歳をとると、だんだん、自分が世の中に要らなくなってきたのを肌で感じるようになる。
自分が居なければ回らなかった家計、育児、介護。職場では、わたしのかわりはいくらでもいるという感覚はいつでもあったが、家の中では、他に担うものがいないという責任感が自分を支えていたのだろう。よくもまあ踏ん張れてきたものだと、あとからその過酷を振り返ってあきれたりする。だが、それを評価してくれる存在はとうに鬼籍に入っていて。誰一人、おまえは頑張ったと覚えていてくれるものはない。そして、担うものがなくなった今、わたしは、まだここにいてよいのだろうかと、こころもとない。
長年すれ違っていた夫婦が晩年になり、ふたたびむつまじく暮らすようになるきっかけは、案外そんな、物寂しさをふと共感しあう瞬間からかもしれない。
自分に関わる過去を語り合える相手がいない荒涼と、わたしと同じ立場の人はどう向き合っているのだろう。