全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

日々の神の御言葉「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」(抜粋 1)

2020-05-20 11:15:21 | 全能神教会御言葉朗読

数千年もの間、人は救いの到来に立ち会えることを熱望してきた。何千年もイエスを切望し、渇望してきた人々のもとにイエスが白い雲に乗って直接降りてくるのを見ることを望んできた。救い主が戻って来て人々と再会すること、すなわち、救い主イエスが何千年もの間離れていた人々のもとに戻ってくることを望んできた。そしてイエスがユダヤ人の間で行った贖罪の働きをもう一度実行すること、人に対して憐れみ深く愛情にあふれていること、人の罪を赦し、人の罪を負い、人のすべての逸脱さえ引き受け、人を罪から救うことを望んでいる。人々は救い主イエスが以前と同じであること、つまり愛すべき、心優しい、尊敬すべき救い主、人に対して決して激怒せず、決して人を非難しない救い主であることを望んでいる。この救い主は人の罪のすべてを赦し、引き受け、人のためにもう一度十字架上で死にさえする。イエスが旅立って以来、彼に従った使徒たちや、彼の名前のおかげで救われたすべての聖徒はイエスを切望し待っている。恵みの時代にイエス・キリストの恵みによって救われた人々はすべて、終わりの日の喜びに満ちたある日、救い主イエスが白い雲に乗って到着し、人々のもとに現れる日をずっと待ち焦がれている。もちろん、これは今日救い主イエスの名前を受け入れるすべての人々が共有する望みでもある。全世界のあらゆる場所で、救い主イエスの救済について知っている人々はすべて、イエス・キリストが突然到来し、「わたしは旅立った時とまったく同じようにやって来る」と地上で言った言葉を実現させることを心底切望している。磔刑と復活の後、イエスは白い雲に乗って天に戻り、神の右に座したと人は信じている。同様に、イエスは再び白い雲に乗って(この雲はイエスが天に戻るとき乗った雲を指している)何千年もの間イエスを待ち焦がれている人々のもとに降りて来るであろうこと、イエスはユダヤ人の姿をし、ユダヤ人の衣服を身に着けているであろうことを人は心に描いている。人の前に現れた後、イエスは食物を彼らに授け、生ける水を人々に向けてほとばしり出るように流し、恵みと愛に満ち、人々のあいだで生き生きと現実に暮らすだろう、等々。しかし、救い主イエスはそうはしなかった。彼は人が心に抱いたこととは反対のことをした。イエスはその再来を切望していた人々のもとには到来せず、白い雲に乗ってすべての人の前に現れもしなかった。彼はすでに来ていたが、人は彼を知らず、その到来に気づかないままである。イエスがすでに白い雲(イエスの霊、言葉、全性質、そして彼のすべてである雲)に乗って降りてきて、終わりの日に彼が作る克服した者たちの一団のもとに今ではいることに人は気づかず、虚しく彼を待っているだけである。人はこのことを知らない。聖なる救い主イエスは人に対して慈しみと愛に満ちているが、どうして彼が腐敗と不純な霊が宿っている「神殿」で働くことができようか。人はイエスの到来をずっと待っているが、不義の者の肉を食べ、不義の者の血を飲み、不義の者の衣服を着る人々、イエスを信じるが彼を知らない人々、絶えず彼からだまし取る人々の前にどうしてイエスが現れることができようか。人は救い主イエスが愛と哀れみに満ちており、赦しに満ちた贖罪のための捧げものであることしか知らない。しかし、イエスは同時に神自身であり、義、威厳、怒り、および裁きにあふれており、権威を所有し、尊厳に満ちていることはまったくわかっていない。そこで、たとえ人が贖い主の再来をしきりに切望し、天が人の祈りによって動かされたとしても、救い主イエスは、彼の存在は信じても、彼のことを知らない人々の前には現れない。

『言葉は肉において現れる』より引用

[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


ワーシップソング「人類が神を礼拝すれば幸運を得られる」男性ソロ 日本語字幕

2020-05-18 11:45:58 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌MV

ワーシップソング「人類が神を礼拝すれば幸運を得られる」男性ソロ 日本語字幕 神はこの世界を創造し、この人類を創造した また、神は古代ギリシア文化ならびに 人類文明の設計者でもあった 神のみがこの人類を慰め 神のみが日夜人類のことを思いやる 人類の発展と進歩は 神の支配と切り離すことはできない 人類の歴史と未来は神の計画から切り離せない 人類の歴史と未来は神の計画から切り離せない あらゆる国または民族の興亡は 神の意図によって起こる 神のみが国または民族の運命を知っており 神のみがこの人類の進むべき道を制御する 神のみがこの人類の進むべき道を制御する 人類が良い運命を望むなら また国家が良い運命を願うなら 人類はひれ伏して神を礼拝し 人類が良い運命を望むなら また国家が良い運命を願うなら 人類はひれ伏して神を礼拝し 神の前で悔い改め 罪を告白しなければならない さもなければ人類の運命と終着点は 災難となることは避けられない 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

ワーシップソング「神は人がいくつの道を進むべきか予め定めた」(舞台版)

 

 


ゴスペル キリスト教映画「呪縛を解く」抜粋シーン(1)どのように私たちは主の再臨を迎えるのか

2020-05-17 11:32:11 | 全能神教会映像

キリスト教映画「呪縛を解く」抜粋シーン(1)終わりの日における主の再臨をどうお迎えするべきか
赤い皆既月食はすでに4度ありました。このことは、大災害が間もなく私たちに降りかかることを意味しています。ヨエル書にも同じような予言があります。「その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。ヤーウェの大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。」(ヨエル書 2 : 29-31)大災害が私たちに降りかかる前、神の霊はそのしもべやけらいたちを養い、勝利者たちの集団を作り上げるでしょう。もし私たちが大災害の前に引き上げられなければ、この災害で命を落としかねません。今、東方閃電は主が再臨され、真理を示し、勝利者たちの集団を作られたとの証しをしています。これは聖書の予言を成就していませんか?東方閃電は主の働きの現れではないのでしょうか?


聖霊が諸教会に語られた御言葉「神の現れによる新時代の到来」

2020-05-16 12:16:53 | 全能神教会映像

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


キリスト教動画「真は偽りとならず」終わりの日に私たちは真のキリストと偽キリストをどのように見分けるべきか【寸劇】

2020-05-15 11:41:56 | 全能神教会の寸劇

キリスト教動画「真は偽りとならず」終わりの日に私たちは真のキリストと偽キリストをどのように見分けるべきか【寸劇】
    主イエスは「わたしはすぐに来る」(ヨハネの黙示録22:12)と仰せられました。終わりの日は主の到来をお迎えするために最も重要な時であり、ある教派の信者であるジェン・ハオエンは、彼の妻が「主が戻られた」と証しするのを聞くと、自分も学んで求めたいと思います。しかし、彼の教会の牧師が繰り返し彼を妨害しようとし、「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう」(マタイによる福音書24:24)という聖書の一節を持ち出し、そして、主の到来を説く者はみな偽りであり、ジェン・ハオエンは混乱の中に閉じ込められます。妻の交わりを通して、彼は真のキリストと偽キリストの見分け方に関する側面の真理を理解するようになり、ついに混乱を取り去ります。寸劇「真は偽りとならず」をお楽しみください。


キリスト教映画「知らぬが命取り」抜粋シーン:真の道を学ぶには誰の声を聴くべきか

2020-05-14 12:22:17 | 全能神教会映像

キリスト教映画「知らぬが命取り」抜粋:真の道を学ぶには誰の声を聴くべきか
主を真剣に信じ、神の出現を待ち焦がれる者たちの多くが、全能神の御言葉を読み、皆それが真理であり神の御声であることを認め、真の道を求め学ぼうと思っている。しかし信者の中には、5月28日山東招遠事件の際、中共の無神論政府と宗教界の牧師や長老たちの広める嘘を信じてしまったため、神の働きに疑いを抱き、真の道の探究を断念する者もいる。ここで問題となるのは何か?山東招遠事件は全能神の出現と働きに関係はあるのか?真の道を求め学ぼうとするキリスト教徒たちは果たして誰の声を聴くべきなのか?

 


「神が救う人々は神の心の中で最も大切な者たち」キリスト教の歌 歌詞付き

2020-05-13 12:26:28 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌MV


「神が救う人々は神の心の中で最も大切な者たち」キリスト教の歌 歌詞付き
神の救いの業はなんと重要だろう
神にとって何より重要だ
神は思いと言葉だけでなく
意図的な計画と意志により
全人類のために全てのことを為す
ああ 人にとっても神にとっても
なんと意義ある救いの業か
神は忙しく努力している
神はかつてない多大な代価を払い
業を営み、全てのものと人を統治する
業の中で、神は徐々に明らかにする
神がどんな方で、何を持ち、支払ったか
神の知恵と力、全ての性質を
何も神を止めることは出来ない
その業にどんな妨げや困難があろうと
どんなに人が弱く反抗的でも
神に難しいことはない
難しいことは何一つない

神は治め、救うために人を選んだ
神は何と身近にいるのだろう
この宇宙で
神とこんなに親しくなれた者がいようか?
神にとって彼らは重要で、価値がある
神の多大な代価にも関わらず
人は神に背き、傷つける
しかし、たゆみなく神は働く
不満も後悔もなく
それはいつの日か
人はみことばに動かされると知っているから
彼らは神が呼ぶ声に起こされ
神こそ全てのものの主であると認め
神のもとへと立ち返っていくだろう
何も神を止めることはできない
その業にどんな妨げや困難があろうと
どんなに人が弱く反抗的でも
神に難しいことはない
難しいことは何一つない
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

キリスト教の歌「神は全ての人が救いを得ることを望む」歌詞付き

 


ワーシップソング「神を信じるなら神の前で心を捧げなさい」Praise and Worship 日本語字幕

2020-05-12 12:57:56 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌MV

ワーシップソング「神を信じるなら神の前で心を捧げなさい」Praise and Worship 日本語字幕
あなたは神を信じているのだから
神の前にあなたの心を差し出さねばならない
神の前であなたの心を捧げ
あなたの心を神に委ねるなら
精錬の間にあなたが神を否定することや
神から離れることはできなくなるだろう
このようにして神とのあなたの関係は
より親密により正常になり
神との交わりはより頻繁になるだろう
常にこのように実践すれば
あなたはさらに多くの時間を神の光の中で過ごし
神の言葉の導きの下で
より多くの時間を過ごし
あなたの性質にもより多くの変化が起き
認識は日々増えるだろう

その日が来て神の試練が突然降りかかっても
あなたは神の側に立つことができるだけでなく
神への証も立てることができるだろう
その時、あなたは
ヨブやペテロのようであるだろう
その時、あなたは
ヨブやペテロのようであるだろう
神への証を立て、あなたは真に神を愛し
喜んで神のために命を投げだすだろう
あなたは神の証人であり
神に愛される者となろう
精錬を経た愛は強く、弱くはない
いつ、どのように神が
あなたを試練にあわせるかにかかわらず
あなたは自らの生死に悩むことなく
喜んで神のためにすべてを捨て
神のためにどんなことでも
耐えることができる
かくして、あなたの愛は純粋になり
信仰は真となるだろう
そうして初めて
あなたは真に神に愛される者となり
神により全き者となるのである
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

 


日々の神の御言葉「受肉した神と神に使われる人々との本質的な違い」(抜粋 1)

2020-05-11 12:19:07 | 全能神教会御言葉朗読

日々の神の御言葉「受肉した神と神に使われる人々との本質的な違い」(抜粋 1)
 神は、この世に至る時、神性の働きのみを行う。それは、肉となった神への、天の霊の委託である。神がやって来る目的は、どこにでも行って語ることに尽き、さまざまな方法で、さまざまな視点から、自らの言葉を発することになる。神は、自らの目標と働きの原則として、主に人への施しと教えを続ける。神は、人間関係や人々の生活での詳細に関わることはない。神の主な職分は、霊の代わりに語ることである。神の霊が肉に実際的に現れるとき、神の行うことは、人のいのちのための施しと、真理の普及に尽きる。神は人の事柄に関わることはない。つまり、神は人間性の働きに関与することはない。人間は神性の働きを行えず、神は人の働きに関わることはないのである。神は、この世で自らの働きを行ったすべての歳月において、自らの働きを行うためにいつでも人々を使ってきた。けれども、それらの人々は肉となった神と見なされることはない。彼らは単に神によって使われる人々として見なされる。けれども、今日の神は、神性の視点から直接語り、霊の声を送り出し、霊の代わりに働きを行うことができる。数々の時代に渡って神が用いたすべての人々は、その体を通して神の霊に働きを行ってもらっているわけだが、なぜ彼らは神と呼ばれえないのだろうか。今日の神は肉で直接働きを行う神の霊であり、イエスも肉で働きを行う神の霊だった。それら後者2つの存在は神と呼ばれる。それではその違いは何なのだろうか。代々わたって、神が用いた人々は皆、普通の思考と理知を持っている。彼らは皆、振る舞い方を心得ており、生活上の問題に対処する。彼らは、普通の人間の観念を保持し、普通の人々が持つべきあらゆるものを備えている。彼らのほとんどは、特別な才能と生来の知性を持っている。神の霊は、それらの人々を通して働きを行うことで、神からの授かりものとなる彼らの才能を生かす。彼らの才能を生かし、彼らが自らの強みを通して神に仕えるようにするのは、神の霊である。けれども、神の本質は観念や思考を持たないものである。そこには人間の考えが組み込まれておらず、人間が普通に持つものを欠いていさえする。つまり神は、人間の行為の原則を熟知さえしていない。今日の神がこの世に来るときはこのようである。神は、人間の考えや人間の思考を組み込むことなく、働きを行い、語りかけるが、霊が元々の意図を直接示し、神の代わりに直接働きを行う。それは働きを行うために霊が現れ、人の考えを組み込むことないことを意味する。つまり、肉となった神は、直接的に神性を体現し、人間の思考や観念がなく、人間行為の原則に対する理解を伴わない。もし神性の働きしかなかったならば(その働きを行う神自身しか存在しなかった場合には)、神の働きがこの世で実行されることは不可能だった。だから神は、この世に来るとき、神性における自らの働きと関連して人間性での働きを行うために自らが使う人々を幾人か備えている必要がある。つまり、神は自らの神性の働きを支えるために人間の働きを使うのである。そうでなければ、人は神性の働きに直接関わるようにはなれなかっただろう。イエスと弟子達においても同様であった。イエスはその生涯において古い律法を廃止し、新しい戒めを確立した。また彼は多くを語った。そのすべては神性において行った。ペテロ、パウロ、およびヨハネといった他の者は皆、イエスの言葉を基礎として、続く働きを行った。つまり神は、その時代に始まりの働きを行い、恵みの時代へと導いた。神は新しい時代をもたらし、古い時代を完結させ、「神は初めであり、終わりである」という言葉を実現させた。つまり人は、神性の働きに基づいて人間性の働きを行わねばならない。イエスが語るべき言葉を全て語り、地上での働きを完遂した後、人から離れた。イエスの後の人々は、神の言葉にある原則に基づいて働き、神が語った真理に従って実践した。すべての人々がイエスのために働きを行った。もしその働きをイエスが1人で行っただけであれば、どれだけ多くを彼が語ったとしても、人々は依然として神の言葉に接するようにはなれなかっただろう。彼は神性において働きを行い、神性の話を語れるだけであったからだ。普通の人が彼の言葉を理解できるように説明することは不可能であった。だからイエスは、自らの後に続く使徒や預言者に自らの働きを補足させる必要があったのだ。これが肉となった神が働きを行うための原則であり、それは、神性の働きを完遂するために受肉を使って語り、行ない、それから、神の心にかなう少数またはそれ以上の人々を使って神の働きを補うことである。つまり神は、人間性において牧養し、注ぐために、自らの心にかなう人々を使うのであり、そうして、すべての人々は真理を受け取ることができる。

 神の心にかなうある数の人々を追加して神に協力させることなく、神が肉となり神性の働きを行うだけであれば、人は、神の意志を理解できないだろうし、神に接触することはできないだろう。神は、自らの心にかなう普通の人々を使って、その働きを完遂させ、教会を世話し牧養しなければならず、そうすることで人の思考や人の脳は神の働きを想像することができる。言い換えれば、神は自らの心にかなう限られた数の人々を使って、神性における働きを「翻訳」し、それを明かす、つまり神性の言語を人間性の言語に変換することによって人々は皆、全てを把握し理解することができる。もし神がそう行わなかったなら、誰も神の神性の言語を理解しないだろう。神の心にかなうそのような人々は結局少数に限られており、人の持つ理解能力が弱いからである。これが、神が受肉を通して働きを行うとき、この手法を選ぶ理由である。もし神性の働きしか存在しなかったら、人は神の言語を理解しないため、人は神を知りえないだろうし、神と接触できないだろう。神が、自らの心にかなう人々を使い、神の言葉を明確にすることでのみ、人はその言語を理解することができる。けれども、人間性における働きのみを行うそのような人々しかいなかった場合、それは人の普通の生活を維持することしかできないだろう。人の性質を変換することはできないだろう。神の働きは新しい出発を行えないだろう。そこには、同じ古い歌、同じ古い決まり文句しかないだろう。人々のいのちの性質が変わることができ、人々が時代と共に導かれうるのは、受肉した神により語られる必要があるすべてが語られ、行われる必要があるすべてが行われ、その後の人々が神の言葉に従って働き、経験することによってのみ可能である。神性において働くのは神を表し、人間性において働くのは神に用いられる者である。つまり、肉となった神は、神によって用いられる人々とは実質的に異なる。肉となった神は神性の働きを行えるが、神によって用いられる人々にはそれができない。各時代の始まりにおいて、神の霊は自ら語りかけ、新しい時代を始め、人を新しい始まりへ導く。神が自らの語りを完遂するとき、神性における神の働きが達成されたことを意味する。その後人々はみな、神によって用いられる者たちの導きに従っていのちの経験に入ることになる。同様に、この段階において、神は人を新しい時代へ導き、すべての人々に新しい始まりを与える。それをもって、肉における神の働きは完結する。
『言葉は肉において現れる』より引用


ワーシップソング「神を愛する者は幸いである」歌詞付き

2020-05-10 12:30:51 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌MV


ワーシップソング「神を愛する者は幸いである」歌詞付き
神を愛する者だけが神を証しし
神の祝福を受け約束を得られる
神を愛する者だけが神の親友であり
神とともに祝福を享受できる
そんな人々だけが永遠に生きられる
神を真に心から愛する者だけが
最高の価値と意義とともに生きる
彼らだけが神を真に信仰する者
神を愛する者は幸いである
神を愛する者は地上を自由に巡り歩く
神を愛する者は幸いである
神の証人たちは全宇宙を行き巡る

神を真に愛する者は
自分の全てを神の業に捧げることができる者
抵抗する者もなく世界を巡り歩き
神の民と地を全て統治できる
それは神に愛され祝福される者たち
神の光の中で永遠に生きるだろう
最高の価値と意義とともに生きる
彼らだけが神を真に信仰する者
神を愛する者は幸いである
神を愛する者は地上を自由に巡り歩く
神を愛する者は幸いである
神の証人たちは全宇宙を行き巡る

そんな人々が世界中から来る
言語も肌の色も異なるが
同じ生存の意義と神への愛を持ち
皆が共通の志を抱いて証しする
神を愛する者は幸いである
神を愛する者は地上を自由に巡り歩く
神を愛する者は幸いである
神の証人たちは全宇宙を行き巡る
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

ワーシップソング「神の性質の象徴」歌詞付き