後にあるものは隠されているような気がする。

マスコミやメディアの矢面に立たされる人の背後には、もっと大きな闇がひろがっているような不気味な国だ。
国民の視線を矛先に向けさせておいて、本当の矢の軸は別なものが蠢いている。

そういうけっして表に出ない背後を見抜ける力を持たないと・・・政治にだまされるのは国民だ。


耐震偽造にしても最初に矢面に立たされた姉歯氏は、かなり攻撃され、アパグループの社長は1回だけの涙会見で終わった。
そして賞味期限改ざんのように、耐震偽造はあらゆるところで行われているのだ。


こんな敵を作る大人たち・・・を見ているから、子供たちの世界にも誰かを敵にして攻撃して大勢でひとりをいじめる構図が同じようにはびこり、そして明日はわが身で、いつその矛先が自分に向けられるのかわからないという怖さ・・・
子どもの世界は大人の世界のミニチュアみたいだ、そしてそうなるのが必然なんだろうと思う。


そういう社会の構図があたりまえのようになっている社会をわたしはとても怖いと思う。


「三丁目の夕日」みたいな世界はもうこの国には二度と戻ってはこないだろう。
ノスタルジーはあるけれど、もう戻れない世界なんだろう。
恋人でも隣人でも夫婦でも友人でも訴える時代だもんね。


「生き延びるためのラカン」を半分ほど読んだ。
またジャック・ラカンについては書いてみたいと思います。



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