九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

2009-09-27 14:24:48 | 神社参拝ー関東
 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)を掲載しました。

 鹿島神宮(かしまじんぐう)
【鎮座地】〒314-0031 茨城県鹿嶋市大字宮中2306-1 旧常陸国 鹿島郡
【御祭神】武甕槌神
【例祭】 9月1日 例祭 11月13日 息栖神社祭
【旧社格等】旧官幣大社(現別表神社)
      勅祭社
      常陸國一宮
      式内社 常陸國鹿嶋郡 鹿嶋神宮 名神大 月次新嘗
【御由緒】
由緒書
御祭神 武甕槌大神                            
創祀 
 神武天皇御即位の年に神恩感謝の意をもって神武天皇が使を遣わして勅祭されたと伝えられる。 
御神徳 
 神代の昔天照大御神の命により国家統一の大業を果たされ建国功労の神と称え奉る。      
 また韴霊剣の偉徳により武道の祖神決断力の神と仰がれ関東開拓により農漁業商工殖産の守護神として仰がれる外常陸帯の古例により縁結び安産の神様として著名である。
 更に鹿島立ちの言葉が示すように交通安全旅行安泰の御神徳が古代から受け継がれている。   
 (平成祭データ)

 茨城県の東端に位置する鹿嶋市にあります。北浦と鹿島灘のほぼ中間、JR鹿島神宮駅の東、およそ70ha.の広大な神宮の森と呼ばれる樹叢に鎮座しています。

  参道から楼門
 鳥居をくぐり、東に延びる石畳の参道を進むと正面に朱塗りの見事な楼門です。楼門の左手前には手水舎があります。

  摂社・末社への入口の鳥居手水舎の左奥にあります。
 鬱蒼とした中に摂社・沼尾神社、坂戸神社遥拝所、末社・須賀社、熊野社、津東西社、祝詞社が並んでいます。

 楼門 
重要文化財、寛永11年(1634)水戸黄門光圀公の父君、水戸藩初代藩主徳川頼房公の奉納です。
 扁額には東郷平八郎元帥の書で「鹿島神宮」とあります。この楼門の秀麗な造りは、阿蘇神社筥崎宮とともに日本三大楼門に数えられています。

   拝殿
 楼門を入ると、左に社務所、右に社殿です。正面は奥宮への参道が続いています。
 現在の社殿は元和5年(1619)徳川二代将軍秀忠公の奉納です。

  拝殿から本殿
 社殿は拝殿から、朱塗りの瑞垣の中に幣殿、石の間、本殿と続きます。本殿は極彩色で鮮やかです。全て国の重要文化財です。

 本殿 
 御祭神は武甕槌神、天孫降臨に先立ち出雲の「国譲り」で、建御名方命を投げ飛ばし屈服させた神、また神武東征の終盤局面の熊野で神剣(ふつのみたまの剣)を下ろして助けた神です。
 皇紀元年(紀元前660年)神武天皇の神勅により創建と云われ、息栖神社、香取神宮とあわせて東国三社と呼ばれています。
 本殿後方にある、杉の大木は、樹齢:1200年(推定)、目通り周囲:11m、高さ:41mの御神木です。

  摂社・高房社拝殿の正面参道左にあります。
 御祭神は建葉槌神、鹿島の大神に従い天香々背男を討つ。常陸国二之宮・静神社の御祭神です。本社参拝の前に詣でるのが古例であると云われています。

 仮殿高房社の右奥にあります。
元和4年建造、本殿を修理するときなど一時的に神様をお遷しする社殿です。
 現在はつぎ摂・末社、所管社の御分霊をお祀りしています。
摂社:奥宮(武甕槌大神荒御魂)高房社(建葉槌神)三笠社(三笠神)跡宮(武甕槌大神)息栖社(天鳥船神)沼尾社(経津主神)坂戸社(天児屋命)

末社:須賀社(素戔嗚命)熊野社(伊弉諾命・事解男命・早玉男命)津東西社(高龗神・闇龗神)祝詞社(太玉命)稲荷社(保食神)潮社(高倉下神)阿津社(活津彦根命)熱田社(素戔嗚命・稲田姫命)御厨社(御食津神)
国主社(大国主命)海辺社(蛭子命)鷲宮(天日鷲命)押手社(押手神)年社(大年神)

所管社:大黒社(大国主命)

  奥宮への参道社殿を過ぎると大きな樹木に覆われた奥宮方面への参道です。この樹叢は800種を越える植物が生い茂り、県指定の天然記念物で森林浴を楽しむ市民の森です。

 鹿園 
奥宮への参道をしばらく進むと左にあります。
 御祭神武甕槌大神の神使とされる鹿が30数頭飼育されています。

  神鹿について
 鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神様のところへ、天照大神様のご命令を伝えに来られたのが天迦久神という方で、鹿の神霊とされていることから、鹿島神宮のお使いは鹿となっています。
 神護景雲元年(西暦七六七年)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日神社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良まで行きました。
 その鹿の足跡が、東京江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っています。
 また、鹿島も古くは香島と書いていましたが、養老七年(七二三)ごろから鹿島と書くようになったのは、この鹿との縁によるものでしょう。神鹿は長い間大切に保護されてきておりますが、幾度か新たに導入され、現在の鹿神はかつて鹿島から移った奈良の神鹿の系統を受けています。
 (案内板より)

 奥宮 
拝殿から東におよそ300mにあります。御祭神は武甕槌大神荒魂、こちらも国指定重要文化財です。
 慶長10年(1605)徳川家康公が本殿として奉建されたものを、元和5年(1619)二代将軍秀忠公に現在の本宮社殿が奉建された際に、現在地に引移したものです。

 御祭神の石碑要石への途中にあります。
御祭神、武甕槌大神が大なまずを踏みつけています。

 要石 
奥宮から右に150mの所にあります。ちょこんと地中から顔をのぞかせてます、そばの一円玉で大きさがわかります。香取神宮の要石とつながっているとも云われています。
   要石
 神世の昔、香島の大神が座とされた万葉集にいう石の御座とも或は古代における大神奉祭の座位として磐座とも伝えられる霊石である。
 この石、地を掘るに従って大きさを加え、その極まる所しらずという。
 水戸黄門仁徳録に、七日七夜掘っても掘っても掘り切れずと書かれ、地震押えの伝説と相俟って著名である。
 信仰上からは、伊勢の神宮正殿下の心の御柱的存在である。
  (案内板より)

 御手洗(みたらし)奥宮から左に200mほど下った所にあります。
  御手洗(みたらし)
古来、神職並びに参拝者の潔斎の池である。
 池の水は清く美しく澄み、四時滾々と流れ出てどのような旱魃にも絶えることのない霊泉で、神代の昔御祭神が天曲弓で掘られたとも、宮造りの折一夜にして湧出したとも云われ、大人子供によらず水位が乳を越えないという伝説により、七不思議の一つに数えられている。
 大昔は当神宮の参道がこの御手洗を起点として、この池で身を清めてから参拝するので御手洗の名が今に残るのである。
 (案内板より)

 奥宮から楼門鬱蒼とした樹木のトンネルの向こうに楼門が見えます。

 楼門から大鳥居
鹿島といえば、当社の神使とされる鹿の枝角を英語でアントラー(antler)と言い、鹿島アントラーズのチーム名の由来となっています。
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