伊豆神社(福岡県水巻町)をフォトギャラリー(福岡)に掲載しました。
当社は北九州市八幡西区に隣接し、福岡県第二の一級河川「遠賀川」の東岸に位置する北九州のベッドタウン水巻町の中心、
JR鹿児島線水巻駅から北に500mほどの明神山の麓に鎮座されています。
【鎮座地】〒807-0022 福岡県遠賀郡水巻町大字頃末2601
【御祭神】
・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 山幸彦 神武天皇の祖父
・玉依姫命(たまよりひめのみこと) 神武天皇の母
・鹽土老翁(しおつちのおぢ) 山幸彦を海神の宮に導いたといわれている神
(合祀)
・闇龗神 ・罔象女命 ・猿田彦命 ・神直日命 ・大禍津日命 ・大直日命 ・軻遇突命
【御由緒】
伊豆神社由緒
一、祭神
彦火火出見命、玉依姫命、塩土老翁、
一、合祀神社
貴船神社、幸神社、唐熊神社
一、由緒
元亀二年(1572)頃末地区の開拓に伴い古賀鎮座の伊豆大明神(今の久我神社)より御分霊を受け、山頂に神殿を建立、依ってこの山を明神ケ岳という。
大正二年(1914)此の地に遷座、現在に至っている。
彦火火出見命は、高千穂降臨の神邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子であり初代神武天皇の祖父に当たられる。この大神は山を好み給い、高千穂の宮より当地に御臨幸されたと言い伝えられている。
合祀神社貴船神社は「雨」の神様として広く各地に祀られており、幸神社は「咳」の神様として、又唐熊神社は、安政四年(1857)悪病流行しその消除の為建立されたが、大正三年、三社同時に伊豆神社に合祀された。
当神社は水巻町の中央に位置し、地域の平和と安全、特に除災開運、無病息災、農作物の神として広く尊崇されている。
(案内板より抜粋)
一の鳥居をくぐると階段の参道
階段を上ると左に手水舎、正面に拝殿
参道左右両脇の狛犬
拝殿 本殿
大正三年合祀された貴船神社の鳥居、享和三年(1803)の文字が見える
同じく唐熊神社の鳥居
拝殿から境内の参道
当社は北九州市八幡西区に隣接し、福岡県第二の一級河川「遠賀川」の東岸に位置する北九州のベッドタウン水巻町の中心、
JR鹿児島線水巻駅から北に500mほどの明神山の麓に鎮座されています。
【鎮座地】〒807-0022 福岡県遠賀郡水巻町大字頃末2601
【御祭神】
・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 山幸彦 神武天皇の祖父
・玉依姫命(たまよりひめのみこと) 神武天皇の母
・鹽土老翁(しおつちのおぢ) 山幸彦を海神の宮に導いたといわれている神
(合祀)
・闇龗神 ・罔象女命 ・猿田彦命 ・神直日命 ・大禍津日命 ・大直日命 ・軻遇突命
【御由緒】
伊豆神社由緒
一、祭神
彦火火出見命、玉依姫命、塩土老翁、
一、合祀神社
貴船神社、幸神社、唐熊神社
一、由緒
元亀二年(1572)頃末地区の開拓に伴い古賀鎮座の伊豆大明神(今の久我神社)より御分霊を受け、山頂に神殿を建立、依ってこの山を明神ケ岳という。
大正二年(1914)此の地に遷座、現在に至っている。
彦火火出見命は、高千穂降臨の神邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子であり初代神武天皇の祖父に当たられる。この大神は山を好み給い、高千穂の宮より当地に御臨幸されたと言い伝えられている。
合祀神社貴船神社は「雨」の神様として広く各地に祀られており、幸神社は「咳」の神様として、又唐熊神社は、安政四年(1857)悪病流行しその消除の為建立されたが、大正三年、三社同時に伊豆神社に合祀された。
当神社は水巻町の中央に位置し、地域の平和と安全、特に除災開運、無病息災、農作物の神として広く尊崇されている。
(案内板より抜粋)
一の鳥居をくぐると階段の参道
階段を上ると左に手水舎、正面に拝殿
参道左右両脇の狛犬
拝殿 本殿
大正三年合祀された貴船神社の鳥居、享和三年(1803)の文字が見える
同じく唐熊神社の鳥居
拝殿から境内の参道
たくさんの神社を見ておられますね。
ここに記載のたくさんの神社の一覧と言うのはないのでしょうか。たとえば中間ではどの神社がのってるのかとか見たいのですが
ご指摘の件、当社の地図でしょうか、間違いないと思いますが、具体的にご指摘いただけたら幸いです。
Taxk様
当ブログは本サイト「九州神社紀行」のサブのような形で運用しています。
神社一覧は本サイト「九州神社紀行」の参拝記録ー鎮座地別でご覧いただけます。
表の神社名が青で表示されているものはクリックで
それぞれの神社にリンクしています。また「blog」のマークのあるものは当ブログの当該ページが開きます。
参拝記録ー鎮座地別
http://nobyama.com/history_loc.html
残念ながら中間市の神社は数社参拝していますが記事はまだ掲載していません。
尚、当ブログ内ではこのページの右欄下にあります
検索もお試しください。
今後とも宜しくお願いいたします。
車椅子でいけて神主さんのいる神社を探しています。
私は小さな神社でもいいと思うのですが
父は有名神社を望んでいるようです。
北九州市内では
1.仲宿八幡宮
TEL 093-671-6555
北九州市八幡東区祇園2丁目5-1
有名なところでは
JR西小倉駅近く小倉城内の
2.八坂神社
TEL 093-571-0753
北九州市小倉北区城内2-2
http://www.yasaka-jinja.com/
モノレール旦過駅近くの
3.菅原神社
TEL 093-521-9421
北九州市小倉北区古船場町1-6
http://www.sugakou.or.jp/
以上はいずれも拝殿のある境内まで車で入れます。
その他、一の鳥居から階段の参道があっても拝殿まで
車で入れるところも多数ありますのでお望みの神社にお問い合わせください。
2006年の記事ということ、うれしくなって書いております。
宮司さんより、奥州藤原の流れと聞きました。泰衡の弟が九州に来て先祖とおっしゃったように思います。
拝殿が元旦や七五三詣での際など開きますが、大相撲の昭和34年の巡業時の板に書かれた番付が奉納されており、勧進元は地域に寄与された三好氏(炭鉱)、町を守ってきた神社らしいと思いました。土俵もあります。
伊豆という謂れも聞きましたが・・・役小角の修行の場との関連も思いましたが。
山幸彦の話には微笑んでおられました。その時は御祭神と知らなかったのです。
水巻には、かの官公もお休みになられたというお立ち(寄り)岩があるそうです。
しかし、炭鉱の町だったこの町に、町の人々の安寧を願った信仰に厚い人々があったこと、神はお出ましであったという、そんな思いを抱く落ち着ける神社です。
大相撲が好きで、神前相撲というところからも神社に関心があります。
これから他の記事も見せていただきます。失礼いたします、お許しください。
拙ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
遠賀川の両岸、水巻町、芦屋町、遠賀町には多くの神社が鎮座されていて興味がつきません。
神武東征から神功皇后の三韓征伐、日本武尊の熊襲征伐などにまつわる由緒など面白いです。
貴ブログを拝見しました、バラエティに富んだ内容で素晴らしいと思いました、参考にさせていただきます。
今後とも宜しくお願いします。