4/01、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。
神武東征の船出から、大和の橿原の宮まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。
表紙の神社を神武東征の途次、立ち寄られた速吸の瀬戸(豊予海峡)に突き出た岬の町大分市佐賀関の早吸日女神社から、椎根津彦神社に変更しました。
椎根津彦神社は、神武天皇一行を当地でお迎えし、以後水先案内を務め、その功績により倭国造に任ぜられた椎根津彦命が祀られています。
椎根津彦神社(しいねつひこじんしゃ)
<通称>珍宮(うづのみや)
【鎮座地】〒879-2201 大分県大分市佐賀関1812 旧豊後国 海部郡
【御祭神】椎根津彦命(しいねつひこのみこと)
合祀 武位起命(たけいこのみこと)
彦火々出見命の御子、鵜草葦不合尊の御昆弟で椎根津彦命の御父
稻飯命(いなひのみこと)
鵜草葦不合尊の御子で神武天皇の御兄
祥持姫命(さかもつひめのみこと)
椎根津彦命の御姉で稻飯命の御妃
稚草根命(わかかやねのみこと)
稻飯命、祥持姫命の御子
【例祭】4月25日 春季大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
創立不詳。『日本書紀』によれば、神武天皇は、大歳甲寅(西紀元前六六七年)御東遷のため日向国を出発。
その年の十月、当地速吸の瀬戸において珍彦命の奉迎を受けられ、御名を椎根津彦と賜わる。これから椎根津彦は、水先案内として皇軍に従軍し、しばしば勲功をたて建国の偉業が達成された翌年(西紀元前六五九年)春二月、天皇は論功行賞を行ない椎根津彦命を倭国造に任ぜられた。
これを伝え聞いた里人らが、小祠を建てて命を祀ったものがその創祀と伝えられる。
その後、しかるべき神社の荘厳を備えてきたものと思われるが、一六〇〇年(慶長五)、兵火により焼失、一六九〇年(元禄三)、総庄屋関弥平太、東町別当役牛窓屋喜右衛門、大工頭領佐藤甚八に依頼し、その規模を整え、一七八九年(寛政元)、牛窓屋久右衛門再建。
(平成祭データ)
最新の画像[もっと見る]
- ヒバリ(北九州市小倉南区)ーリメイク版ー2 3ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
- 道東探鳥ツアー2日目、番外編、摩周湖ーリメイク版ー2 5ヶ月前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます