全能神教会 | 全能神の発表「唯一の神自身 6 神の聖さ(3)」抜粋15
本日の集会の最初にあなたがたが取った行動がわたしを驚かせた件について議論する。あなたがたのうち一部の者は、現在感謝していたり、感謝の気持ちを抱いていたりして、あなたの気持ちを物理的に表現することを望んでいたかも知れない。それは咎められることではなく、正しくも無く、誤ってもいない。しかし、ここでわたしが言わんとしていることは何であろうか。あなたがたの行動は誤りではなく、どんな形でもあなたがたを咎めることをわたしは望まない。わたしには、あなたがたに理解して欲しいことがある。それは何か。まず、あなたがたが、たった今したことについて質問する。あなたがたは、礼拝のためにひれ伏していただろうか、それとも膝立ちになっていたであろうか。あなたがたの中で、こうした質問に答えることができる者はいるであろうか。(ひれ伏していたと思う。私達はそのようにひれ伏す。)あなたがたはひれ伏していたと思っているということであるが、ひれ伏すことには、どのような意味があるであろうか。(礼拝の意味がある。)それでは、膝立ちになり礼拝することとは、何であろうか。わたしがこのことについてすぐに述べなかったのは、本日のフェローシップの論題は極めて重要なので、あなたがたの気分に影響を及ぼしたく無かったからである。あなたがたは、通常の礼拝でひれ伏すであろうか。(ひれ伏さない。)祈るときにはひれ伏すであろうか。(ひれ伏す。)あなたがたは、条件が許す場合、祈る度にひれ伏すであろうか。(ひれ伏す。)それは素晴らしい。しかし、ここでわたしがあなたがたに理解して貰いたいことは、なんであろうか。それは、神によりひれ伏すことが認められる、2種類の人間についてである。聖書を参照したり、霊的存在の行動を参照したりする必要は無いので、わたしが今ここで、ある真実を述べる。まず、ひれ伏して礼拝することと、ひざまずいて礼拝することは、同じものではない。ひれ伏す者がひざまずくのを神が受け入れられるのは、何故だろうか。それは、神がある者を召し出し、神からの任務を受け入れるよう命ずるからであり、したがってその者は神の前でひざまずく。これが第1の種類の人間である。第2の種類の人間は、神を畏れ、悪を避ける人間であり、ひざまずいて礼拝する人間である。神が認められるのは、この2種類の人間のみである。それならば、あなたがたはどちらの種類に属しているであろうか。あなたがたは回答できるであろうか。多少気を悪くする者もいるかも知れないが、これは事実の真理である。祈りを捧げる際に人々がひざまずくことについては、何も言うことが無い。それは適切であり、然るべきものであろう。なぜなら、人々が祈る時、神に対して自分の心を開き、神と対面して、何か祈ることがあって祈っているからである。それは神との心と心の意思疎通や意志交換である。しかし、わたしがフェローシップであなたがたと会う時、わたしはあなたがたにひざまずくよう伝えていない。本日のあなたがたの行動について咎めるつもりは無い。わたしは、あなたがたがこの原則を理解できるように、説明したかっただけであることは理解して貰えるであろう。(理解している。)それならば、そうした行動を続けないで欲しい。それでは、人間が神の前で直接ひれ伏し、ひざまずく機会はあるだろうか。今後、そうした機会は、常に存在するであろう。遅かれ速かれ、その時が来るが、それは今ではない。そのことを理解して貰えるだろうか。(理解した。)このように伝えると、悲しくなるであろうか。(悲しくはならない。)よろしい。こうした言葉はあなたがたの動機付けや激励となり、したがってあなたがたは人間と神との現在における窮状や、現在における人間と神との関係がどのようなものであるかを心で理解することが出来るかもしれない。最近、わたし達は多くの事柄について議論しているが、神に関する人間の認識は、未だに十分と言うには程遠い状態である。人間が神を理解するために進むべき道のりは、まだ先が長い。わたしの意図は、あなたがたに早急にその道を進ませることでも、そうした意欲や感情を示させることでもない。あなたがたが本日取った行動は、おそらくあなたがたの真の気持ちを示すもので、わたしはそれを感じ取った。そうしたわけで、あなたがたがそうした行為を行っている最中、わたしは立ち上がって、あなたがたの幸いを祈りたかった。なぜなら、わたしはあなたがた全員の幸いを祈っているからである。わたしは、あらゆる事柄について、あなたがたが正しく理解して正しい見方をすることが出来るように、わたしが述べる事柄やわたしの行動により、あなたがたを支援し、導くことに最善を尽くす。そのことは理解できるであろう。(理解できる。)それは良かった。人々は、神の様々な性質についてある程度理解しているものの、神の中にあるものや神の存在、神の業の面では、知識の大部分が、それに関して表面的に読んだり、原理を理解したり、考えたりするに留まっている。人間に最も不足しているのは、実経験から得られる真の理解である。神は、人間の心を目覚めさせるために様々な方法を用いているものの、人間の心が目覚めるまでの道のりは、まだ先が長い。わたしは、あなたがたのなかに、神に無視され、神に見捨てられたように感じる者がいることを望まない。わたしは、あなたがた全員が真理と神の理解を追求し、揺るがぬ意志で、不安や負担なく、勇気を持って前進することを望む。あなたがこれまでどのような過ちを犯したとしても、どれほど大きく道を外れたとしても、どれほど神に背いたとしても、そうしたことが神の理解を追求する上で負担や重荷とならないようにすること。先へ進んでゆくことである。それが何時起こるかを問わず、人間の救いである神の心は決して変わらない。それが神の本質のなかで最も尊い部分である。これで、少し気持ちが楽になったであろうか。(楽になった。)あなたがたが万事においてそしてわたしが語った言葉に関して、正しい方法を採り、正しく理解できることを願っている。それでは、これでフェローシップを終わる。ごきげんよう。(ごきげんよう。)
2014年1月11日
脚注:
a. 原文は「人間による科学の追究と奥義の探索」。
b. 原文では「の泥沼」が省略されている。
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