氷川女體神社(さいたま市緑区)を掲載しました。
氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)
【鎮座地】〒336-0916 埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1 旧武蔵国 足立郡
【御祭神】奇稻田姫命 (配祀)三穗津姫命 大己貴命
【例祭】 10月7日 例祭 10月8日 例大祭
【旧社格等】郷社
武蔵國一宮
式内社 武蔵國足立郡 多氣比賣神社
【御由緒】
三室 氷川女體神社 さいたま市緑区宮本鎮座
当社は崇神天皇の御代に、出雲杵築の大社を勧請した古社で、武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。
主祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穂津姫命を配祀している。当社の御手洗瀬である見沼を囲み大宮氷川神社(男体社)、大宮中川の中山神社(簸王子社)とともに三社深い関係にあり「三室」を伝えてきた。
古代、女神を祀ることや社殿が東方に向いているなど、その創立の古さと由緒を偲ばせている。中世以来、武門の崇敬を集めており、これらにゆかりある宝物も多い。徳川家康からは社領五十石を寄進あれ、また徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。古来からの御船遊神事は見沼干拓後、磐船祭として行なわれ、その遺跡が現存している。また、暖地性植物が繁茂する社叢は、天然記念物であり、ふるさとの森にも指定されている。
(境内案内板より)
埼玉県の南東部に位置する県庁所在地、さいたま市にあります。JR東浦和駅から北に直線でおよそ3km、緑区宮本(旧浦和市宮本)の見沼氷川公園北に隣接した鬱蒼とした森に鎮座しています。
鳥居から参道
階段を上ると朱の明神鳥居、扁額には「武蔵國一宮 氷川女體神社」とあります。社叢の森は県の「ふるさとの森」に指定されています。
浦和市指定天然記念物
氷川女体神社社叢 昭和四十年七月一日指定
氷川女体神社は武蔵国有数の古社で、大宮氷川神社とともに武蔵国一宮を称していました。かつての見沼に突き出た小舌状台地に位置しており、見沼とは非常に関係の深い神社でした。
社叢は、クスノキ、タブノキ、シラカシ、モチノキ、サカキ、ヒサカキ、ネズミモチ、シロダモ、チョウジカズラ、ビナンカズラなどの自然林の常緑広葉樹を中心に構成されています。
下草にもキチジョウソウなどの暖地性のものが見られ、境内は暖地性植物の群生地といえます。また、スギも樹齢三百年を越える大木が見られます。
なお、この社叢は、県の「ふるさとの森」にも指定されています。
平成四年三月 浦和市教育委員会 氷川女体神社
(社頭案内板より)
拝殿
鳥居をくぐると直ぐ右に素朴な手水舎、左には社務所、正面樹木に囲まれたなかに社殿です。境内には多くの案内板が設置されています。
創建は崇神天皇の御代に、出雲杵築の大社を勧請したと伝えられています。三鱗文兵庫鎖太刀、牡丹文瓶子など鎌倉、室町時代の社宝が多く埼玉の正倉院と呼ばれています。
扁額にはシンプルに「武蔵國一宮 東都鳳岡関思恭拝書」とあります。東都鳳岡関思は江戸時代中期に活躍した水戸出身の書家とのことです。
本殿
本殿は拝殿から接続された瑞垣の中にあります、三間社流造、こけら葺(現亜鉛鉄板覆い)で、社殿全体が繋がっている権現造りの形式です。
御祭神は奇稲田姫命、大宮氷川神社の須佐之男命(男体)に対しそのお后であることから女体と称し、大己貴命と三穗津姫命が合祀されています。
社殿全景
現在の社殿は、寛文7年(1667)に徳川家綱が再興し、その後徳川吉宗公の代に大岡越前守忠相が寺社奉行に昇格と同時に修復されています。かなり老朽化しており、拝殿左に「社殿修理奉賛事業について」お願いが掲示してありました。
境内社本殿右奥、鬱蒼とした中に並んであります。
かなり老朽化しており社名、御祭神等不明です。
石碑竜神社裏に並んであります。
「伊勢参宮 太々御神楽奏行記念碑」とあり、伊勢講で行われた太々御神楽の記念碑です、江戸時代のものと思われます。
竜神社境内右にあります。
さいたま市の竜伝説に因んだ竜神様をお祀りしています。
この竜神社には、さいたま市の竜伝説に因んだ竜神様が御座します。
かつて広大な沼であった見沼の辺のここ武蔵一宮氷川女體神社には、長年に亘り、神輿を乗せた船を沼の最も深い所に繰り出し、沼の主である竜神様を祭る祭祠「御船祭」を執り行ってまいりました。享保十二年(一七二七)八代将軍吉宗公の政策で見沼は干拓され、「見沼田んぼ」となってからこのお祭りは「磐船祭」として今尚続けられております。遺跡によれば御船祭は十四世紀から行われていたとも推定されます。
世界最古の閘門式運河ともいわれる見沼通船掘など、見沼には数々の歴史財産が秘められております。見沼を中心としてさいたま市内に点在する数多くの竜神伝説もその一つと言えます。
見沼代用水と見沼代用水から西へと引いた高沼用水、その二つの灌漑用水で田畑を耕す地域と見沼に関わる地域はほぼさいたま市全域に及んでいます。
さいたま竜神まつり会は「文化と歴史を活かした誇りのもてるまちづくり」を目的として平成十三年(二〇〇一)五月に約五十mの巨大な昇天竜を製作し「竜神まつり」を開催致しました。
さいたま竜神まつり会
(社前案内板より)
道標拝殿左前にあります。
武蔵国一宮 氷川女體神社の道標(みちしるべ)
もともと、赤山街道沿いの大間木水深(みずぶか)(浦和)の地にあった、この石碑には、「武蔵国一宮」「女體宮道」とあって、幕末の弘化二年(一八四五)に当社への道しるべとして赤山街道に面して建立されたものです。
また、当社から北西約四百メートルの住宅地の中には石造の鳥居がありますが、これは安政二年(一八五五)に、馬場方面から参詣する人たちの便を考えて、大門宿の石工に作らせ、氏子たちが奉納したものです。
幕末の頃に相次いで建てられたこの石碑や鳥居は、建立する必要に迫られるほど、当社への参詣客は非常に多く、篤い信仰を得ていたことを物語る貴重な資料となっています。
(現地案内板より)
社務所社務所には常駐の方がいて御朱印もいただけますが、事前に記入されたもので、持参の御朱印帳へは此処でスタンプを押してもらい、本太の氷川神社で記入して頂けます。
拝殿から参道
社前には橋を渡ったところに浦和市指定史跡の氷川女体神社磐船祭祀遺跡があります。
氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)
【鎮座地】〒336-0916 埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1 旧武蔵国 足立郡
【御祭神】奇稻田姫命 (配祀)三穗津姫命 大己貴命
【例祭】 10月7日 例祭 10月8日 例大祭
【旧社格等】郷社
武蔵國一宮
式内社 武蔵國足立郡 多氣比賣神社
【御由緒】
三室 氷川女體神社 さいたま市緑区宮本鎮座
当社は崇神天皇の御代に、出雲杵築の大社を勧請した古社で、武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。
主祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穂津姫命を配祀している。当社の御手洗瀬である見沼を囲み大宮氷川神社(男体社)、大宮中川の中山神社(簸王子社)とともに三社深い関係にあり「三室」を伝えてきた。
古代、女神を祀ることや社殿が東方に向いているなど、その創立の古さと由緒を偲ばせている。中世以来、武門の崇敬を集めており、これらにゆかりある宝物も多い。徳川家康からは社領五十石を寄進あれ、また徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。古来からの御船遊神事は見沼干拓後、磐船祭として行なわれ、その遺跡が現存している。また、暖地性植物が繁茂する社叢は、天然記念物であり、ふるさとの森にも指定されている。
(境内案内板より)
埼玉県の南東部に位置する県庁所在地、さいたま市にあります。JR東浦和駅から北に直線でおよそ3km、緑区宮本(旧浦和市宮本)の見沼氷川公園北に隣接した鬱蒼とした森に鎮座しています。
鳥居から参道
階段を上ると朱の明神鳥居、扁額には「武蔵國一宮 氷川女體神社」とあります。社叢の森は県の「ふるさとの森」に指定されています。
浦和市指定天然記念物
氷川女体神社社叢 昭和四十年七月一日指定
氷川女体神社は武蔵国有数の古社で、大宮氷川神社とともに武蔵国一宮を称していました。かつての見沼に突き出た小舌状台地に位置しており、見沼とは非常に関係の深い神社でした。
社叢は、クスノキ、タブノキ、シラカシ、モチノキ、サカキ、ヒサカキ、ネズミモチ、シロダモ、チョウジカズラ、ビナンカズラなどの自然林の常緑広葉樹を中心に構成されています。
下草にもキチジョウソウなどの暖地性のものが見られ、境内は暖地性植物の群生地といえます。また、スギも樹齢三百年を越える大木が見られます。
なお、この社叢は、県の「ふるさとの森」にも指定されています。
平成四年三月 浦和市教育委員会 氷川女体神社
(社頭案内板より)
拝殿
鳥居をくぐると直ぐ右に素朴な手水舎、左には社務所、正面樹木に囲まれたなかに社殿です。境内には多くの案内板が設置されています。
創建は崇神天皇の御代に、出雲杵築の大社を勧請したと伝えられています。三鱗文兵庫鎖太刀、牡丹文瓶子など鎌倉、室町時代の社宝が多く埼玉の正倉院と呼ばれています。
扁額にはシンプルに「武蔵國一宮 東都鳳岡関思恭拝書」とあります。東都鳳岡関思は江戸時代中期に活躍した水戸出身の書家とのことです。
本殿
本殿は拝殿から接続された瑞垣の中にあります、三間社流造、こけら葺(現亜鉛鉄板覆い)で、社殿全体が繋がっている権現造りの形式です。
御祭神は奇稲田姫命、大宮氷川神社の須佐之男命(男体)に対しそのお后であることから女体と称し、大己貴命と三穗津姫命が合祀されています。
社殿全景
現在の社殿は、寛文7年(1667)に徳川家綱が再興し、その後徳川吉宗公の代に大岡越前守忠相が寺社奉行に昇格と同時に修復されています。かなり老朽化しており、拝殿左に「社殿修理奉賛事業について」お願いが掲示してありました。
境内社本殿右奥、鬱蒼とした中に並んであります。
かなり老朽化しており社名、御祭神等不明です。
石碑竜神社裏に並んであります。
「伊勢参宮 太々御神楽奏行記念碑」とあり、伊勢講で行われた太々御神楽の記念碑です、江戸時代のものと思われます。
竜神社境内右にあります。
さいたま市の竜伝説に因んだ竜神様をお祀りしています。
この竜神社には、さいたま市の竜伝説に因んだ竜神様が御座します。
かつて広大な沼であった見沼の辺のここ武蔵一宮氷川女體神社には、長年に亘り、神輿を乗せた船を沼の最も深い所に繰り出し、沼の主である竜神様を祭る祭祠「御船祭」を執り行ってまいりました。享保十二年(一七二七)八代将軍吉宗公の政策で見沼は干拓され、「見沼田んぼ」となってからこのお祭りは「磐船祭」として今尚続けられております。遺跡によれば御船祭は十四世紀から行われていたとも推定されます。
世界最古の閘門式運河ともいわれる見沼通船掘など、見沼には数々の歴史財産が秘められております。見沼を中心としてさいたま市内に点在する数多くの竜神伝説もその一つと言えます。
見沼代用水と見沼代用水から西へと引いた高沼用水、その二つの灌漑用水で田畑を耕す地域と見沼に関わる地域はほぼさいたま市全域に及んでいます。
さいたま竜神まつり会は「文化と歴史を活かした誇りのもてるまちづくり」を目的として平成十三年(二〇〇一)五月に約五十mの巨大な昇天竜を製作し「竜神まつり」を開催致しました。
さいたま竜神まつり会
(社前案内板より)
道標拝殿左前にあります。
武蔵国一宮 氷川女體神社の道標(みちしるべ)
もともと、赤山街道沿いの大間木水深(みずぶか)(浦和)の地にあった、この石碑には、「武蔵国一宮」「女體宮道」とあって、幕末の弘化二年(一八四五)に当社への道しるべとして赤山街道に面して建立されたものです。
また、当社から北西約四百メートルの住宅地の中には石造の鳥居がありますが、これは安政二年(一八五五)に、馬場方面から参詣する人たちの便を考えて、大門宿の石工に作らせ、氏子たちが奉納したものです。
幕末の頃に相次いで建てられたこの石碑や鳥居は、建立する必要に迫られるほど、当社への参詣客は非常に多く、篤い信仰を得ていたことを物語る貴重な資料となっています。
(現地案内板より)
社務所社務所には常駐の方がいて御朱印もいただけますが、事前に記入されたもので、持参の御朱印帳へは此処でスタンプを押してもらい、本太の氷川神社で記入して頂けます。
拝殿から参道
社前には橋を渡ったところに浦和市指定史跡の氷川女体神社磐船祭祀遺跡があります。
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