全能神は言われます「神の国の時代、神は言葉を用いて新たな時代を招き入れ、働きの手段を変え、その時代全体の働きを行う。これが神が言葉の時代に働く原則である。神は異なる観点から語るために受肉し、肉となった言葉である神、その知恵と不思議とを人間が本当に見ることができるようにした。そうした働きは、人間を征服し、人間を完全にし、人間を淘汰するという目的をよりよく成し遂げるために行われる。これが、言葉の時代に言葉を用いて働くということの真の意味である。」
全能神は言われます「神の国の時代、神は言葉を用いて新たな時代を招き入れ、働きの手段を変え、その時代全体の働きを行う。これが神が言葉の時代に働く原則である。神は異なる観点から語るために受肉し、肉となった言葉である神、その知恵と不思議とを人間が本当に見ることができるようにした。そうした働きは、人間を征服し、人間を完全にし、人間を淘汰するという目的をよりよく成し遂げるために行われる。これが、言葉の時代に言葉を用いて働くということの真の意味である。」
あなたが霊的に前進するに伴って、あなたは常に、新たなる入りと、各段階で深みを増す新しくそしてより高い洞察力を持たなければならない。これは、全ての人が入っていくべき道である。交わりを持ったり、メッセージを聞いたり、神の言葉を読んだり、物事に対処したりすることを通して、あなたは新たなる洞察力と導き、示しを獲得することができる。あなたは、古い規則と古い時代の中では生きていない。あなたはいつも新しい光の中で生き、神の言葉から離れない。正しい道をたどっているとみなされるのは、このようなことである。単に表面的なレベルで代価を払うことではない。神の言葉はより高くなり、また新しいものが日々現れる。毎日、霊的いのちが新たに成長することも必要である。神は自身が話した地点まで完成させる。もしあなたがついていけないのなら、あなたは霊的に落ちていく。あなたの祈りは深くならなければいけない。神の言葉をより多く食べて飲み、受け取る啓示の理解を深め、否定的なものを減らさなければいけない。あなたは、あなたが洞察力を得ることができ、霊の中にあることを理解することによって、外の世界の事柄への洞察力も獲得でき、さらに問題の中心部にあるものを理解することができるように、あなたの判断力を強めなければならない。もしあなたが、そのような能力をもたないなら、あなたは教会をどのようにして導くことができるだろうか。もしあなたが、現実性や実践の方法もなく文字や教義について語っているだけなら、あなたは、短期間、何とか生きていくことしかできない。これは、新しい信者には、ぎりぎり受け入れられるかも知れないが、時が経ち、新しい信者が実際の体験をすれば、あなたはもはや、彼らに与えることができないだろう。あなたは神の役に立つのだろうか。あなたは新しく啓かれることなしに働きを及ぼすことはできない。新しく啓かれることのない者は、経験することができず、そのような人は新しい認識あるいは経験を得ない。そして、彼らはいのちを与える機能をこなすことがけっしてできず、神の用途にも適さない。このような者は、無駄で役に立たない。事実、そのような者は働きにおいて自分の機能をこなすことが全くできず、全く何の役にも立たない。彼らは、自分の機能をこなせないだけでなく、彼らは教会に不要な負担をかける。わたしは、「古い人」であるあなたが急いで教会を去り、他のものがもうあなたに会う必要がなくなるように勧告する。そのような人は、新しい働きを全く理解しないで、古い観念だけで満たされている。そのような人は教会では何の機能も提供していない。むしろ、扇動的な行為をし、否定的なことを広めている。教会の中であらゆる種類の違法行為や騒動にさえ従事し、分別がつかない者を混乱させ、不協和音をもたらしている。このような生きた悪魔、悪魔の霊は、教会が、結果として荒廃しないように、できるだけ早く教会から出るべきである。あなたは今日の働きを恐れていないかもしれないが、明日の正義の処罰は恐れていないのだろうか。神の自然な働きを妨害することを求める数多くの狼に加えて、教会にはたくさんの居候がいる。これらの人たちは、悪魔によって送られた悪魔であり、悪巧みなどしない羊を貪り食うような凶暴な狼である。このような「人間」と呼ばれる者が排除されないのなら、彼らは教会の寄生虫そして、ささげものを食い荒らす蛾となるだろう。このような軽蔑に値する、無知で、忌まわしく、不快なウジ虫は、いつか近いうちに罰せられることとなろう。
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全能神は言われた。
万物がそれぞれの律法を失ったとしたら、万物は存在しなくなるであろう。万物がそれぞれの律法を失ったとしたら、万物のうち、あらゆる生き物が存続不可能となるであろう。人間もまた、人間が自らの生存を依存している、自らの環境を失うであろう。人間がこれら全てを失うとしたら、人間は世代を超えて繁殖し、生存してゆくことが出来なくなるであろう。
『言葉は肉において現れる(続編)』より
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Ⅰ
人類征服の内なる意味は 創造主に立ち返ること
サタンに背を向け完全に神の方を向くこと
これが完全なる救い 征服とはサタンとの最後の戦
神の勝利の計画の最終段階
これなしでは誰も救われず
サタンに対する勝利は得られず
誰もよい終着点に着けない
人はサタンのもとで苦しむ
この戦いが終わるまで 人を救う業も終わらない
全ての業は人を救うためだから
Ⅱ
最終的な征服は 救いをあたえ行き先示す
裁きで人の堕落を明らかにし
悔い改めさせ、奮い立たせ
正しい道を求めさせる
無関心な心を目覚めさせる
不従順な者は裁かれ 内なる反逆は露わになる
人が悔い改めず 正しい道を逸れ
内なる堕落を捨てないなら
サタンに飲み込まれ 助けと救いは受けられない
救いそして行き先を示す
それが征服の目的
行き先が良くとも悪くとも
神の征服の中で明らかになる
『言葉は肉において現れる』より
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聖霊の働きを経験する全ての人がいのちを受け取ることができるわけではないし、この流れの中にある全ての人がいのちを受けることができるわけでもない。いのちは、全ての人によって共有される共有財産ではないし、性質の根本的変革は、全ての人によって容易に達成されるものではない。神の働きへの従順さは、触ることができ、実現できるものでなければいけない。表面的な従順さでは、神の承認は受けられない。また、あなたが自らの性質の根本的変革を求めることなしに神の言葉の表面だけに単に従うのでは、神の心は喜ばない。神への従属と神の働きへの従順さは、一つであり同じものだ。神にのみ従属し、神の働きに対してそうしないのなら、従順であるとはいえない、また、真に従順でなく、外見的にこびへつらうのももちろん同様である。神に真に従うものは、神の働きから何かを得ることができ、神の性質と働きの理解を達成することができる。そのような人だけが、真に神に従順である。そのような人は、新しい働きから新しい認識を獲得でき、その同じ新しい働きから新しい変化を経験できる。そのような人だけが、神の承認を得られる。このような人だけが、完全にされた人であり、彼の性質の根本的な変革を経験してきている。神に承認される者は、彼の言葉や働きだけでなく神に対しても喜んで従順である者である。そのような人こそ義の中にある。このような人こそ真に神を望み、求めている。そして、自らの神への信仰をただ話すだけで、実際には神を呪うものは、自らの本性を隠すものである。彼らは悪意に満ち、人間の中で最も不誠実な者どもである。このような悪党は、いつか、その汚い仮面を剥ぎ取られることになるだろう。それが今日、為されている働きではなかろうか。不道徳なものはいつまで経っても不道徳であり、罰が下る日を逃れられない。善良なものは、いつも善良であり、働きが終わった頃にどちらも明らかにされるだろう。不道徳な者は誰一人として、義であるとは思われず、義なる者は、一人として不道徳とは思われないだろう。わたしは誰かを間違って非難される立場に追いやろうとしただろうか。
全能神は言われた。
神が造った万物には、すべて生存のための律法が存在するということを、あなたがたに理解してもらうためである。神がこれらの生き物を造る遥か以前に、神はそれらの生き物のための棲息地、つまり固有の生存環境を用意した。
『言葉は肉において現れる(続編)』より
I
人の霊的器、認識、愛、忠誠
従順さ、そして人が見る全てのものは
神の言葉による裁きからきた
あなたの信仰は、神の言葉の上に成り立ち
それを通して神の驚くべき業を見る
業は理解を超えたものばかり
また大いなる奥義と奇跡で溢れる
そう、だから多くの者が服従した
神の言葉による裁きをしのぐ者も
彼の権威にまさる闇も無い
神の受肉と権威、そして
言葉による裁きの故に人は服従する
II
神の言葉の前では、かつて服従したことのない者さえ跪く
神の言葉による裁きの前に 彼らはひれ伏し
その言葉を詮索せず、自らの舌で裁くこともしない
神の肉を見ると、まるで神が平凡であるかのよう
だが、神の言葉は人に見せる
彼が権威に満ち溢れていることを
彼が神自身であることを言葉は表す
彼に背ける者はいない、彼は肉なる神そのものである
III
受肉の神は言葉を語る
耳のある者全てが聞き彼の裁きを受けるために
神は霊の姿で人をおびえさせて 服従などさせない
人の奥深くの隠れた古い性質が
この真実で類ない業により明示される
人がそれを認め自分を 改めるために
神の裁きは実践的で言葉により下される
Ⅳ
これが神の受肉の権威と重要性だ
これが神の受肉の権威と重要性だ
神の言葉による裁きをしのぐ者も
彼の権威にまさる闇も無い
神の受肉と権威、そして
言葉による裁きの故に人は服従する
『言葉は肉において現れる』より
あなたは神を信じているのだから、あなたは神の全ての言葉と働きに信仰を置かなければならない。すなわち、あなたは神を信じているのだから、神に従わなければならない。あなたがこれをすることができないのなら、あなたが神を信じているかどうかは重要ではない。あなたが長年に渡り神を信じていたとしても、神に決して従わず、神の言葉のすべてを受け入れず、代わりに、神に自分に従うように頼み、自分の観念に沿うようにさせるとしたら、あなたは数ある信者の中でもっとも反抗的であり、不信心者である。このようなものが、人の観念に準じない神の働きと言葉にどのようにして従うことができようか。最も従順でない者は、意図的に神に刃向かい、抵抗する者だ。彼は神の敵であり、反キリスト者だ。そのような者は常に神の新しい働きに敵意を保持して、従順になる意図は示さず、自ら喜んで従うことは決してなく、謙虚になることはなかった。彼は他の人の前で自画自賛し、決して他の人に従属しない者である。神の前で、彼は、自分自身が説教する能力が最も高く、他の人に働きを及ぼす技能が最も高いと思っている。彼は、彼がすでに所有する宝を決して破棄せず、それらを崇拝されるべき、他の人に説教すべき、そして彼を称賛するような愚か者へ講義するのに用いられるべき、家宝とみなしている。実際、教会にもそのような者がいる。彼らは「不屈の英雄」であり、何世代にも渡って神の家にとどまっていると言われている。彼らは、かの言葉(教義)を説教することが、彼らの最高の義務だと思っている。何年にも亘り、何代にも亘って、彼らは彼らの聖なる、神聖な義務を果たす。誰も敢えて彼らに触れようとせず、誰も敢えて公に彼らをとがめようとしない。彼らは、神の家で「王」となり、時代を経て独裁者のように振る舞った。これら悪魔たちは、手を取り、わたしの働きを壊そうとする。わたしの前でこのような生きた悪魔が存在することがどうして許せようか。気持ちの半分しか従順でない者でさえ、最後まで歩くことはできないのに、従順な気持ちが微塵もないこれら暴君などもってのほかだ。神の働きは、人によって容易に獲得できない。人が、能力の全てを使ったとしても、ほんの少ししか獲得できず、最後にやっと完成をみるということになるだろう。それでは、神の働きの破壊を求める大天使の子供達はどうだろうか。彼らは、神による獲得に対して希望を少しも持ってこなかったのか。わたしの征服する働きの目的は、征服のためだけでなく、義と不義が露呈するように征服をすること、人の罰の証拠を取ること、不道徳な者を糾弾することであり、そしてさらにわたしは従順なる気持ちを持つ者を完全にするために征服をする。最後に、全ては種類により分類される。そして完全にされた者は全て、従順さに満たされた思想を持つだろう。これが、為された働きの最後の結果となる。反抗心に満たされた者は罰せられ、火打ちの刑に処され、永遠に呪われるだろう。その時が来たら、これら元「偉大で不屈な英雄」は、もっとも底辺で、嫌われる「弱くて役に立たない臆病者」となるであろう。このことだけが、神の義の全てを説明し、神の性質は、その性質を犯し、神の怒りに触れることを許さないことを説明する。このことだけが、わたしの心の憎しみを鎮めることができる。これはとても理にかなっているとあなた方は同意しないだろうか。
全能神は言われた。
こうした神が造った様々な地形や地理的環境の中では、あらゆる物事を、計画された秩序ある方法で神が管理している。そうしたわけで、これら全ての地理的環境は、それを神が造ってから数千年、数万年後の現在も依然として存在する。こうした地理的環境は、依然としてそれぞれの役割を果たしている。
『言葉は肉において現れる(続編)』より
通読のおすすめ:言葉は肉において現れる(続編)
Ⅰ
終わりの日 受肉の神は
惠みの時代を終わらせ 人を照らし
完全にする言葉を語る
神について曖昧な観念を
人の心から取り除く言葉を
イエスは異なる働きをした
奇跡を行い病人を癒した
天の国の福音を告げた
全ての人を贖うため 十字架にかけられた
ゆえに人は 神は常にそうだろうと考えた
終わりの日 受肉の神は 全てを言葉で成就し啓示する
彼の言葉の中にあなたは見る
彼が何者であるのかを そう 神であることを
Ⅱ
終わりの日 受肉の神は
神についての曖昧な観念を 人の心から取り除く
神は言葉と業を通して 全ての人々の間で働く
曖昧な神を信じないよう 人が現実の神を知るように
肉となった神の言葉を通し
神は人を完成させて 全てを成就する
これは終わりの日に神が 達成する成し遂げる業
終わりの日 受肉の神は 全てを言葉で成就し啓示する
彼の言葉の中にあなたは見る
彼が何者であるのかを そう 神であることを
肉となった神は言葉だけを話す それは彼の地上での働き
彼の言葉で神の全てを見ることができる
神は力強く謙遜で至高の方である
終わりの日 受肉の神は 全てを言葉で成就し啓示する
彼の言葉の中にあなたは見る
彼が何者であるのかを そう 神であることを
『言葉は肉において現れる』より