わたしの啓示が最高に達し、わたしの裁きが終わりに近づいたとき、わが民はみな明かされ、完全にされる。わたしの歩みは宇宙世界の隅々に及ぶ。わたしの心にかない、わたしが用いるにふさわしい者たちを、いつでも探しているからだ。立ち上がり、わたしに協力できる者はあるだろうか。人間のわたしへの愛はあまりにささやかで、わたしへの信仰はあわれなほどに小さい。わたしの言葉が人間の弱さを直接打たなければ、人間はまるで地上のことに関して全知全能であるかのように、自慢し、誇張し、尊大に、高尚な理論を唱えるだろう。かつてわたしに「忠実」であって、今わたしの前で「堅固に立って」いる者たちのうちに、あえて自慢するものがあるだろうか。誰が、自分の前途について、ひそかに喜んでいないだろう。わたしが直接現れないとき、人は隠れる場所もなく、恥にさいなまれた。わたしが他の手段で語ったなら、どれほどひどいことになるだろう。人々は、より大きな負い目を感じるだろう。人々は、自分たちを治せるものは何もないと思い込み、自分たちの消極性のためにまったく動きがとれなくなってしまうだろう。人間が希望を失うと、神の国の礼砲が正式に鳴り響く。それは、人間が語るところの「七倍に強められた霊が働きをはじめる時」である。つまり、神の国の生活が公式に地上で始まる時であり、わたしの神性が(頭での解釈抜きに)直接行動するために来る時なのだ。すべての人は蜂のように忙しくなる。人々はまるでよみがえったようであり、夢から醒めたようであり、目覚めるとすぐに、自らの置かれた状況を知って驚愕する。わたしは昔、教会を建てることについて多くを語り、多くの奥義を明らかにした。教会の建設は最盛期に至ると、突如として終わった。しかしながら、神の国の建設は異なっている。霊的領域における戦いが最終段階に達したとき、わたしは地上で新たに働きをはじめる。つまり、人間が退こうとするときはじめて、わたしは正式に新たな仕事を始め、起こすのである。神の国の建設と教会の建設との違いは、教会建設では、わたしは神性に支配される人間性の下で働いたということだ。わたしは人間の古い性質を直接取り扱い、人間の醜い自我を直接明らかにし、人間の本質をあらわにした。その結果、人間は、それに基づいて自己を知るようりになり、確信を得た。神の国の建設では、わたしは直接神性のもとに行動し、すべての人々がわたしの持っているものおよびわたしであるものを知るようにし、わたしの言葉についての認識に基づいて、最終的には、肉の体の中にいるわたしについての認識を得られるようにした。そうして、全人類が漠然とした神を探し求めることを終わらせ、人間の心にある「天にまします神」を終わらせる。つまり、それによって人間は、肉におけるわたしの業を知ることができ、わたしの地上での時代は終わるのだ。
神の国の建設は、霊的領域を直接目指している。つまり、わが民すべての間に霊的領域における闘いが明瞭になり、そこから、すべての人々が、教会の中だけではなく、神の国の時代にはもっと、常に戦っていること、そして人間は肉の体をもっているが、霊的領域は直接明かされるのであり、人間は霊における生活に携わることがわかる。だから、あなたがたが忠実であるようになると、わたしの働きの次の段階に正しく備えなければならない。あなたがたは、心のすべてをささげなければならない。そうしてはじめて、わたしの心を満足させることができるのだ。人間が以前に教会で何をしていたかは問わない。今日では、わたしの国での活動が大事なのだ。わたしの計画において、サタンは一歩ごとにかかとに噛み付いてきたのであり、わたしの知恵の引き立て役として、いつでもわたしの本来の計画を邪魔をする方法を探っている。しかし、わたしがサタンの欺きに満ちた策略に屈するものだろうか。天と地のすべてはわたしに仕えている。サタンの欺きに満ちた策略も同様ではないのか。これはまことにわたしの知恵の交わるところ、これはまことにわたしの業の驚くべき点であり、これはまことにわたしの全経営(救いの)計画が実行される原理なのだ。神の国建設の時代にも、わたしはサタンの欺きに満ちた策略を避けず、なすべき働きを続ける。宇宙のあらゆるものの中で、わたしはサタンの行いをわたしの引き立て役に選んだ。これはわたしの知恵ではないか。これはまさに、わたしの働きの驚くべき点ではないのか。神の国の時代が始まると、天と地のあらゆる物事が大きな変化を経、そして祝い喜ぶ。あなたがたも同じなのではないか。誰が蜂蜜のように甘い思いを心に抱かないだろう。誰が心に喜びがあふれないだろう。誰が喜びに踊らないだろう。誰が賛美の言葉を語らないだろう。
わたしがここまで話してきたことから、あなたがたは、わたしの言葉の狙いと、その源を把握しただろうか、どうだろうか。わたしがこう尋ねなければ、たいていの人は、わたしがただしゃべり続けているだけだと信じて、わたしの言葉がどこから来たかを知ることができないだろう。注意深く考えてみれば、わたしの言葉の重要性がわかるだろう。よく読んでみるとよいだろう。わたしの話したことの何が、あなたのためにならないだろう。どれが、あなたのいのちの成長のためにならないだろう。どれが、霊的領域の現実について語っていないだろう。たいていの人は、わたしの言葉には何の根拠もない、何の説明も解釈もないと考える。わたしの言葉は、ほんとうにそんなに抽象的で、不可解なものだろうか。あなたがたは、ほんとうにわたしの言葉に従うだろうか。あなたがたは、ほんとうにわたしの言葉を受け入れるだろうか。あなたがたは、わたしの言葉を玩具にしないだろうか。あなたがたは、わたしの言葉を醜い外見を覆う衣として使わないだろうか。この広大な世界で、誰がわたしから直接調べられたろう。誰が、わたしの霊の言葉を直接聞いただろう。まことに多くの人々が、闇の中で手探りし、まことに多くの人々が逆境にあって祈り、まことに多くが飢え、凍えながら、希望をもって見守り、まことに多くの人々がサタンに縛られている。しかし、まことに多くの人々が頼りとするものを持たずにいる。まことに多くの人々が、幸福の中でわたしを裏切り、まことに多くの人々が恩を知らず、まことに多くの人々がサタンの欺きに満ちた策略に忠実でいる。あなたがたの中の誰がヨブなのか。誰がペテロなのか。なぜわたしは繰り返しヨブについて触れているのか。そして、なぜわたしはペテロについて何度も触れているのか。あなたがたは、わたしがあなたがたに望んでいることを理解したことがあるだろうか。あなたがたは、そうしたことについて、もっと時間をかけて考えなければならない。
ペテロは長年わたしに忠実であったが、けっして不平を言わず、不満に思うこともなかった。そして、ヨブでさえ、ペテロには及ばなかった。長い年月にわたって現れた聖徒たちもまた、みなペテロには遠く及ばなかった。ペテロはわたしについての認識を求めただけではなく、また、サタンが欺きに満ちた策略を用いていた時にも、わたしを知るようになった。それが、何年もの間、わたしの心にかなう奉仕をすることにつながり、その結果、サタンに利用されることがついになかった。ペテロはヨブの信仰に学んだが、また、明らかに、彼の短所をも知っていた。ヨブは深い信仰の持ち主だったが、霊的領域に関する知識を欠いていた。そのため、現実に沿わないことを数多く言っていた。このことから、彼の認識がまだ浅く、完全には至っていなかったことがわかる。そこで、ペテロは常に霊を理解しようとし、いつでも心して霊的領域の動態を観察していた。その結果、わたしの望むことについて何かしらを究明することができただけでなく、サタンの欺きに満ちた策略についても多少理解していた。そのため、ペテロの認識はいつの時代の誰よりも豊かだった。
ペテロの経験から、人間がわたしを知りたければ、霊について注意深く考察することに集中しなければならないということは、容易にわかるだろう。わたしはあなたがたに、外面的に多くのものをわたしに「ささげよ」とは言わない。それはあまり重要なことではない。わたしを知らないなら、あなたがたの語る信仰や愛、忠誠はすべて幻想にすぎない。それは中身のないものであり、そうした人は、必ずやわたしの前で大いに自慢するが、自分を知らず、そのため再びサタンの罠にかかり、自由になることができないという破目になる。そうした人は地獄の子になり、破滅に襲われる。しかし、わたしの言葉に冷淡で無関心であるなら、その人は必ず、わたしに敵対している。これは事実であり、うまくいけば、あなたは霊的領域の門の向こう側に大勢の多様な霊がわたしの刑罰を受けているのを見ることになる。そうした人々の中に誰か、わたしの言葉に受動的でなく、冷淡でなく、わたしの言葉を拒まなかった者がいるだろうか。そうした人々の誰が、わたしの言葉に冷笑的でなかったろう。そうした人々の誰が、わたしの言葉に機会を見つけようとしなかったろう。そうした人々の誰が、わたしの言葉を「自分を守るため」の「防御用武器」として用いなかったろう。彼らはわたしの言葉を通じて、わたしについての認識を求めようとせず、単に玩具としてもてあそんだだけなのだ。それでは、その人々はわたしにじかに敵対したのではないか。誰がわたしの言葉なのか。誰がわたしの霊なのか。わたしは何度も何度も、こうした言葉をあなたがたに繰り返してきた。しかし、あなたがたの理解がより高度で、明瞭であったことがあるだろうか。あなたがたの経験が真実であったことがあるだろうか。もう一度言っておく。わたしの言葉を知らず、受け入れず、実践しないのなら、必ずわたしから刑罰を受けることになる。そのような人は、必ずサタンの餌食になる。
1992年2月29日
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