S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

切られた風景。

2011-04-11 16:28:37 | Weblog
土曜日朝4時家を出る。

小雨・・・福島に入るころは激しい雨。

東北自動車道は50キロ規制、自衛隊の車、ガソリンのタンクローリー車、トラックも多い。

高速道もいたるところがデコボコし、パッチワークのようになっている。

10時、仙台市内の義母の家に着く。家は被害はなく母も元気。

12時、泉市の弟のアパートに着く、壁に亀裂、前日の余震はすごかったらしくお風呂に水を確保してある。

午後2時、東松島の下の弟のところに着く。想像を絶する光景がずっとひろがっている。
海は見えないのに、強い潮の匂い、がれきの続く何もかもが無い町。

ここのどこを探したらたつきくんは見つかるのか・・・・・途方にくれる風景。


お寺の本堂に町の身元のわかった犠牲者の方々の遺骨が並べられている、遺影、新しいランドセル
小さな長靴、花、重く苦しい空気が流れず止まったような空間に。お焼香をする。

おじさんのお墓のある共同墓地に行く。
お墓は何もかもない、倒れているだけでなく、墓石自体が無い・・・
そして納骨室の蓋もなくなって、眠っていた遺骨がまったく無くなっている・・・
生きている人だけでなく、死者までもを波はさらっていった・・・

からっぽの納骨室にお線香を入れた。

墓地なのに布団、子どものおもちゃ、そしてベビーバス、ヘルメット、あまりにも
場違いなものが散乱している。墓地にあるはずのないものがたくさん流れ着いて運ばれている。

自衛隊の人が重く苦しい表情で、棒を持ち、がれきをどかし行方不明者の捜索をしている。
潮の匂いと泥の匂いと沈みこむ時間の匂いがする。

何かが止まっている風景、

日常が大きな巨大な力でぶった切られたような現実、

確かに1ヶ月前までは普通の日常の生活がこの町のどの家にも在ったはずなのに、それが
鋭利な刃物で切られたモノクロのフィルムのように、ジージーと小さな音をたてて
映写機だけが動いているのに、フィルムが流れていかない、途切れてぶらさがっている・・・

哀しみとは質の違うぽっかりと空虚な無の風景・・・・

何もかもが流されたのだ、巨大な津波に、そしてこの風景が現実なのだと突きつけられる。

お父さんの顔は、何かに怒っているようにも泣いているようにも見えた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする