恵蘇八幡宮(えそはちまんぐう)
<通称>木の丸殿(このまるでん)
【鎮座地】〒838-1306 福岡県朝倉市山田166 旧筑前国 上座郡
【御祭神】譽田別天皇 天豐財重日足姫天皇 天命開別天皇
【例祭】10月15日 例大祭
【旧社格等】 郷社
【御由緒】
郷社 恵蘇八幡宮 木の丸殿
祭神 斉明天皇(第35代皇極天皇 第37代)
応神天皇(第15代)
天智天皇(第39代)
由緒 斉明天皇七年(西暦661年)建立
斉明天皇は百済救済のため朝倉町長安寺の橘広庭宮に皇居と大本営を遷されました。中大兄皇子(後の天智天皇)は、国家安泰と武運長久を御祈願のため、宇佐神宮の祭神応神天皇の御霊を斉り、朝倉山天降(あもり)八幡と崇められました。その後、天武天皇の御代、白鳳元年(673年)斉明、天智天皇の二神霊を勅命により合せ祭り恵蘇八幡三柱大神と称しました。
昔は、上座郡中三十三村の総社でしたが、現在朝倉町の総氏神です。
斉明天皇藳葬地(御殯斂地)
山上には斉明天皇の御陵といわれる前方後円墳があります。斉明天皇は661年5月9日(新暦6月14日)橘広庭宮にお着きになり7月24日(8月27日)病のため崩御されました。(御年68歳)中大兄皇子は御遺骸を、一時山上に御殯葬され軍を進め後に奈良県高市郡越知岡村へ移されると記されています。
木の丸殿遺蹟
天智天皇は、斉明天皇の御殯葬のあと、御陵山下に木皮のついた丸木で、忌み殿を建て12日間喪に服されました。後世人々が「木の丸殿」と呼ぶました。
天智天皇御製
秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ、我が衣手は露に濡れつつ(小倉百一首)
朝倉や木の丸殿に我居れば 名のりさしつつ行くは誰が子ぞ(新古今集)
(境内案内板より)
拝殿
拝殿の扁額
本殿
社殿全景
<通称>木の丸殿(このまるでん)
【鎮座地】〒838-1306 福岡県朝倉市山田166 旧筑前国 上座郡
【御祭神】譽田別天皇 天豐財重日足姫天皇 天命開別天皇
【例祭】10月15日 例大祭
【旧社格等】 郷社
【御由緒】
郷社 恵蘇八幡宮 木の丸殿
祭神 斉明天皇(第35代皇極天皇 第37代)
応神天皇(第15代)
天智天皇(第39代)
由緒 斉明天皇七年(西暦661年)建立
斉明天皇は百済救済のため朝倉町長安寺の橘広庭宮に皇居と大本営を遷されました。中大兄皇子(後の天智天皇)は、国家安泰と武運長久を御祈願のため、宇佐神宮の祭神応神天皇の御霊を斉り、朝倉山天降(あもり)八幡と崇められました。その後、天武天皇の御代、白鳳元年(673年)斉明、天智天皇の二神霊を勅命により合せ祭り恵蘇八幡三柱大神と称しました。
昔は、上座郡中三十三村の総社でしたが、現在朝倉町の総氏神です。
斉明天皇藳葬地(御殯斂地)
山上には斉明天皇の御陵といわれる前方後円墳があります。斉明天皇は661年5月9日(新暦6月14日)橘広庭宮にお着きになり7月24日(8月27日)病のため崩御されました。(御年68歳)中大兄皇子は御遺骸を、一時山上に御殯葬され軍を進め後に奈良県高市郡越知岡村へ移されると記されています。
木の丸殿遺蹟
天智天皇は、斉明天皇の御殯葬のあと、御陵山下に木皮のついた丸木で、忌み殿を建て12日間喪に服されました。後世人々が「木の丸殿」と呼ぶました。
天智天皇御製
秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ、我が衣手は露に濡れつつ(小倉百一首)
朝倉や木の丸殿に我居れば 名のりさしつつ行くは誰が子ぞ(新古今集)
(境内案内板より)
拝殿
拝殿の扁額
本殿
社殿全景
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