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鹿児島神宮(鹿児島県霧島市)を掲載しました。
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)
【鎮座地】〒899-5116 鹿児島県霧島市隼人町内2496-1 旧大隅国 桑原郡
【御祭神】天津日高彦穗穗出見尊 豐玉比賣命
(配祀)帶中比子尊 息長帶比賣命 品陀和氣尊 中比賣命
【例祭】 8月15日 例祭
【旧社格等】旧官幣大社(現別表神社)
大隅國一宮
式内社 大隅國桑原郡 鹿兒嶋神社(大)
【御由緒】
鹿児島神宮由緒
鹿児島神宮の創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代なりとも伝えられます。御祭神彦穂穂出見尊は筑紫の国開拓の祖神に坐しましこの地に高千穂宮(皇居)を営み給い、五百八十歳の長寿に亘らせらるる間農耕畜産漁猟の道を指導し民政安定の基礎をつくり給うたのである。
俗に正八幡、国分八幡、大隅正八幡等と称し全国正八幡の本宮でもあります。醍醐天皇の延喜の制には(九Ο一年)大社に列し大隅一ノ宮として朝野の崇敬特に篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(一一九八年)には社領二千五百余町歩の多きに至り江戸末期まで千石を有して居た。
明治四年国幣中社、同七年神宮号宣下官幣中社、同二十八年官幣大社に夫々列格す。
昭和十年今上陛下の行幸を仰ぎ勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。
現社殿は桃園天皇の宝暦六年(一七五六年)島津重年公(廿四代)の造営になるものである。
(平成祭データ)
参拝時、丁度朝からの雨が激しくなり、写真はあまり良くありません。参拝が終わると同時に小降りとなりました。
鹿児島県霧島市(旧姶良郡隼人町)にあります。日豊本線隼人駅から北に1km、日向三代の宮居である高千穂宮の跡とされる日向山の麓に鎮座しています。
境内入口
境内入口には三之社の祠が三つ並んでいます。
右手前から豐姫命・磯良命、右奥は武甕槌命・經津主命 左は火闌降命・大隅命が祀られています。
明治40年8月吉日の奉納の二鳥居をくぐると参道両脇は駐車場になっています。
奉納木馬
昭和18年2月吉日の奉納です。
御神馬を先頭に鈴懸馬多数が人馬一体となり踊りながら参拝する神事の初午祭は2~30万人の人手で賑わいます。
参道
社殿のある境内までは三つの階段の参道が続きます。
2番目の階段の前には太鼓橋があり、両側に門守社があります。
参道
社殿のある境内への階段です。手前左に社務所がります。
手水舎
参道の階段を上ると左にあります、朱塗りの鮮やかな手水舎です。
社殿全景
手前から勅使殿、拝殿、本殿と連なっています。
県指定 有形文化財
鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿
平成二年三月二十三日指定
鹿児島神宮本殿は、宝暦六年(西暦一七五六年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財(建造物)として指定されました。
本殿の構造は、柱間が正面七問、側面四問の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。本殿の壁画は薩摩藩の画家、木村探元の筆になると伝えられています。
本殿につながる拝殿は縦長で、天井の格子には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛を託された勅使をお迎えする所として作られています。
隼人町教育委員会
(案内板より)
勅使殿
鹿児島地方独特の建築様式の勅使殿です、左右は長庁が接続されています。
勅使殿の扁額
色鮮やかな勅使殿の扁額
本殿
御祭神は天孫瓊瓊杵尊のお子、天津日高彦穂穂出見尊(山幸彦)とお妃豊玉比売命です。相殿に仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、中比売命(同皇后)が祀られています。
正八幡、国分八幡、大隅正八幡等といろいろな呼び名があります。創祀は遠く神代にあって、又神武天皇が東征の出発に際して創建したとも伝えられています。
拝殿から本殿
社殿の屋並
手前から、長庁、拝殿、本殿です。
境内社、四所神社
本殿右に並んであります。四所神社(御祭神:大雀命 石姫命 荒田郎女 根鳥命)です。
境内社、武内神社と隼風神社
社殿右、公孫樹の両脇にあります。左、武内神社(御祭神:武内宿禰)、右、隼風神社(御祭神:日本武尊)です。
御神木
社務所の前、社殿のある境内への階段のそばにあります。
建久年間(1190~1198)に植樹された大楠です。前に雨之社(御祭神:豐玉彦命)があります。
二の鳥居から参道
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)
【鎮座地】〒899-5116 鹿児島県霧島市隼人町内2496-1 旧大隅国 桑原郡
【御祭神】天津日高彦穗穗出見尊 豐玉比賣命
(配祀)帶中比子尊 息長帶比賣命 品陀和氣尊 中比賣命
【例祭】 8月15日 例祭
【旧社格等】旧官幣大社(現別表神社)
大隅國一宮
式内社 大隅國桑原郡 鹿兒嶋神社(大)
【御由緒】
鹿児島神宮由緒
鹿児島神宮の創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代なりとも伝えられます。御祭神彦穂穂出見尊は筑紫の国開拓の祖神に坐しましこの地に高千穂宮(皇居)を営み給い、五百八十歳の長寿に亘らせらるる間農耕畜産漁猟の道を指導し民政安定の基礎をつくり給うたのである。
俗に正八幡、国分八幡、大隅正八幡等と称し全国正八幡の本宮でもあります。醍醐天皇の延喜の制には(九Ο一年)大社に列し大隅一ノ宮として朝野の崇敬特に篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(一一九八年)には社領二千五百余町歩の多きに至り江戸末期まで千石を有して居た。
明治四年国幣中社、同七年神宮号宣下官幣中社、同二十八年官幣大社に夫々列格す。
昭和十年今上陛下の行幸を仰ぎ勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。
現社殿は桃園天皇の宝暦六年(一七五六年)島津重年公(廿四代)の造営になるものである。
(平成祭データ)
参拝時、丁度朝からの雨が激しくなり、写真はあまり良くありません。参拝が終わると同時に小降りとなりました。
鹿児島県霧島市(旧姶良郡隼人町)にあります。日豊本線隼人駅から北に1km、日向三代の宮居である高千穂宮の跡とされる日向山の麓に鎮座しています。
境内入口
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右手前から豐姫命・磯良命、右奥は武甕槌命・經津主命 左は火闌降命・大隅命が祀られています。
明治40年8月吉日の奉納の二鳥居をくぐると参道両脇は駐車場になっています。
奉納木馬
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御神馬を先頭に鈴懸馬多数が人馬一体となり踊りながら参拝する神事の初午祭は2~30万人の人手で賑わいます。
参道
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2番目の階段の前には太鼓橋があり、両側に門守社があります。
参道
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手水舎
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社殿全景
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県指定 有形文化財
鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿
平成二年三月二十三日指定
鹿児島神宮本殿は、宝暦六年(西暦一七五六年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財(建造物)として指定されました。
本殿の構造は、柱間が正面七問、側面四問の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。本殿の壁画は薩摩藩の画家、木村探元の筆になると伝えられています。
本殿につながる拝殿は縦長で、天井の格子には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛を託された勅使をお迎えする所として作られています。
隼人町教育委員会
(案内板より)
勅使殿
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勅使殿の扁額
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本殿
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正八幡、国分八幡、大隅正八幡等といろいろな呼び名があります。創祀は遠く神代にあって、又神武天皇が東征の出発に際して創建したとも伝えられています。
拝殿から本殿
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社殿の屋並
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境内社、四所神社
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境内社、武内神社と隼風神社
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社殿右、公孫樹の両脇にあります。左、武内神社(御祭神:武内宿禰)、右、隼風神社(御祭神:日本武尊)です。
御神木
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建久年間(1190~1198)に植樹された大楠です。前に雨之社(御祭神:豐玉彦命)があります。
二の鳥居から参道
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