自走式移動胃袋 ~ The nomadic stomach ~

インドでワシは考えた・番外編

旅の記録 ~ 20世紀編」から18歳のワシが行った1979年海外旅行の記録をご紹介デス♪

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ちょっと前に最終回と銘打って皆様からのコメをかき集めたのですが、自分で読み返したりしている内に気づいた本編で書ききれなかったいくつかを「番外編(おまけ)」としてご紹介いたします。

【宿泊】
宿泊はほぼ行き当たりバッタリの現地調達でした。
バスタブがないのは当たり前、お湯が出てもすぐに水になるなんて宿ばかりでしたが、何故かメモには妙に細かい宿泊先の記述が残っているのです。 その半分でも食べ物のコトをメモしておけばよかったとちょっとばかり後悔しています(嘘)

現地調達ということで予約なんぞしていないのですが、真夜中近くに長距離バスのバス停に放り出されても、下りたって数秒後にはリキシャとかタクシーの運ちゃんが
「どこまで行くの? いいホテルあるよ!」
とすり寄ってくるので、選択肢がなくて困るというようなコトはありませんでした。
しかし、その後が大変で運ちゃんに連れて行かれても、実際に部屋を見て確かめないと危ないので、部屋を見ては、
「こんなトコロは嫌だ!」とか、
「いいか分かるか! 泊まりたいのは『cheap and clean』なホテルだっ『cheap』なだけじゃダメなんだ!」とか、
「一泊いくらだ…高い…高い! 俺たちプアなスチューデントだぞ!(← 彼らにしてみれな金持ちのボンボン以外のナニモノでもないのですがね)」とか、
丁々発止のやりとりがあり、なかなか苦労したものでした。

そして、この旅以来というか、若い頃は山登りとかしていたせいもあり、ワシは旅にあっては宿泊環境にはほとんど文句をつけないようなカラダとココロになってしまったのでした。

【服装と洗濯】
旅の中盤以降はほぼ同じ格好で、長袖の綿シャツに綿パンが基本で、急激に体重が落ちたので使えなくなったベルト代わりの織物ベルトとよく分からないマフラーを首に巻いてというのがその姿ですが、日射し対策や唐突にある冷房攻撃への備えとしてもほどよい組み合わせでした。



肩からかけているのは、資生堂おまけでもらったMG5のビーチバッグで、とっても貧乏臭そうにみえるのですが容量も十分だし使いやすいのでこの旅ではとっても役だったアイテムでした。 でも、なんか最後の最後に2~3ルピーで売り払ったような気もするなぁ…だって、日本じゃ絶対に使わないですもんね。
そうそう、足下は現地調達した本革のビーサンです(笑)

洗濯ですが、自分の分と兄の分を洗濯石けんでゴシゴシやっていたはずなのに全く記憶にございません。 かすかに残っている記憶は、洗濯してもすぐ乾くので楽だったということぐらいですか…

【食事】
拙ブログは旅と食の二本立てを標榜しておりますが、本シリーズでは食事の写真もないし記事でもほとんど触れていません。
本シリーズにおける一般的(?)な食事パターンというと、朝はホテルとか道端のカフェとかで紅茶(ちょいと奮発すれば抜群に美味しい紅茶をゲット可能です)とトースト+時々目玉焼き。
昼はコーラとサモサ(インド式饅頭?)あたりをつまんで、夜はカレー系のインド料理ということが多かったと思います。

結構三食付きの宿に泊まったことが多かったのですが、そういう宿は外人向けのホテルなのでそこでいただく簡単ながらも一応は洋風の食事には結構助けられたのでした。
というのが、インドの食事は基本的に『全てカレー』なので、少々閉口していたわけであります(爆)

そうそう、インドの食事は『全てカレー』と書きましたが、これは同じコトを某在日インド人の方に言われたことがあります。
カレーというのが、日本のゴハンとか、メキシコのタコ(ス)という言葉に相当するわけではないはずですが、確かにほぼ全ての食べ物がカレー風味だったのはクッキリと憶えています。
例えば、タンドリーチキン(高級なので1~2回しか食べなかったはず)ですが、日本で食べたれば「カレー」とは思わないでしょうが、インドで食べると「カレーの一種」と思ってしまうということかなぁ…

いずれにしても、ネパールだとインチキ中華を喜んで食べていたような気がする…とか、かなり記憶が曖昧です。 兄がほぼ常にお腹を壊していたのと、他の刺激が強すぎたのであまり食に意識がいかなかったのかなぁ…いやはや、食に関するメモがほとんどないのですよ(悲)
ちなみに、ワシ自身はヘビーにお腹は壊さなかったのですが、体重は受験太りの解消を含め5kg減でした。

【情報】
インターネットという言葉すら存在していない時代ですから、ましてやその頃のインドではほとんど日本の情報が入らないというのが当たり前過ぎた話です。 (当時の)ワシのようにすっぱり(除、受験結果)と諦めればよいものを、なんとか頑張って日本の情報を取ろうというヒトも多かったのです。

ワシは行きませんでしたがJALの事務所に行けばかなり新鮮な日本の新聞が読めたそうなので、長期滞在者の中にはオフィスに入り浸っていたヒトもいたようです。 当時のJALは結構懐が深く受け入れてくれていたようですが、そのJALも今ではねぇ…

そして、バックパッカーというか日本人若者放浪者の中には何ヶ月もインドに滞在している輩もざらなのですが、世捨て人を気取っていても日本のコトを知りたいのか、単に人恋しいのか判りませんが、新参者がやってくれば擦り寄ってきては日本の話や新聞・雑誌の類をねだられます。
まあワシは未熟者なのでそうそうかまわれませんでしたが、兄は結構人気者でした(苦)

そんな日本男子系長期停滞者がウケを狙ってなのか、本気なのかは不明ですが、よく定番で聞かれたのは
「昭和天皇は…?」
というヤツです。
不遜な話ですが、自分は日本と切り離さた環境にいるのだが愛国心があるというアピールだったようにも思います。

【続き】
「インドでワシは考えた」シリーズはなんだかんだと書いてきて量もかなりのものになってはいますが、思い出せなかったものの方がはるかに多いはずです。
かといって、思い出す度に追加で記事をアップするのも恥ずかしいので、思い出したらこの「番外編(おまけ)」記事にそっと書き足そうと思っております。
主として自分の老後の楽しみのためですが、よろしければ時々チェックしてみてくださいね♪

ではでは、あらためまして本シリーズにお付き合いをいただきました奇特な皆様(&あきれながらも見守っていただいた一般読者諸氏)に御礼を申し上げて一巻の終わりとしたいと存じます。
ありがとうございました。

(おしまい)

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コメント一覧

とも2
よかったですね♪
>いその爺さん

とりあえず落ち着いたみたいでよかったです。

この革サンダルはつくりもしっかりしていて、かなり丈夫でしたが、さすがに日本ではあまり活躍しなかったですね。

こちらこそよろしくお願いいたします。
とも2
あはは~
>kanさん

いや…多分…実は…あまり自信がないのですが、まあ、がんばってみます。
いその爺
皮のビーサン
当時 皮のビーサンって日本では珍しい物でしたよね、
とも2さんのインド旅行の数年後にハワイに行って皮のビーサンを見つけた私は土産に沢山買い込んだ記憶があります。
安価で作りも雑でしたのできっと輸入物だったのだな、とブログを拝見して気が付いた次第です。

随分と得意な顔して履いていた記憶があります。汗

愚息の件、ご心配頂きありがとうございました。
今後も宜しくお願いします。
kan
おつかれさまです。
それでは、ときどきチェックさせていただきます~
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