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全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 3

2018-06-15 02:40:59 | 全能神の発表

 東方閃電全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 3

 神は、自身の業により刑罰と裁きが要求されているため、そしてそれ以上に、刑罰と裁きが人間に必要であるため、刑罰と裁きを行う。人間は刑罰と裁きを受ける必要があり、その後に初めて神への愛を実現する事が出来る。現在、あなたがたは完全に確信しているが、些細な挫折があると、あなたがたは問題に見舞われる。あなたがたの背丈は小さすぎるので、一層深い認識を得るために、そうした刑罰と裁きを一層多く経験する必要がある。現在、あなたがたはある程度神を敬い、畏れており、神が真の神であることを知っているが、神に対する大きな愛が無く、いわんや清い愛に達していることは無い。あなたがたの認識は過度に表層的であり、あなたがたの背丈はまだ不十分である。あなたがたが、ある環境に真に直面する時、あなたがたは依然として証しに立ったことが無く、あなたがたが成長に積極的であることは極めて少なく、実践する方法を全く知らない。殆どの者が消極的かつ非活動的である。そうした者は心の中で密かに神を愛するが、実践する術が無く、自分達の目標が何であるかを明瞭に理解していない。完全にされた者は正常な人間性だけでなく、良心の判断を超え、良心的基準を超える真理を備えている。そうした者は自分の良心で神の愛に報いるのみならず、それ以上に、神を知り、神が愛しいこと、人間が愛するに相応しいこと、神には愛すべき部分が多いので、人間は神を愛さずに居られないことを知っている。完全にされた者の神への愛は、自分の個人的意欲を満たすためのものである。そうした者の愛は自発的な愛であり、見返りを求めない愛であり、取引では無い。そうした者が神を愛す理由は、神に関する自分の認識のほかに無い。そうした者は神が自分に恵みを与えるかどうかを気にすることは無く、神を満足させることのみで自分も満足する。そうした者は神と交渉することが無く、また神に対する自分の愛を、「あなたに与えられたから、それに応じてあなたを愛する。あなたが与えないのであれば、私はそれに応じて与えるものが無い」というように、良心で計測することも無い。完全にされた者は、常に神が創造主であり、神が自分に対して業を行っていると考え、また自分には完全にされることが可能な機会と状況、そして資格があるのだから、有意義な生活を送ることを追求し、神を満足させるべきである、と考えている。それはまさにペテロが経験したのと同様である。つまり、ペテロは、自分が最も衰えていた時、神に祈って「神よ、時間や場所を問わず、私が常にあなたのことを覚えていることを、あなたは知っておられます。時間や場所を問わず、私があなたを愛したいことを、あなたは知っておられます。しかし、私の背丈は小さすぎて、私は弱く無力すぎるため、私の愛は過少であり、私のあなたに対する誠実さは乏し過ぎます。あなたの愛に比べると、明らかに私は生きることに不適です。私が望むのは、自分の人生が無駄にならないこと、あなたの愛に報いるだけでなく、自分にあるもの全てをあなたに捧げられることのみです。私があなたを満足させることができるならば、私は創造物として安堵して、それ以上何も求めないでしょう。今の私は弱く無力ですが、あなたの訓戒と愛を忘れることはないでしょう。今、私はただ、あなたの愛に報いること以外に何もしていません。神よ、私は惨めに感じます。どうすれば、私の心にある、あなたへの愛をあなたに報い、自分の出来る全てを行い、あなたの望みを満たし、自分にある全てをあなたに捧げることが出来るでしょうか。あなたは人間の弱さを知っておられます。どうすれば、私はあなたの愛を受けるに相応しい者となれるでしょうか。神よ、あなたは、私の背丈が小さいこと、私の愛が乏し過ぎる事をご存じです。こうした環境において、どうすれば私は最善を尽くせるでしょうか。私は、自分があなたの愛に報いるべきであること、自分の持てる全てをあなたに捧げるべきことは知っていますが、現在の私の背丈は小さすぎます。私があなたに捧げる清い愛を一層多く備え、自分の持てる全てをあなたに一層捧げられるように、あなたが私に強さと自信を与えられるよう願います。そうすれば、私はあなたの愛に報いることが出来るだけでなく、あなたの刑罰、裁き、試練、そして一層厳しい呪いを一層多く経験することが出来るでしょう。あなたは、私があなたの愛を見ることを許されたので、私はあなたを愛さずには居られません。また現在、私は弱く無力ですが、どうしてあなたのことを忘れることが出来ましょうか。あなたの愛、刑罰、そして裁きは全て、あなたのことを私に知らしめましたが、それでもなお私はあなたの愛に応えることが出来ないと感じます。なぜなら、あなたは極めて偉大であられるからです。私は、どうすれば自分の持てる全てを創造主に捧げられるでしょうか。」と述べた。それがペテロの誓願であったが、それでもペテロの背丈は不十分すぎた。この時、ペテロは、あたかも自分の心がナイフでえぐられているかのような悲痛を感じた。そうした状況では、ペテロはどうすればよいか知らなかった。しかし、ペテロは祈り続けて言った。「神よ、人間は背丈が幼稚な者であり、人間の良心は無力であり、私が実現出来るのは、あなたの愛に報いることだけです。現在、どのようにしてあなたの心を満たし、自分の出来ること全てを行い、自分の持てる全てをあなたに捧げればよいかを、私は知りません。あなたの裁きや刑罰、あなたが私に与えられる物事、私から奪われる物事を問わず、あなたに対する不平が私に一切ありませんように。あなたが私を罰し、裁かれた時、私は愚痴をこぼし、清さを実現することも、あなたの望みを満たすことも出来ないことが、何度もありました。あなたの愛に対する私の報いは、強制されて発生したものであり、その時、私は自分を一層嫌いました。」ペテロがこのように祈ったのは、ペテロが神に対する一層清い愛を求めていたからである。ペテロは求め、懇願し、更には自らを非難し、自らの罪を神に告白した。ペテロは神に対して負債があると感じ、自己嫌悪を覚えつつ、幾分悲しみも感じ、消極的であった。ペテロは常にこのように神の心に対して自分が不十分であり、最善を尽くせないと感じた。そうした状況において、ペテロはまだ、ヨブの信仰を追求していた。ペテロはヨブの信仰がどれほど強大であったかを知っていた。なぜなら、ヨブは自分の物は全て神から授けられたものであり、神がその全てを自分から奪うのは自然なことであること、そして神は、神が望む者に対して与えること、そしてそれが神の義なる性質であることを理解していたからである。ヨブは苦情を述べず、依然として神を讃美することができた。ペテロもまた自分を知り、心の中でこう祈った。「現在、私は、自分の良心であなたの愛に報い、私があなたにお返しできるだけの愛で報いることに満足するべきではありません。なぜなら、私の考えは腐敗しすぎており、あなたを創造主として捉えることが出来ないからです。私は依然としてあなたを愛するに不適であるため、私は自分にある全てを、自ら望んであなたに捧げる能力を実現する必要があります。私は、あなたが私から大いなる栄光を得られるよう、あなたが行った業の全てを知り、選択肢を持たず、またあなたの愛を見て、あなたを讃美し、あなたの聖なる御名を讃えることが出来る必要があります。私はあなたのために、喜んでこの証しに堅く立ちます。神よ、あなたの愛は極めて貴く、美しいものです。どうして邪悪な者の手の中で生きることを望むことが出来ましょうか。私はあなたに造られたのではありませんか。どうして私がサタンの領域下で生きられましょうか。私は、自分が完全にあなたの刑罰の中で生きるほうがよいと思います。私は邪悪な者の領域下で生きることを望みません。私が清くされて、自らの全てをあなたに捧げることが可能であるならば、私は自分の身体と心を、全てあなたの裁きと刑罰に捧げる事を望みます。なぜなら、私はサタンを嫌悪し、サタンの領域下で生きることを望まないからです。あなたの私に対する裁きによって、あなたはご自身の義なるご性質を示されます。私は幸せであり、不満は一切ありません。私が被造物としての本分を尽くせるのであれば、私の人生全体があなたの裁きを伴うことを喜んで受け入れます。その裁きにより私はあなたの義なるご性質を知り、サタンの影響から脱することが出来るでしょう。」ペテロは常にそのように祈り、そのように求め、一層高い領域へと達した。ペテロは神の愛に報いることが出来ただけでなく、それ以上に重要な事として、それと同時にペテロは自分の本分も満たした。ペテロは自分の良心の呵責に苛まれなかっただけでなく、良心の基準を超越することが出来た。神の前へと辿り着くまでペテロの祈りは続き、ペテロの意欲と神に対する愛は最高潮に達した。ペテロは悲痛を受けつつも、神を愛することを忘れず、神の心を理解する能力を求め続けた。ペテロの祈りでは次のような言葉が述べられている。「私は、あなたの愛に報いること以外に何も実現していません。私はサタンの前であなたの証しに立っておらず、自らをサタンの影響下から解放しておらず、依然として肉の中で生きています。私は自らの愛でサタンを打ち破り、辱め、よってあなたの心を満たすことを望みます。私は自らの全てをあなたに捧げ、そのうちほんの僅かでもサタンに捧げないことを望みます。なぜなら、サタンはあなたの敵だからです。」ペテロがこうした方向性を追求すればするほど、ペテロは一層感激し、そうした物事に関する認識が一層高まっていった。ペテロは、自分をサタンの影響下から解放し、完全に神に戻すべきであることを、無意識のうちに知った。それがペテロが到達した領域であった。ペテロはサタンの影響を超越し、肉の悦楽から自らを脱し、神の刑罰と裁きの両方を一層深く経験することを望んだ。ペテロは言った。「私があなたの刑罰と裁きの中で生きたとしても、それに伴う苦難を問わず、依然として私はサタンの領域下で生き、サタンにまやかされることを望みません。私はあなたの呪いの中で生きることを喜び、サタンの祝福の中で生きることに痛みを感じます。私は、あなたの裁きの中で生きている時、あなたを愛し、それが自分に大いなる喜びをもたらします。あなたの刑罰と裁きは義であり、聖いものです。それらは私を浄化し、またそれ以上に私を救うためのものです。私は生涯をあなたの裁きの中で過ごし、あなたに見守られた方が良いと思います。私は一瞬たりともサタンの領域で生きることを望みません。私はあなたに浄化され、苦難を受けることを望み、サタンに利用され、欺かれることを望みません。被造物である私は、あなたにより使われ、所有され、裁かれ、刑罰を与えられるべきです。私は、あなたにより呪われるべきでさえあります。あなたが私を祝福することを望むとき、私の心は喜びます。なぜなら、私はあなたの愛を知ったからです。あなたは創造主であられ、私は被造物です。私はあなたを裏切ってサタンの領域で暮らすべきでも、サタンに利用されるべきでもありません。私は、サタンのために生きる代わりに、あなたの馬となり、雄牛となるべきです。私は物質的な喜び無く、あなたの刑罰の中で生きる方が良く、たとえあなたからの恵みを失ったとしても、そうして生きることが私に喜びをもたらすでしょう。あなたの恵みが無かったとしても、私はあなたの刑罰と裁きを受けることを喜びます。刑罰と裁きは、あなたの最高の祝福であり、恵みです。あなたは私に対して、常に威厳があり、怒りに満ちておられますが、それでもなお私はあなたから去れず、あなたを十分に愛することが出来ません。私はあなたの家に住み、呪われ、刑罰を受け、打たれることを望み、サタンの領域下で暮らすことも、ただ肉のために忙しく奔走することも望まず、ましてや肉のために生きることなど望みません。」ペテロの愛は清い愛であった。これが完全にされる経験であり、完全にされることの最高の領域であり、これ以上に有意義な人生は無い。ペテロは神の刑罰と裁きを受け容れ、神の義なる性質を大切にし、ペテロに関することで、それ以上貴いことは無かった。ペテロは「サタンが私に物質的な喜びを与えるが、私はそれを貴ばない。神の刑罰と裁きが私に降り、私はそこから恵みを受け、喜びを見出し、祝福される。神の裁きが無かったとしたら、私は神を愛さず、依然としてサタンの領域下で暮らし、サタンに支配され、指揮されていることだろう。そうした場合、私は決して真の人間とはなれないだろう。なぜなら、私は神に満足してもらうことが出来ず、私の全てを神に捧げることは無かったであろうからだ。神は、私を祝福されず、あたかも自分の中が燃えているように、心の安息が無いままにされ、平和も喜びも無いままにされ、また神の刑罰と鍛錬は決して私から無くなることが無いにもかかわらず、神の刑罰と裁きの中から、私は神の義なるご性質を見出すことが出来る。私はそれに喜びを感じる。人生において、それ以上に貴いことも有意義なことも無い。神の守りと慈しみが容赦の無い刑罰と裁き、呪いと打ちのめしとなったが、私はそれでもそうした事を嬉しく思う。なぜなら、そうした物事は私を一層浄化し、変化させ、神に近づかせ、一層神を愛し、神に対する私の愛を一層清くすることが出来るからである。そうしたことにより、私は創造物としての自分の本分を尽くすことが出来るようになり、自分が神の御前へと導かれ、サタンの影響から遠ざけられるので、もはや私はサタンに仕えていない。私がサタンの領域下で生活しておらず、何も躊躇せずに自分の持てる全てと、出来ることの全てを神に捧げることが出来る時、それは私が完全に満足する時であろう。私を救ったのは神の刑罰と裁きであり、私の一生は神の刑罰と裁きとは不可分である。地における私の生活はサタンの領域下にあり、神の刑罰と裁きによる慈しみと守りが無かったとしたら、私は常にサタンの領域下で生活していたであろうし、それ以上に、有意義な人生を行動で示す機会や術が無いであろう。神の刑罰と裁きが決して私から消えない場合にのみ、私は神により清くされることが可能となるであろう。神の辛辣な御言葉と義なるご性質、そして神の威厳ある裁きによってのみ、私は最高の守りを得て光の中で生き、神の祝福を得た。清くされること、また自らをサタンから解放し、神の支配下で生きることが可能であることが、現在における私の人生の最大の祝福である。」と述べた。これはペテロが経験した最高の領域である。



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