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全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会映像 「逆境の甘美」

2017-12-21 18:40:25 | 全能神教会映像

 

全能神教会映画 イエス・キリストはわが岩!わが力!「逆境の甘美」 主が私と共におられる

 韓露は中国本土の全能神教会の幹部です。彼女は10年以上神様を信仰しており、最後の日の全能神の働きを体験してきました。彼女は相応に真理を理解していて、人間が罪から逃れ、意義がある人生を送るには、終わりの日のキリストである全能神を通してそうする他に道はないということも知っています。彼女は全能神に従うためにすべてを投げうち、最後の日における神の出現とその働きについて証してきました。しかしながら無神論の政党である中国共産党が権力を握る中国本土では、宗教の自由は全く認められていません。中国共産党政府は地下教会をすべて禁じる内容の秘密文書を発行し、徹底的にクリスチャン達を逮捕し、迫害しました。韓露やその他の信者らは共産党の警官から監視され、最終的には追跡されて捕まってしまいました。共産党の警官達は教会の財産を奪い、さらに多くの指導者を捕まえるために韓露を残酷な拷問にかけました。また、様々な噂や誤謬を聞かせて彼女を洗脳しようとしたり、家族を利用して揺さぶりをかけ、卑劣な手口を使って彼女を脅して神を否定させ、裏切らせようとしました。苦痛と自らの弱さに立ち向かうため、彼女は神に頼り、神に祈りました。そして神の言葉に導かれ、サタンの計略を見抜くことができました。彼女は、拷問を受けながら取り調べを耐え抜き、中国共産党が持ち出した数々の噂や誤謬を敢然と跳ね除けたのです。中国共産党の迫害という苦しい環境の中で、なお美しく心に響く証がここに生まれました。


東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。 



全能神の発表「三つの忠告」

2017-12-20 15:32:31 | 全能神の発表

 

 

 を信じる者として、あなたがたは、あらゆることにおいて他ならぬ神一人に忠実で、あらゆる物事について、神の心に沿わなければならない。だが、皆がこの教えを理解していても、無知・不条理・堕落といった人間の中にある厄介なものがその原因で人間にとって最も明らかで基本的なこの真理を十分に皆の中で具現化されているのを見ることはできない。したがって、あなたがたの最終的な結末が決定される前に、まず、あなたがたにとって最も重要なことをいくつか話しておかなければならない。その前に、まず、次のことを理解しておきなさい。わたしの語る言葉は、特定の人や特定の種類の人に対するものではなく、すべての人に向かって示す真理である。だから、真理という観点からわたしの言葉を受け取ることにただ集中しなさい、そして集中心と誠意を常に持ち続けなさい。わたしの語る言葉、また語る真理のひとつでも無視したり、軽蔑したりしてはいけない。わたしはあなたがたが日々の生活の中で、真理と無関係なことを数多く行っていることを分かっている。だから、わたしはあなたがたにはっきりとお願いしておきたい。真理のしもべとなり、邪悪さや醜さの奴隷となることがないように。真理を踏みにじって、神の家の片隅でも汚すことのないようにしなさい。これが、あなたがたへの忠告である。さて、主題に移ろう。

 第一に、あなたがたの運命のため、神に認められることを求めなさい。それはつまり、神の家の一員であることを自覚しているのなら、あらゆる物事において神の心に安らぎと満足とをもたらすようでなければならない。つまり、自らの行いを律し、真理に適うような者でなければいけないということである。もしそれが到底できないというのであれば、神に嫌われ、見捨てられ、みなから拒まれることになってしまう。そんな状態になったのでは、神の家の一員とはいえない。それは神の承認を受ける者ではないということである。

 第二に、神は正直な人を喜ぶということを知っておきなさい。神は本質的に信実で、その言葉は常に信頼できる。さらに、神の業には誤りも疑問の余地もない。だから神は、自分に対して完全に正直な者を愛すのである。正直であるということは、神に心を捧げるということである──何事にも神を偽らないこと、あらゆることについて、神に率直であること、事実を隠そうとしないこと、上の者に対して偽りなく、下の者を惑わすことがないこと、そして、神に取り入る為だけに物事をするようなことが決してないこと。つまり、正直であるということは、言行において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということである。わたしの言っていることはまことに単純なことだが、あなたがたにとっては二重に困難なことである。言行において正直であるよりは、地獄に落とされたほうがましだと思う人は多いだろう。当然ながら、不正直な人々のために別の処遇が用意されている。もちろん、あなたがたが正直な人間であるために直面する大きな困難は、わたしも分かっている。あなたがたはとても賢く、自分の観点から他人を裁くのに巧みだ。それだからわたしの仕事はずっと簡単だ。あなたがたは、それぞれ心に秘密を抱いている。それでは、あなたがた一人一人に火の「試練」を下し、わたしの言葉への信仰に心から従うよう、仕向けよう。最後に、あなたがたの口から「神は信実な御方である」という言葉をねじり取ろう。そうすれば、あなたがたは自分の胸をたたいて、「人間の心は曲がっている」と嘆くことになる。そうなると、あなたがたの心はどういう状態になるだろう。今のように自尊心にまかせて行動することはなくなるだろう。今のように「自分は深遠すぎて理解されない」と言っているわけにはいかなくなるだろう。神の前ではきちんと振る舞い、とりわけ「礼儀正しい」けれど、霊の前では反抗的で放埒な行いをする者もいる。そのような人をあなたがたなら正直な者の数に入れるだろうか。もしあなたが偽善者で「社交」上手であるなら、あなたは神を軽んじていると断言しよう。もしあなたの言葉が言い訳と無価値な正当化だらけだとしたら、あなたには、真理を行おうという気持ちがないのだ。もしあなたが他人に言うことのできない秘密を多数抱え込んでいながら、光明を求めて自分の秘密──自分の中にあるやっかいな部分──を他人に打ち明けないでいるとしたら、あなたが救いを受けることは難しく、闇から抜け出すことも容易ではない。もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で奉仕する者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。真の信仰と真の忠実さとが内にあるかどうか、神のために苦難を受けたことがあるかどうか、神に心から従っているかどうか、自分の心に尋ねればわかるだろう。もし、そうしたものが欠けているのなら、あなたの心の内には、不服従、欺き、貪り、不満が残っている。心が正直でないから、神に認められたこともなく、光の中で生きたこともない。人間が最後にどうなるかは、その人が正直で神への強い想いがあるか、清い魂の持ち主かどうかにかかっている。極めて不正直で、悪意に満ち、汚れた魂をもっているなら、その人の終着点は人が罰せられる場所だ。もしあなたが、自分は極めて正直だと言いながら、真理に適う行いをすることも、真実を語ることもしないとしたら、それでも神があなたを報いてくれると期待するだろうか。それでも神が、あなたをこの上もなく慈しんでくれると期待するだろうか。そんな考えは非常識ではないだろうか。あらゆることで神を欺いていながら、どうしてあなたのように手の汚れた者を神の家が受け入れることができようか。

 第三の忠告だが、まず神を信じる者はみな、これまでたどってきた道のどこかで神に逆らい、神を欺いたことがある。過ちの中には、不正として記録する必要のないものもあるが、赦されないものもある。その多くは行政に背くものであり、神の性質に逆らうものだからである。自分の運命を心配する多くの人々は、それはどういう行いかと尋ねるだろう。あなたがたは、自分が本来、傲慢で尊大であり、事実を受け入れることを望んでいないということを知らなければならない。だから、まずあなたがたが自らを省みた後、少しずつ教えていこう。行政の内容をよく理解し、神の性質を知るようにしなさい。そうでなければ、唇を閉じていることができず、いつまでも偉そうなことをまくしたてるだろうから。無意識の中に神の性質に逆らい、闇に落ち、聖霊と光とを失うことになる。あなたがたは、行いにおいて無原則だからだ。してはいけないことをし、言ってはいけないことを言うなら、相応の罰を受けることになる。あなたは言葉と行いにおいて無原則であっても、神はそのいずれにおいても、まことに原則がある。あなたが罰を受けるのは、人にではなく、神に背いたからだ。もし、あなたの人生で神の性質に背くようなことを幾度もしたのであれば、あなたは地獄の子ということになる。人間の目には、真理に沿わないことを少ししただけのことと見えるだろう。しかしながら、神の目からすると、あなたのためには、もう罪を贖う捧げ物がないのだということは、わかっているだろうか。あなたは行政に何度も背いていながら、悔い改めようとしなかった。そのため、地獄に落とされ、神の懲罰を受けるしかないのだ。神に従ってきた僅かな人達は、原則に背く行いをしたけれども後に取り扱われ、導きを受け、徐々に自らの堕落を知り、現実の正しい道を歩み、今も正しい基礎の上にしっかりと立っている。そうした人々は、最後までその道から外れることはないだろう。わたしは正直な人を求めている。もしあなたが正直で、正しい行いをするのなら、あなたは神の心を知ることができる。行いにおいて神の性質に背かず、神の意志を求め、神を敬う心を持つなら、あなたの信仰は基準に達している。神を崇め、震えるほど神を恐れる心がない者は、容易に神の行政に背いてしまうだろう。多くの人が感情に基づいて神に仕え、神の行政をも知らず、ましてや神の言葉の深い意味など分からずにいる。そして良いことをしているつもりが、神の計画を妨げているようなことがしばしばある。深刻な妨げをする者は見捨てられ、もはや神に従う機会は与えられない──彼らは地獄に投げ込まれ、神の家とは何の関係もなくなる。そうした人は、神の家で無知な善意をもって働き、結果、神の怒りを引き起こしてしまう。人々は、役人や主君に仕えるやり方を神の家に持ち込み、そういうやり方がここで通用すると、無益に思い込んでいる。彼らには、神は羊ではなく、獅子の性質を持っているとは、思いもつかない。そのため、初めて神と関わった者は、神と交わることができない。神の心は人間のそれとは異なっているのだから。多くの真理を理解して初めて、いつでも神を知っていられるようになる。この認識は文字や教義ではなく、神の心を知る宝、神があなたを喜んでいる証となるものである。真の認識を欠き、真理を自らのものとしていないのなら、あなたの感情に基づいた奉仕は神に嫌われ、憎まれるだけである。このように、あなたは、神を信じることが、単に神学を学ぶことではないということを理解できるだろう。

 わたしの忠告は短いものではあるが、これらはみな、あなたがたに最も欠けているものだ。今、話をしていることは、人間の中での最後の働きのためであり、人間の結末がどうなるかを決定するものなのだ。これ以上、無意味なことは、もうしたくない。枯れ木のようにどうしようもない人々、ましてや邪悪な意図をもつ人々を導き続けることも、したくない。おそらく、いつの日か、わたしの言葉に込められた心からなる願いと、わたしが人類のために行ったことが、あなたがたに理解されることだろう。おそらくいつか、あなたがたが自分の最終的な運命を決定する原理をはっきりと理解する日が来ることだろう。



私たちについて:全能神教会の紹介

世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう



全能神教会御言葉讃美歌「これが神が救おうとする人類」

2017-12-18 13:36:33 | 全能神教会御言葉讃美歌

 

これがが救おうとする人類


人は皆 ずっとサタンに踏みにじられ
彼らはもはや 創世のアダムとエバではない
神に逆らう 観念・知識・空想
堕落した 性質ばかり
でも神の目には 人は被造物であり
でも神の目には 人は被造物であり
人は皆 今でも神に造られたもの


人は皆 今なお神の支配の下
神が定めた 進路の内で生きている
神の目には 
人はけがされただけ サタンによって 
泥におおわれ 飢えにとり憑かれ 鈍く忘れっぽいだけ
老いても機能 本能は残ってる
そんな人を 神は救うことを願ってる


人は皆 創り主の呼びかけと
声を聞く時 起きて急ぎ声を探す
姿見る時 神に全て捧げる
命さえ 明け渡して
創り主の声 姿を見ればたちまち
神のためなら 全て投げ出してしまう
人は皆 命さえも明け渡してしまう


創り主の 真剣な言葉を 理解する時
サタンを拒んで見捨て
悟ることで 創り主へと帰る
全ての汚れ 洗い流す時
全て満たされ 創り主に養われ
記憶再び よみがえることになり
創り主の 権勢と支配の下へ帰る
『言葉は肉において現れる』より



東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。 


全能神の発表「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」

2017-12-17 15:44:48 | 全能神の発表

 

 

 わたしは地上でわたしに従う者たちを多く求めてきた。彼らの中には祭司として奉仕する者たち、指導する者たち、息子となる者たち、民を構成する者たち、そして奉仕をする者たちがいる。わたしは人がわたしに示す忠誠心に従って分類する。あらゆる人が種類によって区分されるとき、つまり、それぞれの人の性質が明確にされたとき、わたしは一人一人に適切に分類し、その人たちを適切な場所に配置しよう。そうすることでわたしは人類の救いの目的を実現できるかもしれないからである。順番に、わたしは救ってわたしの家に戻したいと願っている人たちのグループを呼び、それから終わりの日のわたしの働きを受けいれるようすべての人に求める。それと同時に、わたしは種類によって人を区分し、彼らの行いに応じてそれぞれに報酬か罰を与える。それらがわたしの働きを構成するステップである。

 わたしは今地上で生活し、人々の中で生きている。すべての人はわたしの働きを体験し、わたしの言葉を観察している。それと共に、わたしはわたしに従って来る人たちすべてに真理を授け、その結果彼らがわたしからいのちを受け、進む道を持つかもしれないからである。というのは、わたしはいのちを与える神であるからだ。わたしの長年の働きで、人は多くを受け取り、多くを捨ててきたが、やはりわたしは、人がわたしを忠実に信じていないと断言する。人はわたしが神であることを単に表面上認めるだけで、わたしが話す真理には同意せず、ましてやわたしが彼らに求める真理を実践することはない。つまり、人は神の存在を認めるだけで、真理の存在は認めない。人は神の存在を認めるだけで、いのちの存在は認めない。人は神の名を認めるだけで、神の本質は認めないのである。人は熱心であるがために、わたしには忌まわしい存在だ。人はわたしを欺くために、耳に心地よい言葉を用いているだけで、だれもわたしを心から礼拝しない。あなたがたの言葉には蛇の誘惑がある。そして、まるで単に天使長が表現したかのように、あなたがたの言葉は極端に傲慢である。さらに、あなたがたの行いはすり切れ、あなたがたの度を過ぎた願望や強欲なもくろみは聞くに不快である。あなたがたはすべてわたしの家で蛾になり、嫌悪と拒絶の対象となった。あなたがたの誰も真理を愛する者たちではなく、祝福を好み、昇天を望み、キリストが地上で力を使った荘厳さを見て喜ぶ人でしかない。あなたがたのように堕落してしまっていて、神を全く知らない人間が、神に従う資格があるかどうかを考えたことはあるか。あなたがたがどのようにして天に上げられることができるだろうか。あなたがたは先例のない荘厳な美しさを見るにふさわしいと言えるのか。あなたがたの口は欺きと卑猥な言葉、裏切りと傲慢な言葉で満ちている。あなたがたはわたしに正直で聖い言葉も、わたしの言葉を体験しわたしに従う言葉も決して語ったことはなかった。これはどんな信仰だろうか。あなたがたの心は欲求と富で満ちており、あなたがたの頭の中は物質的なもので満ちている。毎日、あなたがたはわたしから獲得した富と物質がどれくらいあるか評価して、どのようにわたしから得ようと計算している。毎日、あなたがたはもっと祝福が施されるよう待っている。その結果もっと大きな娯楽を楽しめるかもしれないからである。いつもあなたがたの考えにあるのは、わたしでもわたしから来る真理でもなく、むしろ夫(妻)、息子や娘たちであったり、あるいは食べたり、着たりするもの、そしてどうやってもっと楽しく過ごすかということであったりする。たとえお腹が一杯になっても、あなたがたは依然として死体以上の存在ではないか。たとえあなたがたの体をきらびやかに着飾っても、いのちのない死体が歩いているだけではないか。あなたがたは白髪が生えるまで、腹を満たすために一生懸命働くが、だれもわたしの働きのために喜んでうぶ毛一本さえ犠牲にしようとはしない。あなたがたは旅をし、骨折って働き、肉のためにまた息子や娘たちのために頭を悩ますが、だれもわたしの心にあるものを心配したり考慮したりすることはない。あなたがたはわたしから何を得たいと思っているのか。

 わたしは決して自分の働きを急ぐことはない。人がどのようにわたしに従っても、わたしは計画のまま、それぞれの段階に合わせてわたしの働きをする。だから、あなたがたがどれほどわたしに反抗しても、わたしは自分の働きを止めることはなく、わたしが思う通りに話し続ける。わたしがあらかじめわたしの言葉を聞くように定めておいた人たちをすべてわたしの家に招き、わたしの言葉に従い、待ち焦がれる人たちすべてを玉座の前に置く。わたしの言葉を裏切る者たちや、またわたしに従うことも服従することもない人たちや、公然とわたしに反抗する人たちは彼らの最後の罰を待つためにわきに投げ捨てられるだろう。あらゆる人たちは堕落し、悪魔の手の下で生活をしているので、わたしに従っている多くの人たちが実際真理を待ち焦がれているわけではない。すなわち、わたしを真の心でもって、あるいは真理をもって礼拝している人たちはほとんどおらず、堕落、反抗、欺きの方法でわたしの信頼を獲得しようとしている。だから、わたしが「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」というのだ。招かれた人たちはすべてあまりにも堕落しており、同じ時代に生きているが、選ばれる人たちは真理を信じ認め、真理を実践しているだけである。これらの人たちは全体のほんの少しで、これらの人たちから、わたしはさらに栄光を受け取るだろう。これらの言葉に照らし合わせて、あなたがたは選ばれた人たちの中にいるかどうかわかるだろうか。あなたがたの行く末はどうなるだろうか。

 わたしに従う者はたくさんいるが、わたしを真の心で愛すものは少ないとわたしはすでに言った。おそらく、ある人たちは「もしあなたを愛さないなら、私はこれほど犠牲にするだろうか。もし私はあなたを愛していなくても、今まであなたに従うだろうか。」実にあなたには多くの理由がある。確かに、あなたの愛は非常に大きいが、あなたのわたしに対する愛の本質は何だろうか。「愛」とは、そう呼ばれるように、汚れのない純粋な感情のことで、心を用いて愛し、感じ、そして思いやりを持つことを意味する。愛には条件も、障害も、距離もない。愛には、疑いも、欺きも、ずるがしさもない。愛には、距離もなく汚れた物は何もない。もしあなたが愛しているなら、あなたは欺くことも、不満を言うことも、裏切ることも、反抗することも、取ることも、何かあるいはなにがしかの量を受け取るよう頼むこともない。もしあなたが愛しているなら、あなたは喜んで捧げ、困難に耐え、わたしに味方するだろう。わたしのためにあなたの家族や、将来や、青春や、結婚などすべてを捨てるだろう。さもなければ、あなたの愛は全く愛ではなく、欺きで裏切りである!あなたの愛はどんな愛だろうか。それは真の愛だろうか。偽りの愛だろうか。あなたはどれだけ捨てただろうかどれだけ捧げてきたのか。わたしはあなたからどれだけ愛をもらっただろうか。あなたは知っているだろうか。あなたがたの心は悪と裏切りと欺きで満ちている。そうであれば、あなたがたの愛はどれだけ不純だろうか。あなたがたはわたしのためにもう十分断念して来たと信じている。あなたがたのわたしに対する愛はもう十分だと信じているが、ではなぜあなたがたの言葉や行動はいつも反抗と欺きを伴っているのか。あなたがたはわたしに従っているが、それでもわたしの言葉を認めていない。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはわたしに従っているが、わたしをわきに寄せている。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはわたしに従っているが、わたしを信頼していない。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはわたしに従っているが、それでもわたしの存在を受け入れることができない。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはわたしに従っているが、それでもわたしをわたしとして取り扱わず、あらゆる節目で、わたしが多くの事で困るようにしている。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはわたしに従っているが、それでもわたしを愚か者として取り扱い、全てのことで、わたしを欺いている。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはわたしに仕えているが、わたしを畏れていない。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはすべての点で、またすべてのことにおいてわたしに反対している。これは愛と考えられるだろうか。あなたがたはたくさん捧げてきたことは本当だが、わたしがあなたがたに求めたことを全く実践して来なかった。これを愛と考えることはできるだろうか。注意深く計算してみると、あなたがたの中には少しもわたしに対する愛が暗示されていないことがわかる。わたしが提供してきた長年の働きと多くの言葉から、実際あなたがたはどれだけ受け入れてきただろうか。これは振り返る価値があるのではないか。わたしはあなたがたに忠告する。わたしが招く人たちは堕落したことがない人たちではないが、わたしが選ぶ人たちはわたしを真に愛している人たちである。だから、あなたがたは言葉と行いにおいて油断することなく、あなたがたの意図や考え方を吟味し、一線を超えないようになければならない。終わりのときには、わたしの前にあなたがたの愛を捧げることができるよう最善を尽くしなさい。さもないと、わたしの怒りがあなたがたから離れることがないように。



東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。 


全能神の発表「あなたは本当に神を信じているのか」

2017-12-14 14:11:44 | 全能神の発表

 

を信仰するあなたの旅路は1年、あるいは2年以上続いているかもしれないし、あなたの人生でここ数年において、あなたは多くの困難に耐えているかもしれない。あるいは、あなたは困難は受けておらず、その代わりに多くの恵みを受け取っているかもしれない。あなたは困難も恵みも経験しておらず、ただ最も普通の人生を送ってきたかもしれない。それでもなお、あなたはやはり神に付き従う者であるので、神に付き従うという主題について語ろう。しかしながら、わたしはこれらの言葉を読む人たちすべてに、神の言葉は、神を認め、神に付き従う者すべてに向けており、神を認めない者も含まれる広い意味でのすべての人々には向けていないということを、念を押さなければならない。もしあなたが、神は大衆に語っていると、世界中のすべての人々に向かって話していると、信じるなら、神の言葉はあなたに何の影響も及ぼさないだろう。だから、あなたは神の言葉のすべてをいつも気にかけているべきであり、神の言葉の影響が及ぶ範囲の外側に身を置くべきではない。いずれにしても、わたしたちの家で起こっていることについて話そう。

 あなたがたはみな、神を信じることの本当の意味を理解すべきである。わたしが以前に話した神を信じることの意味は、あなたがたの肯定的な面から入ることに関連している。今日はそうではない。わたしは、神に対するあなたがたの信仰の本質について分析したい。もちろん、これはあなたがたを否定的な面から導いている。もしわたしがそうしなかったら、あなたがたはあなたがたの本当の顔つきを決して知ることはなく、永遠にあなたがたの敬虔さと忠実さを誇り続ける。つまり、もしわたしがあなたがたの心の奥底にある醜さを明るみに出さなかったなら、あなたがたの誰もが、自らの頭に冠をかぶらせ、自分自身にすべての栄光をもたらす。あなたがたの横柄で傲慢な本質が、あなたがたに良心を裏切らせ、キリストに反逆し、反抗させ、あなたがたの醜さを露呈させ、それによってあなたがたの意図、固定観念、度を過ぎた欲望、欲にまみれた目を光にさらす。それでもなおあなたがたは、自分の人生をキリストの働きに捧げると宣言し続け、キリストによってずっと以前に語られた真理を何度も何度も繰り返す。これがあなたがたの「信仰」である。これがあなたがたの「汚れなき信仰」なのである。わたしはずっと人にとても厳しい規範を守らせてきた。わたしは、己の考えによってわたしを欺き、条件をもってわたしに強要する者が大嫌いなので、もしあなたの忠誠が己の考えや条件を伴うものであるなら、あなたの忠誠と呼ばれるものなどむしろない方がよい。わたしが人に望むことは、わたしだけに忠実であり、すべてのことをただ「信仰」の一語のために行い、「信仰」の一語を証明することである。わたしは、あなたがたがわたしを喜ばせようとして甘い言葉を使うのを軽蔑する。わたしはいつも、完全な誠実さをもってあなたがたに接しているので、わたしはあなたがたにも、わたしに対して本当の信仰をもってふるまってほしいと願う。信仰に関して言えば、信仰を持っているので神に付き従うのであり、もしそうでなければ、そのような苦しみに耐えることはないと多くの者は考えるかもしれない。それではわたしは尋ねる、あなたは神の存在を信じているのに、決して神をあがめないのはなぜなのかと。もしあなたが神の存在を信じているなら、それではなぜ、心に神に対する恐れをいだかないのだろうか。キリストは肉となった神であるということを受け入れるなら、それではなぜ、あなたはそのように彼を侮り、それほど不敬な態度で臨むのだろうか。なぜあなたはあからさまに彼を批判するのだろうか。なぜあなたは、いつも彼の動静をうかがうのだろうか。なぜあなたは彼の采配に従わないのだろうか。なぜあなたは、彼の言葉に従って行動しないのだろうか。なぜあなたは彼からゆすり取り、捧げ物を奪いとろうとするのだろうか。なぜあなたはキリストに成り代わって話すのだろうか。なぜあなたは、神の働きと言葉が正しいかどうかについて評価するのだろうか。なぜあなたは、彼のいないところで彼を冒涜できるのだろうか。このようなことがあなたの信仰を作っているのだろうか。

 あなたがたの話すことと行いのあらゆる部分が、あなたがたがあなたがたのうちに携えるキリストへの不信仰の要素を露呈する。あなたがたの行いの動機と目的には、不信仰が浸み込んでおり、あなたがたのまなざしや、あなたがたが吐き出す息は、そのような要素で汚されている。つまり、あなたがた一人ひとりが、一日の一瞬一瞬、不信仰の要素を携えているのである。そうであれば、あなたがたの体の中を巡る血には、この肉となった神に対する不信仰が浸み込んでおり、あなたがたはどの瞬間にもキリストを裏切る危険性があるということである。したがって、あなたがたが神への信心の道に残す足跡は実のあるものではないとわたしは言おう。あなたがたの神への信仰の行路はしっかりとしたものではなく、あなたがたはただふりをしているに過ぎないのである。あなたがたはいつもキリストの言葉に対して懐疑的で、すぐに実行に移せないのである。これが、あなたがたがキリストへの信仰を持たない理由であり、いつもキリストについて固定観念を持っていることが、あなたがたがキリストを信じないもうひとつの理由である。キリストの働きに対していつも懐疑心を持つこと、キリストの言葉に耳を傾けようとしないこと、キリストが行なった働きにいつも意見を持ち、それを適切に理解できないこと、たとえ説明を受けても、固定観念を手放すことに苦労することなど、これらはすべて、あなたがたの心の中にある不信仰の要素なのである。あなたがたはキリストの働きに付き従い、決して遅れをとらないが、あなたがたの心の中にはあまりにも反逆が入り混じっている。この反逆は、神に対するあなたがたの信仰における不純物なのである。おそらくあなたがたは同意しないであろうが、もしあなたがその不純物から来る自らの意図を認識できないなら、あなたは間違いなく滅びる者の一人となる。なぜなら、神は、彼を本当に信じる者だけを完全にするのであり、彼に懐疑的な者、ましてや彼に従ってはいても決して彼が神であるとは信じない者を完全にしないからである。

一部の人々は真理を喜ばず、裁きとなればもっと喜ばない。むしろ、人々は権力と富に喜びを見出すのであり、そのような人々は俗物と見なされる。彼らはもっぱら、影響力を持つ世界中の宗派や、神学校から来た牧師や教師を探し求める。真理の道を受け入れたにもかかわらず、彼らはどこまでも懐疑的で、自分自身を完全に献げることができない。彼らは神のために犠牲を捧げることについて話しはするものの、彼らの目は偉大な牧師や教師に注がれ、キリストは無視されている。彼らの心にあるものは名声、繁栄、栄誉ばかりである。彼らは、そのような貧弱な人がそれほど多くの者を征服することができ、そのような平凡な人が人々を完全にすることができるなどと全く信じない。彼らは、塵と糞の中にいるとるに足りない人々が神に選ばれているとは信じないのである。彼らは、もしそのような人々が神の救いの対象であれば、天と地がひっくり返り、すべての人間が大笑いするだろうと信じている。彼らは、もし神がそのような取るに足らない者たちを完全にすると決めたのであれば、先に挙げたこのような偉大な人たちは神自身になってしまうと信じている。彼らの考え方は不信仰によって汚染されている。実際のところ、不信仰どころか、彼らは、ばかげたけだものである。なぜなら、彼らは地位、名声、権力だけに価値を置く。彼らが重要視するものは大きな集団や宗派である。彼らはキリストに導かれる者のことを全く考慮しない。彼らはキリストに、真理に、そしていのちに背をむけた裏切り者でしかないのである。

 あなたが敬慕するのはキリストのへりくだりではなく、有名な地位にある偽の指導者たちである。あなたはキリストの素晴らしさや知恵を愛さないが、邪悪な世と交わりを持つ奔放な者たちを愛している。あなたは、枕するところもないキリストの苦しみを笑うが、捧げものを奪い取り放蕩な生活を送る屍たちを賞賛するのである。あなたはキリストのそばで苦しむことを望まないが、あなたに肉、文字、支配しか与えない浅はかな反キリスト者たちの腕の中に喜んで入っていこうとするのである。今でもあなたの心は、彼らに、彼らの評判に、あらゆるサタンの心の中にある彼らの地位に、彼らの影響力に、彼らの権威の方に向いているのに、あなたはキリストの働きを受け入れずに反抗と拒否の態度を持ち続けるのである。だから、あなたがキリストを認める信仰を持っていないとわたしは言うのだ。あなたが今日に至るまでキリストに従ってきたのは、あなたが強いられていたからに過ぎない。あなたの心の中ではどこまでも、多くの気高いイメージがそびえる。彼らの言葉や行いのひとつひとつが忘れられず、彼らの影響力ある言葉や手も忘れられない。あなたの心の中では、彼らは永遠に至高で、永遠に英雄なのである。しかし、これは今日のキリストにはあてはまらない。彼はあなたの心の中で永遠に、取るに足らない存在であり、永遠に、畏敬に値しない。なぜなら、彼はあまりにも普通すぎ、あまりにも影響力がなさ過ぎ、高遠さとははるかにかけ離れているからである。

 いずれにしても、真理を重んじない者はすべて、不信仰者であり真理を裏切る者であると言おう。そのような人は決してキリストの承認を得ることはできない。あなたの中にどれほど多くの不信仰があるのかあなたは今、分かっただろうか。そしてあなたは、どれほどキリストを裏切っているだろうか。わたしはあなたに以下のことを熱心に勧める。あなたが真理の道を選んだのだから、あなたは誠心誠意献身すべきである。あいまいなどっちつかずの態度であったり、気のりのしない態度であったりしてはならない。神は世界にも、一人の人間にも属さず、本当に神を信じ、礼拝し、献身的で忠実な者すべてのものに属することを知るべきである。

 今なお、あなたの中に大いに不信仰がある。あなた自身の内側をよく見てみよ。そうすれば、必ず答えが見つかる。あなたが真の答えを見つけるとき、あなたが神を信じる者ではなく、むしろ神を欺き、冒涜し、裏切り、神に忠実でない者であることを認める。そのときあなたは、キリストは人ではなく、神であると悟る。その日が訪れると、あなたはキリストを畏敬し、恐れ、心に愛する。今、あなたがたの信仰はあなたがたの心の30パーセントでしかなく、70パーセントは疑いに支配されている。キリストによってなされたいかなる行いも、話されたいかなる言葉も、あなたがたにキリストについての固定観念や意見を形づくらせる。このような固定観念や意見は、キリストに対するあなたがたの完全な不信仰から生じるのである。あなたがたは天にいるまだ会っていない神だけを敬慕し惧れ、地上の生けるキリストを全く重んじないのである。これもあなたがたの不信仰ではないだろうか。あなたがたは、過去に働いた神だけを慕い、今日のキリストを直視しようとしない。これらが、今日のキリストを信じないあなたがたの心の中に混在する日常の「信仰」なのである。わたしはあなたがたを過小評価しない。あなたがたの内にはあまりにも多くの不信仰があり、あなたがたには、不純で、詳細に吟味されねばならないところが多すぎるから。このような不純物は、あなたがたが全く信仰を持たないことを示している。このような不純物はあなたがキリストを放棄したことを示し、あなたがたにキリストの裏切り者の汚名を着せる。このような不純物は、キリストに対するあなたがたの認識を覆い隠すベールであり、あなたがたがキリストのものとされることに対する障壁であり、あなたがたとキリストとの一致を妨げるものであり、そしてキリストがあなたがたを承認しないという証拠なのである。今こそあなたがたの人生のすべての部分を吟味するときなのである。そうすることは、想像し得るあらゆる面で、あなたがたに益をもたらす。

 

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。  


全能神の御言葉カード

2017-12-13 14:10:17 | 全能神御言葉カード

 

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東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。