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水軍国家ヤマトの誕生2

2019-11-21 22:43:37 | 東讃の歴史
昨日の続きです。

中国の歴史書「魏略」には
倭人は自ら春秋時代に活躍した呉を興した太伯の子孫と名乗っている
と記している。

春秋戦国時代とは?
春秋戦国時代には、中国人はまだ黄河流域を中心に分布しており、
江南には原アジア人とよばれる中国人と異なる民族がいた。
呉とは春秋時代に江南にいた原アジア人がつくった国である。

呉は江南の航海民を組織することにより、優秀な水軍をつくりあげ
一時は中国全土の支配をもくろんだが、敗退した。
呉に代わって巨大になった越の覇権も続かなかった。
やがて、中国人の南下が始まり、江南の原アジア人は、
その地を追われ、
雲南や東南アジア、日本の北九州にたどりついた。



江南の航海民の来航をきっかけに、日本列島の統一が始まる。
B.C1C末 弥生時代中期 最初の江南の水軍が北九州に定住。
2C末 弥生時代後期中葉 日本列島各地で統一戦争。
3C末 弥生時代後期末  彼らのなかの有力な集団が大和朝廷をたてる。

B.C1C末 福岡市吉武高木遺跡(最初につくった小国家・早良国)
1C            玄界灘沿岸に江南系の末盧国、伊都国、奴国などの小国家が次々
     にできた。

奴国のなかの志賀島という良港とその東方にある宗像に、とくに有力な
航海民の集団が定着した。


今日は春秋戦国時代のことを知るのに手間取りました。😫 


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