神の存在をどれほど確信していようと、その確信は神に関する認識や神に対する畏敬の念に代わるものとはなり得ない。どれほど多く神の祝福と恵みを享受してきたとしても、そうした事は神に関する認識に代わるものとはなり得ない。どれほど喜んで神のために全てを捧げて費やしていようと、そうした事は神に関する認識に代わるものとはなり得ない。神の言葉に精通し、暗記していて反対から読み上げることさえ出来るかもしれないが、そうであったとしても、それが神に関する認識に代わるものとはなり得ない。神に付き従う意向がいかに強かったとしても、神との真の交わりや神の言葉を真に経験することが無かったとしたら、神に関する認識は皆無であるか、終わりのない幻想に過ぎない。たとえどこかで神とすれ違ったとしても、神と直接対面したとしても、神に関する認識は皆無であり、神への畏敬は実質の無い標語や理想に過ぎない。
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