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(5
次の日の朝、僕は学校へ行くのが憂鬱だった。 なぜなら昨日悦ちゃんと一緒にいるところをクラスの土谷くんに見られてしまったからだ。 きっと教室では、僕と悦ちゃんが仲良くしていたことがクラス中に広まっているに違いない。 以前の土谷くんの時のように僕もエンガチョと言ってバカにされると思うと、中々教室の扉を開ける勇気がなかった。 僕は教室の前の廊下でしばらく躊躇していたが、覚悟を決めて教室の中に入った。 すると意外にも誰も何にも言ってこなかった。 そうか…土谷くん言いふらさなかったんだな。 僕は内心すごくホッとした。その日も悦ちゃんは学校には来なかった。 それもまたホッとした要因でもあった。 2時限目の授業中、前の席から小さく折りたたんだ紙切れが回ってきた。開いて中を見てみると、僕と悦ちゃんらしき人物が土管の上でイチャイチャしている絵が描かれていた。「新カップル誕生!」とか「学校の外で愛し合うエンガチョカップル」とか書かれていた。 やられた!土谷のやつ…以前に自分がやられたことを僕にも味合わせたかったんだ。 土谷をいじめたのは僕じゃないのに… と思ったけど、庇いもせずただ笑って見てた僕は同罪だな…と思った。 すでにクラスのほとんどにこの紙が行き渡っているらしく、授業中にも関わらず、女子たちはこっちをチラチラ見ながらヒソヒソ話をしている。 あ〜あ… いつかこんなことになるんじゃないかと警戒していたつもりなんだけど、でも、不思議とあまり嫌な気分じゃなかった。この「愛し合う」とか「カップル」と言う文字に何となく妙に魅かれている部分があった。 そのあとは黒板に僕と悦ちゃんの相合傘を描かれたり、数人のやつに冷やかされたけど、僕は平然と無視をし続けた。 悦ちゃんがいないせいか、僕一人を冷やかしても面白くないとわかったのだろう。 僕への嫌がらせはすぐに収まった。 あるいは、もうすぐ6年の3学期が終わり、小学校も卒業になるから、みんな気持ちがそっちの方に向いているのだろう。 明日は卒業写真を撮る日だが、悦ちゃんは学校に来るのだろうか。 もし悦ちゃんが来て冷やかされても僕は毅然とした態度でいようと思った。
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(6
卒業写真撮影の当日、やはり悦ちゃんは学校に来なかった。僕は気になって放課後になると
いつも会う広場に何回も行ってみたり、悦ちゃんの家の近くまで行ってみたが会えなかった。 僕らはそのまま卒業式を迎え小学校を卒業した。 中学生になるまでのわずかな春休みの間、僕は意外なところで悦ちゃんに会った。 来月から中学生になる僕は、小学館の雑誌から中学生のための雑誌「中一コース」を予約するために駅前の本屋に自転車を走らせていた。 その途中、昔よく遊んでいたお寺の境内で、探していた後ろ姿を見つけた。 悦ちゃんは大きな岩の上に独りポツンと座っていた。 あまりにも意外だったので僕は、初めて声をかけた時みたいに「何してんのこんなとこで…?」と言葉をかけた。 悦ちゃんは僕の方を少しみて、また顔を元に戻し、少し苦しそうな表情でポツリと言った。 「おじいちゃんね、死んじゃったんだ」
「え!? いつ?」
「おとといの朝に布団の中で…」
「そう…」
それでお寺にいた理由がわかった。 今までのいじめられっ子の表情とは明らかに違う、僕にはまだわからない感情が、今の悦ちゃんの心を締め付けているのだろう。 そんな表情だった。 自分のおじいちゃんとおばあちゃんはまだ元気だし、家族の死というものがはっきりと理解できない僕は、お悔やみの言葉はもちろん、慰める言葉も持たないまま、ただ「そう…」と言いう以外になかった。 そのあと僕は思い出したように「そう言えばペロはどうしてる?」と、別の話題にしがみ付いた。 するとそれさえも予想しない答えが返ってきた。 「あれからペロはすっかり動けなくなって、昼間はずっと犬小屋の中で眠り続けて、夜になると声が枯れるまで朝方までなき吠えるから、近所からの苦情が毎日来てた。それでお父さんが怒って保健所に電話したから、今朝連れて行かれちゃったんだ」
「え!? 保健所に行くとペロはどうなっちゃうの?」と、聞くと悦ちゃんはさらに悲しそうな顔で、「殺されて処分されちゃうんだって、今頃ペロも… 」
僕は絶句して言葉が出なかった。 保健所ってそんな恐ろしいことするんだ…と、世間の仕組みを知らない僕には十分衝撃的だった。 「もともとペロはおじいちゃんの犬だったから、ペロのことあまり好きじゃなかったお父さんは、おじいちゃんがいなくなったらさっさと処分しちゃったんだよ」
「そんな… ひどいことするね」
でもあのお父さんならやりそうだな…と、以前追いかけられたことがある僕はそう思った。
夕方、自転車を押しながら川沿いの道を歩く。 見たことのない悦ちゃんのおじいさんの死よりか、ペロの死の方が僕には身近に感じてショックだった。 遠くの方で何かを焼いているような煙が一本、夕日の朱の中に細く立ち昇る。 僕はそれをみながらペロは今頃おじいちゃんに会えたかな…などと子供なりに感傷に浸っていた。
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(7
四月、僕は中学生になった。 悦ちゃんとはクラスが別々なので顔を合わせなくなった。
ペロはもういないので、当然いつもの空き地で会うこともない。 僕らはペロで繋がってたからそのペロがいないとなんとなく2人きりでは会うのは気恥かしいものがあった。 5月の連休の時だったろうか、午前中に玄関のチャイムがなった。玄関で対応している母が「アンタのお友達が来てるよ」と、僕を呼んでいる。 誰だろう…と思いながら行ってみると、なんと悦ちゃんだった。 あれからたった2ヶ月くらいしか経ってないのに、ずいぶん長い間顔を見ていないような気がした。 2ヶ月ぶりに会う悦ちゃんは、中学生になったせいか以前よりか少し違った雰囲気だった。 いつもの汚れてどこかしら穴が開いている服ではなく、綺麗な赤いチェックのベストとスカートと、頭の毛もボサボサではなく綺麗に櫛が通ってて後ろで緑のリボンで結んである。それはごく普通の女の子の格好なのだが、それだけでも印象がガラッと変わった。 そういう僕も変声期が過ぎて甲高い声が少し低くなっていた。 悦ちゃんは恥ずかしそうに小さな声で「久しぶり…」と言った。「上がってもらったら」と、母がニヤついた声で僕に促す。 お前に女の子の友達がいるなんてね〜 と言わんばかりの表情だった。
ここは社宅の団地で基本的に部屋の構成が狭い。 僕の部屋は玄関のすぐ横にある三畳の間だ。 悦ちゃんを部屋に通すと、「ごめんね急に来ちゃって…学校ではなかなか会えないから」なんで僕の家わかったの?と聞くと、田辺さんに教えてもらったのだと言う。 田辺さんというのは同じクラスの田辺泰子のことで、同じ社宅の3号棟の子である。 ついでに言うと僕の家は6号棟。 母がジュースとクッキーを持ってきた。 部屋の隅に置いてある小さい折りたたみのテーブルを出して、2人分のジュースとクッキーを置いて、「ゆっくりしてってね〜」と言って、帰りがけにニヤニヤした目でまた僕の方をチラッと見て、ふすまを閉めた。 悦ちゃんは早速「これを渡そうかと思って」と言って、手に持っている紙袋を僕にくれた。
中を取り出してみると、糸で繋がった折り鶴が出て来た。
「ほら、わたし終業式に出られなかったでしょ、だから渡しそびれちゃって…」
「なんで折り鶴?」
「わたし転校するんだ」
「え!? 転校って… 中学生になったばかりなのに?」 僕は驚いてわけを聞いた。
要するに、悦ちゃんのお父さんがお酒ばっかり飲んでいるので、どこかの施設に入れられるのだそうだ。 それで悦ちゃんは親戚の家に引き取られることになったらしい。
「ふ〜〜ん… そうなんだ」と、僕は平静を装ったが、実は少し動揺していた。 その動揺を隠すために今まで悦ちゃんが学校を休んでいた時の学校の様子を話した。
もちろん、僕たちがエンガチョカップルとして噂されてひやかされたことも。
「ごめんね私のためにひどい目にあって…」 と言いながら、申し訳なさそうに僕に誤った。
「僕は全然大丈夫だよ」と、少し強気になって見せた。実際大した被害はなかった。 その時の僕と悦ちゃんのアイアイ傘が描かれた回し紙を見せて「なっ、くっだらないだろ、これ描いたのきっと土谷だよ。 こんな下手くそな絵アイツしかいない」 悦ちゃんは小さくプッと吹き出しながら「ほんと下手くそだね」と言って怒るどころか笑った。 僕は机の上のペン立てからボールペンをとって、「ちょっと貸して」と言って悦ちゃんから紙を取ると、ジュースとクッキーの置いてある小さなテーブルの上に置いて、僕はボールペンを動かした。向かいに座っていた悦ちゃんは一体何が始まったのだろう…と言う感じで、テーブルを回り込んで僕の隣に座り、ボールペンを動かす手元を覗き込んだ。 僕と悦ちゃんのアイアイア傘の横に僕は犬の絵を描き足した。
「あ、これペロ!?」
「そうだよ」
「かわいい。 やっぱり絵がうまいね」
「土谷がヘタすぎなんだよ」
「そうだね フフフ…」と、」悦」ちゃんは笑った。
その笑顔のまま紙片を見つめ「ねえ、これもらっていい?」と、僕に聞いた。
「え? う、うん…別にいいけど? そんなもんもらってどうするの?」
「私たちとペロとの思い出にとっておくの」と言って、悦ちゃんは紙片を四っつに小さくたたんで赤いチェックのスカートのポケットに大事そうにしまった。
いつの間にか真横に座っている悦ちゃんは、ほんのりと石鹸のいい香りがした。
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(8
僕の住んでいる社宅の団地から500メートルくらい離れたところに「さいこ堂」という駄菓子屋がある。 そこの所まで僕は悦ちゃんを送っていった。 その先にあるベンチで悦ちゃんを引き取った親戚のおじさんが待っていた。 それに気がつくと悦ちゃんはおじさんのところまで走って行き、振り向いて大きく手を振った。 僕も手を振った。 今日の悦ちゃんの服装や身なりを見る限り、親戚の家に引き取られてよかったと思った。 お風呂も毎日入れてもらえそうだし。大人の事情はよくわからないけど、僕は子供なりに幼稚な頭で心配してたんだ。 悦ちゃんがいじめられてたのは、決して悦ちゃんのせいではない。 ゴミ置場の中に住んでいて、家が貧乏で、父親が酒飲みで、幼い悦ちゃんの背中に大やけどを負わせた。そんな環境のせいだ。転校先ではもういじめられることはないだろうと僕は思った。 悦ちゃんを見送った後、自分の部屋に戻り、もらった折り鶴を机の電気スタンドの端に結びつけた。 糸で縦につながった折り鶴を数えてみたら32個あった。 これは六年の時のクラスの人数と同じ数… ひょっとしてクラス全員にひとつずつあげようとしてんだろうか。 恥ずかしくてあげられなかったのか、受け取ってもらえなかったのかはわからないけど、あんなにクラスのみんなにイジメられたのに。 ひとつひとつ丁寧に折ったんだろうな… 優しいなぁ悦ちゃんは。 その夜、母親が晩御飯で呼びにくるまで、僕はスタンドの明かりの中でユラユラ揺れる32個の折り鶴を眺めていた。
昭和五十年代、相模原はまだ民家より原っぱや雑木林が多く、タクシーの運転手たちは相模原のことを「相模っぱら」と呼ぶほどド田舎だった。 マンションなんて洒落た建物はなく、うちの6階建ての社宅団地がこの辺では一番高い建物だった。あとは所々一軒家がある程度で、たとえ木造でボロくても狭い庭くらいはあった。 犬を飼うときはそこに犬小屋を置いて飼うのだ。 今と違って野良犬がそこら中にいたので、探せば生まれたての子犬なんてすぐに見つかった。なので犬はペット屋で買うものではなく、拾ってくるものなのだ。 エサなんて人間様の余ったご飯で良い。 今のマンションで飼う小柄なペットのようにわざわざ高いペットフードを買う必要がなかったのだ。 綿菓子のようなフワフワした毛並みの犬猫と違い、茶色でゴワゴワした硬い毛並みの犬が、家の中(座敷)に上りこむことは許されなかった。 家の中が汚れるので、見つかるとすぐに外に追い出されたものである。 それは飼い主(人間)と犬(ペット)の越えてはいけない線引きがちゃんと引かれていたからだ。 昭和の犬は、絨毯やクッションの上よりか、土や原っぱで寝転んだり駆け回ったりする方が好きだったのでなかろうか。 犬にとって嬉しいのは毎日大好きなご主人と一緒に居られること。
その辺は時代が違っても変わらない。たとえ貧乏でも、ペロは悦ちゃんと毎日一緒にいられて絶対幸せだったと思うのだ。
あれから僕は高校生になり、学校とバイトで忙しい毎日を送っている。 なぜかあの土谷と同じ高校であり、今でも二人で時々悦ちゃんのことを思い出す。 実は土谷は、悦ちゃんのことが好きだったようだ。 だからあの時、あき地で僕と悦ちゃんが仲良さそうにしてるのを見て、嫉妬して中傷するようなデマを流したんだと白状させた。 実は僕も今ならハッキリとわかる事がある。 毎日あの空き地へ行ってたのはペロが目的というよりも、悦ちゃんに会いにいくためだったと。 これはペロと土谷には内緒だけどね、
僕は悦ちゃんが大好きだったんだ。
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この話自体は約20年以上前に書いたもので、イラストに関してはもっと古い。
元々は漫画にしようとプロット(大筋)を書いていたものが、去年押入れを整理していた時に原稿が出てきたので、手直ししながら短編小説として数回に分けて載せました。 半分は実話なので、ブログを知人に見られてちょっと恥ずかしかったのと、去年までは他(FC2)でもブログをやていたので、イラストや漫画関係はそっちに全部移そうかと思って、絵や創作ものは消去してしまいました。 今はもうここ以外のブログは面倒くさいので全部閉めました。 以前に載せたものは、徐々にここに戻したいと思っています。 新鮮なネタがない時は、こういった過去ものを自分史としてひとまとめに置いていきます。