去年の暮れから読み始めた「歌うクジラ」上、下(村上龍)をきのうやっと読み終わった。
読む時間をまとまってとれず、少しずつ寝る前に読んでいたので時間はかかったけれど・・・・おもしろかった。
最後の場面は美しかった。たぶん映像として場面が脳裏に浮かんできたからだと思う。
近未来・・・日本は本当にこんな世界になるかもしれないと妙にリアルに感じた。
いまのこの国の状態とみょうにリアルにリンクしている。
この小説のなかのクジラはSM細胞のことで、本当のクジラのことではないけれど。
小説のなかに「喪失感」について書かれていて、その言葉が残っていて、自分のなかにも生まれる喪失感について考えたりしていた。
「喪失感は人に対して生じるわけではない。
何かが決定的に終わる時に生じるものなのだ。
永遠に存在し、続いていく世界があるなら、喪失感もない。夜と昼が交互に訪れるだけで、永遠だけが存在するところでは、恐怖も喪失感も意味や概念を失ってしまう」
そんな風に書かれていた。
たぶん人は時代や環境で、感じ取ることのできる喪失感や郷愁、そういう複雑な感情はまるで姿を変えてしまうのかもしれない。
いまのわたしたちの世代にはあって、子どもたちの世代には感じない感情とかはすごくあるかもしれないと思う。
その時代に生まれ生きることは、そういう目に見えない感情もひっくるめていることなのだろうと思う。
読む時間をまとまってとれず、少しずつ寝る前に読んでいたので時間はかかったけれど・・・・おもしろかった。
最後の場面は美しかった。たぶん映像として場面が脳裏に浮かんできたからだと思う。
近未来・・・日本は本当にこんな世界になるかもしれないと妙にリアルに感じた。
いまのこの国の状態とみょうにリアルにリンクしている。
この小説のなかのクジラはSM細胞のことで、本当のクジラのことではないけれど。
小説のなかに「喪失感」について書かれていて、その言葉が残っていて、自分のなかにも生まれる喪失感について考えたりしていた。
「喪失感は人に対して生じるわけではない。
何かが決定的に終わる時に生じるものなのだ。
永遠に存在し、続いていく世界があるなら、喪失感もない。夜と昼が交互に訪れるだけで、永遠だけが存在するところでは、恐怖も喪失感も意味や概念を失ってしまう」
そんな風に書かれていた。
たぶん人は時代や環境で、感じ取ることのできる喪失感や郷愁、そういう複雑な感情はまるで姿を変えてしまうのかもしれない。
いまのわたしたちの世代にはあって、子どもたちの世代には感じない感情とかはすごくあるかもしれないと思う。
その時代に生まれ生きることは、そういう目に見えない感情もひっくるめていることなのだろうと思う。