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3月29日~4月2日/ デリーからムンバイ、そして日本へ
さてさて、長らく続いてきたこのシリーズもようやく最終回を迎えるはずですが…
元ネタ(写真とか)を年末に仕込んでおいたのに実際に書き始めるとなかなか筆も進みませんし、結構ツライ日々が続いたというのはコチラの都合でございます(謝)
そんなこんなで旅の最後は、デリーからムンバイへ飛行機で一気に飛んでしまうところからスタートです。
当時の国際線チケットは3日前にリコンファームといって、予約の確認をしないとフライトは自動的にキャンセル、特に安チケットは再起不能というシステムだったのです(10年くらい前まではそれに近いシステムだったかと思います)。
本来なら電話一本で済むはずですが、デリーにはエジプト航空の事務所はないし、電話はかけ方もよくい分からないしと、でも帰れないとマズイしというので早めにムンバイに入ることにしたのです。
そして3週間振りのムンバイは懐かしく、何か「帰ってきた」という感じがします。
それまでに仕込んできた旅人情報から、泊まることにしたのは「安くで楽な」「Sea Green South Hotel」で、泊まって3食付きは一泊 170RPS(4000円ちょい・2人分)というかなり小綺麗なインド洋が臨めるホテルです。 出発までの最後の3泊をここで過ごすことにしたので、これでホテル探しをしなくてもよいとホッとしました(ホテル選びは相当のストレスなのです)。
とりあえず宿を決めたらすぐにエジプト航空に直接出向いて、リコンファームが出来れば気分はもう日本です♪
そしてこの後に及んで、一旦は回復したと思われた兄がもはや何度目か分からない謎の発熱に苦しみます。
といっても、症状は軽いので放置することにして、ワシは出発までの日々を勝手知ったる(?)ムンバイの町で最後のインドを味わうことにします。
急激に経験値を高めたワシは相当に怪しげになっているはずですが、最後の最後で大トラブルに巻き込まれることない程度には用心をして町をブラブラすることにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/59/99063ae309ad72cc5f7a1b3c29edd49d.jpg)
そして最後に持ってきたカメラや目覚まし時計を売り払らおうともしたのですが、カセットフィルム式カメラはフィルムが入手困難なため不人気だし、さすがに目覚まし時計くらいは普通に流通しているので、モノを売るのは割とアッサリとあきらめました。
まあ、気合いも入ってなかったし、何となく旅の記念品としたいなぁ…とも思っていたのでねぇ(笑)
話は転々としますが、ワシがムンバイで一番好きなのはインド門からタージマハルホテルにかけてのエリアでした。 街中を散歩するのに疲れるとなんとなく、その辺りの公園というか、芝生で転がってボーっとしていたのが懐かしく思い出されます。
そのタージマハルホテルが2008年のテロで傷ついてしまったのを見たときにはとても悲しい気持ちになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/fe/7394e307d4331b6a9b13f6a61f18677e.jpg)
日がな一日、街中をぶらついていると、同じ便で帰るツアーで一緒だったヒト達に再会したり、インド到着して間もない旅行者(美大を中退してやってきたH女史)を知ったかぶりで案内したりしてほろほろと時間が過ぎていきます。
勿論、嫌なことや予想外のコトなどにも出くわします。
例えば、インドでは貧しい階層の人々が旅行者にお金をねだるのは普通のことですし、それを旅行者が追い払うのも普通のことですし、気が向けばちょっとばかり施しをするのも普通です。 とこがある時、貧相な乞食がワシに金をねだってきたので邪険に断ると、そいつは縫い針のようなものを持って脅しをかけてきたのです。 人通りのある市場かなにかのデキゴトだったのですが、さすがにそれはルール違反だろうと温厚なはずのオトートはその乞食をぶちのめしてくれようと、
「てめぇー、じょうだんくれてんじゃねえぞ!(怒)」
と(いつでも逃げられる体制で)日本語で怒鳴ったトコロ、中産階級らしきヲジサンが間に入ってきて
「まあまあ、こいつもかわいそうなヤツだから、とりあえず1ルピーあげてやっておくれ」
などと仲裁いただいたようなこともありました…(渋々あげた1ルピーは、おつりでもらったセロテープで貼り合わせたボロボロの札でした)
また、ワシが施し(?)を受けたコトもあります。
当時のインドにはお金を入れて体重を計ってくれる機械がソコソコにありまして(そういえば日本にもあったような…)、ワシは体重を計ってみようとゴソゴソとポケットを探したのですが、丁度の硬貨(10パイサ=2円)がありません。
そこで、ワシはたまさか通りがかった紳士に5パイサ硬貨2枚を出して
「申し訳ないが、ご紳士。 ワシは体重測定をしたいので、もし10パイサ硬貨を持っていらっしゃればこの5パイサ硬貨2枚と交換していただけないであろうか?(Excuse me, Sir. Since I would like to check my weight by this machine, could you exchange two 5 pisa coins to a 10 pisa coin … くらいかなぁ?)」
と、旅行中に飛躍的に向上した英語力を駆使して交渉したところ、無言で10パイサを差し出され、
「あげる(It's yours)」
と言われ、何も受け取らずに去られてしまったことなどもあったりします(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/44/c22ff6b159d7d3d189b626f4307ce9a5.jpg)
そしてインド洋に陽が何回か沈むのを見ると、そんな旅にも終わりの時がやってきて日本へ帰国するのですが、実は帰国の前後の記憶が実に曖昧なのです。 勿論、30年以上も前の話ですから鮮明に覚えているわけもないのですが、他のシーンと比べると妙に記憶が飛んでいるというか、例えばタイムスリップとかワープした時の混乱みたいなものかなぁなどと思っています。
ひとつ鮮明に覚えているのが、成田到着時の入国時の検査でインド帰りの怪しいワシらは大麻など持ち込んでいないか隅々までチェックされた時のことです。
兄がアグラ(だったかなぁ?)で大枚叩いて「これは一生モノ」と言って買った大理石を削り出してメッシュ(編み込み模様の透かし彫り?)の箱にした非常に繊細な彫刻がザックの中から取り出されました。
インド4000年(?)の歴史により、シッカリキッチリとがんじがらめに包装された中からモノを取り出した検査官は何も怪しいモノが出てこないので悪いと思ったのか、
「素敵な彫刻ですね。高かったでしょう。」
などとやたらにその彫刻を誉めてくれた光景が妙に記憶に残っています。
そんな入国審査も無事にクリアして、半分は夢見心地で成田から横浜にある我が家へと到着すると、1ヶ月近く離れて暮らしていた母親からの第一声が「あんた達!臭いからとっとと風呂に入りなさい!!」だったのは少々ショックでした(爆)
風呂に入り、すっかりキレイになったワシらはワラワラとみやげ話をしながら、兄はゴソゴソとみやげモノを取り出し始めます。 すると、
「あっ! うっ! えっ~!」
という兄の声にならない声が飛び出します。 なんと大枚叩いた彫刻の網の部分が欠けてしまっていたのです。
「あの検査官が雑に包むから…」
などと、しきりと悔しがる兄の傍らで、ワシは誰にも聞こえないように
「形あるものはいつかは壊れる。 それが早いか遅いかの違いだけ…祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きアリ…色即是空 空即是色…心配だったらザックに入れないで手で持って帰ればよいものを…ホッホッホ」
などと呟いていたのでした(推定)。
なにはともあれ、正規の旅行費用に加え数百ドルもの追加授業料を巻き上げられたワシの初めての海外旅行は健康な心身に多くの得難い経験を詰め込んで終了しました。
そして、かかる経験がこの後の人生に少なからず影響を与えたことは否めず、正負の両側で内なる経験値として蓄積され、判断に際しての評価基準のひとつになったと思います(う~ん、メモ丸写しなので何を言っているのかよく分からん)。
そして、かような貴重な機会を与えてくれた両親と兄に感謝しつつ、ワシは世俗の垢にまみれての浪人生活に突入していくのでした♪
【ネタ帳&インドで考えたコト Final】
今回の記事は当時の(かなりムラッ気の強い)旅日記というかメモを見ながら、徐々に思い出していった記憶を手繰って何とか書き上げたのですが、予想以上にモロモロのコトを憶えていたとはいっても30年の間に脳内熟成された思いこみの部分も多々あるかと思います。
我妻などは30年前のデキゴトを昨日のことのように書いている拙ブログをみて感心したような顔をするのですが、ハッキリ言ってかなり創ってます(爆)
尚、当然ながらこのシリーズにガイドブックとしての機能は全くありませんが、こんな旅をしてきたのですよというワシの自己紹介と思って許してやってください。
そして、この文字が多くて写真の少ないシリーズにここまでお付き合いくださった読者の皆様に感謝いたします。 ありがとうございました♪
おそらくワシの旅の原点はこの旅にあるのでしょうが、当時はそんなコトは気づきもせずに、
「旅をするのはお金が有ってキレイなホテルに泊まって、移動もあらかじめ手配しておいて、有名な観光地をチョロッと見て美味しいモノを食べるのがきっと楽でよいのだろうなぁ♪ いつかそんな『旅行』をしたいけど、それは『旅』じゃなくて『旅行』なのだろうなぁ…ワシは『旅行』もするけれどいつまでも『旅をするヒト=旅人』でありたいなぁ…」
などと『インドでワシは考えた』のデシタ♪
(おしまい…でも、続きがあったりして…)