「旅の記録 ~ 20世紀編」から1979年に18歳のワシが行った初の海外旅行の記録と記憶をご紹介デス♪
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3月12日~3月16日/ ムンバイからジャイプールへ
さて、一夜明けると兄がなにやら騒いでいます。
網棚に一緒に上げたザック(バックパッカー御用達のフレームザック)を通路側に置いておいたので布地部分をナイフで切られてフィルムとか非常食とかチマチマしたモノを盗まれたとのこと。 撮影済みのフィルムを盗まれたのが残念で、それが「その1」の写真が少ない理由なのです(悲)
しかも、持っていったのが110サイズのカセットフィルムを使う、その昔流行っていたポケットカメラ(横長のヤツ)だったのでインドでのフィルム入手はきわめて困難。 カメラ本体は無事だったのでその残りと1本だけあった交換用のフィルムで凌いでいたので写真の枚数が極端に少なくビジュアル的にはイマイチの記事になっているのはそんな事情でございます(← 言い訳)
そんな一騒動があったものの、買い込んだパンやインドの駅弁を食べて空腹を満たし、ホテルでもらって水筒に入れた水(湯冷まし)や缶コーラで喉の渇きをいやしながら、ひたすら汽車に揺られ続けます。
夜の10時頃に同行のインド人(iサンの商売仲間…後述)が「乗り換えないとダメだ!」と唐突に言い出して、どっかの駅で焦って乗り換えますが、この乗換駅でいただいた特注のチャイ・スペシャル=牛乳のみで紅茶を煮出したヤツは今でも牛乳と生姜の味、そして甘さを思い出せる気になるくらい美味しかったなぁ…
遅れたのかどうかもよく分からないままに、ようやく汽車がジャイプールに到着したのは出発した翌々日の朝4時半です。
3ベッドの部屋で一泊65RPS(1600円くらい)の「Park View Hotel」はそこそこヨイホテル(エアコンがついている)で、お宿のヒトの感じも良さそうで、とりあえず安心したせいか汽車旅の疲れがどっと出ます。
でもって、昼近くまで寝ていたらドンドンとドアを強く叩かれて起こされました。 真っ昼間だから強盗ってことはないだろうとドアを開けたら、いきなり外に引っ張り出されて顔をゴシゴシこすられます。 ナンダナンダと兄が出てくると同じようにされ、青い染料を顔に塗りつけられています。
どうやら「フーリー」という祭りのど真ん中に当たってしまったらしいのですが、いやぁ~貴重な経験をさせてもらいました(爆)
その祭りのどさくさに紛れて近所の「イスラーム」という偉そうな名前のへんちょこりんのガキンチョがなついてきて、ジャイプール滞在中は結構かまい&かまわれて遊んでおりした。
しかし、30年経った今頃、彼は何処で何をしているのでしょうか?
シャワーを浴びなおして、どうにか元気になったワシら一行はiサンの仕入れに付き合いがてら銀細工市場や民芸品系の卸売屋に同行させてもらいました。
その中のとある店でムンバイから同行してきたインド人の知り合いらしき人物(後から聞いたらそんなヤツは知らないと言ってました)にジャイプールからアグラまでのバス手配を頼んだのです。 正確にはワシも同席している時に兄が頼んだのですが、直前で痛い目をみていたワシは「気安くお金を渡し過ぎだよなぁ…それにバス代がそんなにかかるわけないじゃん」と思い、その旨を慎ましやかに申し出たのですが「ヒトを見る目のないお前と一緒にするな」光線を出されたので黙ってしまいました。
結局はキップを買いに出かけていつまで経っても戻らずに、US$100を騙し取られて逃げられてしまったのですが、兄曰く「お前の半分で済んだからいいよな」って、そういう問題かい(苦)
加えまして、兄はその店でと~っても安っちい土産物を結構よい値段で買い込み、半値以下に値切ったのでよい買い物をしたと喜んでおりました。 兄はジャイプール経済に多大な貢献をしたので、その後の旅でジャイプールの神様のご加護があることでしょう(苦) まあ、兄は兄で経験値の低い若干二十歳の学生サンでしたしねぇ…
その腹いせではないのですが、ワシの方は宿のご主人に日本で150円で買ったダイヤル錠を40RPS(1000円)で売りつけてみました。 宿代と相殺だったので心はあまり痛まなかったのですが、そのダイヤル錠をえらく気に入ったご主人が夜ゴハン(勿論、インドメシなのでカレーです)をご馳走してくれたのには恐縮してしまいました。
当時の発展途上国を旅するバックパッカーの間では日本で仕込んできたモノをイロイロと売り捌いて旅費を稼ぐというのは普通だったのですが、我が兄弟の間では、モノを売るのはワシの係で、モノを買うのは兄という役割分担が出来たのはちと不公平かと思いませんか?
次の日は「Pink City」と呼ばれるジャイプールの旧市街を探索すべく、宿のヲヤジに手配してもらったリキシャに乗って出発します。
まずは、人任せにせずにバス会社の事務所でアグラ行きの上等なバスのチケットを買うトコロから始めます。 3人分で75RPS(2000円弱)でした(だからいきなりUS$100とか渡すなよな~)。
ところでPink City と呼ばれる所以ですが、建物の多くがピンク色の石造りで統一されていることです。 オールドファッションドなインドという感じのなかなかノンビリしたところで、なかなか落ち着きます。
ジャイプール滞在の3日目は、兄は町へ買い物に行き、オトートは市場へ電卓を売りに行きました。 当時で日本では3千円くらいだったと思いますが、中古でも10桁表示が気に入られて360RPS(9000円くらい)で買っていただきました。 毎度、ありがとうございます。
そんなワタクシですが、これまでの会社員人生で対人セールス系の仕事に就いたことはなく、ここで発揮した販売力が本物だったか謎のままデス。 ちなみに「1994年 ゴビ砂漠を越えて…引き返してきました」シリーズでは『砂漠の炎熱商人』と呼ばれておりました。
さてさて、この日は午後3時過ぎのバス(高級バス)でジャイプールからアグラに向かいますが、途中の町で結婚式の行列に出くわすハプニングもあり、5時間ばかりのバス旅は汽車の長時間移動に比べれば天国でした♪
【インドで考えたコト ②】
実は、このジャイプールでiさんは仕入れのためにソコソコのお金をインド人に預けたのです。 当然ながら騙され経験からも間もないワシは不安そうな目で見つめていたのですが、iさん曰く
「んっ、ああ、これは騙される(日本に荷を送ってこない)確率は5割くらいはあると読んでるわよ。 このお金でキチンと品物を仕入れて日本に送ってくれたら信頼できるパートナーとしてもう少し商売っ気を出すけど、そうじゃなければアタシの負け。 まるっきり信用できないってほどでもないけど、騙されたらここ(ジャイプール)までのガイド代だと思ってあきらめるわよ。」
ですって(驚)なんて太っ腹な女性なのでしょうか! ちなみに、日本に帰ってから顛末を聞いたトコロ、ハズレ男だったそうです(悲)
そんな話をした夜に「そもそも騙されるような環境に我が身を置かなければよいのだが、そうもいかないことも多いだろうから自分で許せる損害額ってのが分かっていると行動の判断基準というヤツができて楽だなぁ(今ならリスクの適正な評価かな)」などと『インドでワシは考えた』のデシタ♪
(続く…)