これまでの記事「大垣西の軌跡(その1)~(その5)」では、西高約30年の歴史の中での数少ない「○白星先行○勝ち上がり○」の軌跡をご紹介してきました。
今回は、それらとは趣向が違いますが、「勝利への軌跡」の事例として、また西高野球部の源流としてご参考ください。
1980(昭和55)年の春、大垣西高が創立、第1期生230名が入学しました。当時の校舎とグランドは、突貫工事で開校に滑り込ませた「不充分」な代物でした。
4月、何もかもが不充分・生徒は1年生のみの状況下、生徒会が発足し、教職員の指導のもと、「どのような部活動を創設するか」ということが議論されました。
「生徒数が少なく生徒会予算も見込めない現状では、金のかかる野球部の創設は、時期尚早ではないか・・・。」という意見も出る中、1期生の生徒数人が、熱心に野球部創設を希望し、声を上げました。熱意の結果、生徒議会と職員会議で野球部創設が認められ、顧問の先生も決まりました。
野球部員は約30名(女子マネ2名)集まり、大垣西高野球部がスタートしました。まずは造成状況が不充分なグランド整備から始まった西高野球部。学校内外の様々な方々にお世話になりながら、5月には高野連に加盟、夏の岐阜大会出場が決定しました。しかし最大の悩みは、練習試合の相手探しでした(高校野球経験者・関係者等であれば大方お察しがつくと思われます。当時は週休1日でしたから尚更・・・)。そんな中、朝日新聞とNHK岐阜が「開校1年目で甲子園に挑戦」の特集を組んでくれた効果もあって、夏の大会までには多少の練習試合を組むことができました(ほんの数試合)。
以下は、西高1期生(1年生)のみで戦った公式戦の軌跡です。
<顧問・主将>敬称略
部長:守屋
監督:各務
主将:相撲
<夏季選手権岐阜大会>
7月20日
●1-11岐阜西工業(現在の岐阜総合学園)
※西高は初戦敗退。岐阜西工業は準優勝。
<8月:秋季県大会地区予選>リーグ戦
24日●3-6大垣商業
25日●9-10大垣北
27日●2-3揖斐
28日●0-7大垣南
※西高は全敗で地区敗退。
<10月:県下選抜大会地区トーナメント>
10日△3-3大垣工業(1回戦)
11日●0-11大垣工業(引き分け再試合)
※西高は、初戦で引き分けるも再試合で惜しくも1回戦敗退。
<春季県大会地区予選>
3月30日
○5-0揖斐
4月3日
●3-16大垣商業
4月11日
●6-13不破
※西高は地区敗退でしたが、創部1年目の最後の最後で「○1勝」しました。
今回は、それらとは趣向が違いますが、「勝利への軌跡」の事例として、また西高野球部の源流としてご参考ください。
1980(昭和55)年の春、大垣西高が創立、第1期生230名が入学しました。当時の校舎とグランドは、突貫工事で開校に滑り込ませた「不充分」な代物でした。
4月、何もかもが不充分・生徒は1年生のみの状況下、生徒会が発足し、教職員の指導のもと、「どのような部活動を創設するか」ということが議論されました。
「生徒数が少なく生徒会予算も見込めない現状では、金のかかる野球部の創設は、時期尚早ではないか・・・。」という意見も出る中、1期生の生徒数人が、熱心に野球部創設を希望し、声を上げました。熱意の結果、生徒議会と職員会議で野球部創設が認められ、顧問の先生も決まりました。
野球部員は約30名(女子マネ2名)集まり、大垣西高野球部がスタートしました。まずは造成状況が不充分なグランド整備から始まった西高野球部。学校内外の様々な方々にお世話になりながら、5月には高野連に加盟、夏の岐阜大会出場が決定しました。しかし最大の悩みは、練習試合の相手探しでした(高校野球経験者・関係者等であれば大方お察しがつくと思われます。当時は週休1日でしたから尚更・・・)。そんな中、朝日新聞とNHK岐阜が「開校1年目で甲子園に挑戦」の特集を組んでくれた効果もあって、夏の大会までには多少の練習試合を組むことができました(ほんの数試合)。
以下は、西高1期生(1年生)のみで戦った公式戦の軌跡です。
<顧問・主将>敬称略
部長:守屋
監督:各務
主将:相撲
<夏季選手権岐阜大会>
7月20日
●1-11岐阜西工業(現在の岐阜総合学園)
※西高は初戦敗退。岐阜西工業は準優勝。
<8月:秋季県大会地区予選>リーグ戦
24日●3-6大垣商業
25日●9-10大垣北
27日●2-3揖斐
28日●0-7大垣南
※西高は全敗で地区敗退。
<10月:県下選抜大会地区トーナメント>
10日△3-3大垣工業(1回戦)
11日●0-11大垣工業(引き分け再試合)
※西高は、初戦で引き分けるも再試合で惜しくも1回戦敗退。
<春季県大会地区予選>
3月30日
○5-0揖斐
4月3日
●3-16大垣商業
4月11日
●6-13不破
※西高は地区敗退でしたが、創部1年目の最後の最後で「○1勝」しました。