本物の被造物は創造主が誰か、人間はなぜ創造されたか、被造物としてどう責任を果たすか、万物の創造主をどう礼拝するかを知り、創造主の心、望み、要求を理解し、把握し、知り、大切に扱わなければならない。そして創造主の道、つまり神を畏れ、悪を避ける道に従って行わなければならない。
神を畏れるとは、どのようなことか。またいかにして悪を避けるか。
「神を畏れる」とは、得体の知れない恐れや恐怖でも、回避することでも距離をおくことでもなく、偶像化でも迷信でもない。「神を畏れる」とは、敬慕、尊敬、信頼、理解、思いやり、服従、奉献、愛情であり、無条件かつ不平を言わない礼拝、報い、帰服である。神に関する真の認識なくしては、人類に真の敬慕、真の信頼、真の理解、真の思いやりと服従は存在せず、単に不安や恐れ、疑い、誤解、回避、逃避があるのみである。神に関する真の認識なくしては、人類に真の奉献や報いはあり得ない。神に関する真の認識なくしては、人類に真の礼拝や帰服はあり得ず、盲目的な偶像化と迷信があるのみである。神に関する真の認識なくしては、人類は神の道に従って行動することも、神を畏れることも、悪を避けることもとうてい出来ない。反対に、人間のあらゆる活動や行為は神に対する不従順や反抗、中傷的なそしりや批判、そして真理や神の言葉の真の意味に反する悪行に満ちる。
更に多くの内容:神を知ることこそ、神を畏れ、悪を避ける道
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