S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

やっと桜が2分咲きぐらいかな?

2011-04-13 16:35:07 | Weblog
ここのところ笑ったなあと思うことがあまりなくて、笑おうとすると、いろんな現実が
のしかかってきて笑い顔がこわばっていた。

きのう気弱な地上げ屋さんのブログ読んでいたら、原子力安全・不安院って書いてあって
思わず吹き出した。
毎日出てくる不安院の西山さんという人は、1ヶ月にもなるのに、ビシッと7、3分けした
頭と、表情がロボットみたいで、顔を見るたびにある意味すごいと思っちゃう。

テレビの前で泣きだしちゃう東電の幹部の人たちを見ている方が不安になる。

泣くほどひどいのか?とか、泣くほどどうしようもないのか?って・・・

西山さんは1ヶ月何も変わらない顔をしている。でも確かに不安院ではあるなあ・・


そして地上げ屋さんは都知事のことを「おめめパチパチじいさん」と呼んでいて
読んでたわたしはおめめがパチパチしてしまった!


テレビではしきりに同じレベル7でもチェルノブイリとは違うと一生懸命気休めを
言う。

でも、一発で吹き飛ぶのも、ずうっと垂れ流し、放出し続けるのも同じじゃあ??
1年も2年も出続けたら、チェルノブイリと結局同じになっちゃう。

頭の上に黒い雲と黒い雨。
ホウレンソウはしばらく食べていない・・・

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余震頻繁・・・・

2011-04-12 16:16:48 | Weblog
仙台にいく途中、車の中でずっとラジオを聴いていた。

ラジオ福島で、今原発の現場で働いている人に電話インタビューをしていた

その人は「福島の方にご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」と
悲痛な声で謝罪していた。するとアナウンサーの男の人が、「現場で
必死に働いている人にあやまってほしいとは思っていません、私たちは
安全な所にいる東電の幹部の人たちにラジオ福島のインタビューを
申し入れていますが、多忙ですということで、断られています。
本当に謝罪してほしいのはそういう幹部の人たちです。」

と言っていたけれど、そのアナウンサーの言葉に共感しながらラジオを
聴いていた。


今朝から余震がかなりひんぱんに起きている。
緊急地震速報の携帯のアラームが鳴ってばかり・・・

震源地が長野県北部だったり、千葉県沖だったり、福島県だったり、
宮城県沖だったり、その度に、仙台から電話が来たり、千葉の娘の
ところにかけたり、朝からどっと疲れた・・・・

でも肝心な時、携帯電話はすぐに繋がらない・・・


わたしたちのこの国は、いつ不安から解消されるんだろう。

余震の度に、ずっと異常に暴走している福島第一原発なのに、ニュースで
「福島原発は異常なし」?というのが、かなり強烈な皮肉に聞こえる。

そして今朝、福島原発はチェルノブイリと同じレベル7という原発事故
になってしまった・・・


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切られた風景。

2011-04-11 16:28:37 | Weblog
土曜日朝4時家を出る。

小雨・・・福島に入るころは激しい雨。

東北自動車道は50キロ規制、自衛隊の車、ガソリンのタンクローリー車、トラックも多い。

高速道もいたるところがデコボコし、パッチワークのようになっている。

10時、仙台市内の義母の家に着く。家は被害はなく母も元気。

12時、泉市の弟のアパートに着く、壁に亀裂、前日の余震はすごかったらしくお風呂に水を確保してある。

午後2時、東松島の下の弟のところに着く。想像を絶する光景がずっとひろがっている。
海は見えないのに、強い潮の匂い、がれきの続く何もかもが無い町。

ここのどこを探したらたつきくんは見つかるのか・・・・・途方にくれる風景。


お寺の本堂に町の身元のわかった犠牲者の方々の遺骨が並べられている、遺影、新しいランドセル
小さな長靴、花、重く苦しい空気が流れず止まったような空間に。お焼香をする。

おじさんのお墓のある共同墓地に行く。
お墓は何もかもない、倒れているだけでなく、墓石自体が無い・・・
そして納骨室の蓋もなくなって、眠っていた遺骨がまったく無くなっている・・・
生きている人だけでなく、死者までもを波はさらっていった・・・

からっぽの納骨室にお線香を入れた。

墓地なのに布団、子どものおもちゃ、そしてベビーバス、ヘルメット、あまりにも
場違いなものが散乱している。墓地にあるはずのないものがたくさん流れ着いて運ばれている。

自衛隊の人が重く苦しい表情で、棒を持ち、がれきをどかし行方不明者の捜索をしている。
潮の匂いと泥の匂いと沈みこむ時間の匂いがする。

何かが止まっている風景、

日常が大きな巨大な力でぶった切られたような現実、

確かに1ヶ月前までは普通の日常の生活がこの町のどの家にも在ったはずなのに、それが
鋭利な刃物で切られたモノクロのフィルムのように、ジージーと小さな音をたてて
映写機だけが動いているのに、フィルムが流れていかない、途切れてぶらさがっている・・・

哀しみとは質の違うぽっかりと空虚な無の風景・・・・

何もかもが流されたのだ、巨大な津波に、そしてこの風景が現実なのだと突きつけられる。

お父さんの顔は、何かに怒っているようにも泣いているようにも見えた。

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さくらはまだ固い蕾。

2011-04-07 16:52:53 | Weblog
さくら祭りが始まったけれど、桜はまだ固いつぼみのままだ。
きのうテレビで東京の桜は満開に咲いていたのを見た。

でも今日はとても暖かくなって、梅の花はきれいに咲いている。

今年はバスツアーのお客さんも少ない。静かな春だ。


娘は毎日早起きしてはりきって新入社員している。

ちゃっかりお弁当は母親に作らせ・・・・おかげで1時間早く起きるようになった。

都会にいたら満員電車だけれど、娘の会社はかなり山奥?なので、車もあまり通らないのどかな
田舎道をお姉ちゃんが乗っていた年代物のパジェロミニで、トコトコ走っていく。

空気も水もおいしいところだ。



週末はお父さんと二人で車で宮城に行く。

長靴も用意して、気を引き締めて行く。

どんな風景もどんな光景もしっかり受け止めて帰ってきたい。

期日前投票も今日済ませた。

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悲しみと同じくらい怒りも・・・

2011-04-05 16:28:16 | Weblog
自民党との連立は、大増税路線だ。
こんなに大変な時に、まだ増税を考えている火事場泥棒とはこの人たちのことを言うんだろう・・・
顔も見たくない、カン氏や谷口氏、こだまでしょうか?いいえ枝野です・・の枝豆氏、

原発以上にメルトダウンしそうなカン政権


福島原発はオムツの材料を放り込んだり、おがくずや新聞紙を放り込んだり・・もう打つ手が
ないような・・・
オムツ作戦は失敗に終わり、入浴剤も役に立たず・・・

日本には原発関連の組織がこんなにあるのを知ってた?

原発関連機関

独立行政法人原子力安全基盤機構
独立行政法人日本原子力研究開発機構
独立行政法人原子力環境整備促進資金管理センター
財団法人原子力安全研究協会
財団法人原子力安全技術センター
財団法人原子力国際技術センター
財団法人日本原子文化振興財団
原子力委員会(JAEC)(内閣府)
原子力安全委員会(NSC)(内閣府)
原子力安全 保安院(NISA)(経済産業省)
原子力発電環境整備機構(NUMO)
(社)日本原子力産業協会(JAIF)
(社)日本原子力学会(AESJ)
(財)原子力安全技術センター(NUSTEC)
(独)原子力安全基盤機構(JNES)
(社)日本原子力技術協会(JANTI)
(財)原子力安全研究協会(NSRA)
(独)日本原子力研究開発機構(JAEA)
(財)原子力研究バックエンド推進センター(RANDEC)
(財)日本原子力文化振興財団(JAERO)
(財)原子力発電技術機構(NUPEC)
(社)火力原子力発電技術協会(TENPES)
(財)原子力国際協力センター(JICC)
(社)原子燃料政策研究会(CNFC)
(財)原子力環境整備促進・資金管理センター(RWMC



今まで税金で食っていたこれらの組織は、一体今かんじんな時何をしているの?
原子力のプロではなく、原子力にたかって食べていた寄生虫のような組織!


天下りばかりの東京電力と、磁石のようにくっついているだろう組織、
そして原発をぼこぼこ推進してきた自民党政権。

東電の会長は地震の日、マスコミ関係者を連れて中国旅行していたことも先日の
記者会見をネットで見て知った。
これはたぶんいわゆる接待に相当するのかもしれない・・・・
社長はどこかに隠れたまま出てこない。

原発はいったいどれだけの闇を抱えていたのか、
そしてテレビに出てくる東大、京大も東電からは莫大なお金が研究費として
行っていたことが予想できる。

だから東大の先生は必ず言う。
「健康にただちに害はありません」と。

お金が流れていると絶対にマスコミも先生も東京電力に不利なことは言わない。



原発は未来が見えず、気持ちが暗くなる、そして廃炉にするにしても莫大なお金と
長い長い年月がかかる。

わたしはたぶんもう死んでしまっているころだからどうでもいいけれど、
子どもたちや次の世代にまたかなりの荷物を背負わしてしまった・・・

見えない敵との戦いはなんと疲れることだろう。
今まで気にしたこともない風向きまでかなり気にするようになった。
放射線数値も毎日チェックするのが日課になった・・・・

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ずっと悲しい

2011-04-04 16:30:04 | Weblog
お父さんは、ニュースで被災地の情報を見るたびに、ふるさとへの思いが強くなって
いるような様子。
お父さんは石巻で育った。一番幸せだった少年時代だといつも言ってる。
石巻の町には一度行ったことがある。
石巻の港から海を見ていた。

けれど、今は石巻もひどい被害だ。

お父さんには下に3人弟がいる。
今回一番下の弟の子ども、樹君が、東松島で津波の被害にあって、まだ見つかっていない。
樹くんは小学校3年生だ。
ずっとずっと、とにかく樹くんが見つかることを祈る毎日だった。
震災から3週間が過ぎた。

お母さんが、必死に探しているけれどどこもかしこもがれきの山・・・・
写真をおくってもらった自宅の周りも気が遠くなるようながれきの山だ。

子どもを探す親がまだたくさんいて、親を探す子どもがまだたくさんいて、
様子をきくたびに切なくてたまらない。


自然のすさまじさで呆然とする。

今週か来週にはお父さんと宮城に行こうと思っている。

遠くにいて何もできなくて・・・とずっと言っていた。


3週間たってまだ心の奥が痛い。

世界をみる目がどこか前と違ってきてしまった。


きのうの新聞で福島のがれきの中を防御服を着て、捜索する方たちの写真を見た。
薄茶色のがれきのなかに白い防御服の人。
おくるみにくるまった赤ちゃんの遺体を白い人が抱きしめている。

どうしてこんな悲しいことが起きちゃったんだろう・・
3週間たってもそればかり思う。

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娘の入社式の日

2011-04-01 16:39:02 | Weblog
4月1日・・・・次女は今日入社式。

卒業式もなかったぶん、久しぶりに朝少し気合が入ってご飯も2膳食べでかけていった。

今日から社会人として、希望を持ってがんばってほしい。


今はなんだか暗いことばかりで、なかなか元気になれないけれど、次女は今日自分に気合入れる
みたいに、元気よく「行ってきます!」と大きな声で笑顔で出て行った。

車での通勤が今日から始まるので気をつけて運転してほしい。

さあ、また少し新しい風を入れて我が家の毎日が始まります。


今朝はあたたかかったのでこだまは雑草の生え始めた庭でのんびりしている。

日差しが明るい。

何もなかったように春がはじまる・・・・

それでも少し悲しい傷が隠れている春の青空だ。

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