NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第6回(1548年)冒頭から出てくる
細川晴元 は、細川京兆家の人、
讃岐の守護を務めた細川頼之、勝元の一族です。
1362年頃 細川頼之、讃岐の守護となる。
1367年頃 頼之、上京して管領に任じられる。(~1379) 将軍義満
1507年 細川政元の死(この時まで細川管領の讃岐守護支配続く)
頼之~政元は代々管領に任じられたので、京都にいて、
讃岐の国の実際の経営は代官に任せていました。
1493年頃には
当時13郡あった讃岐国のうち
6郡は香川氏が
7郡と小豆島は安富氏が領知していました。
永正4年(1507)
京兆家の相続争いで、当主政元が山城守護代香西元長に殺される。
香西党が、三好之長(阿波)らに討たれて滅亡。
三好氏は阿波守護家出身の澄元を擁し、細川高国も応援した。
これ以降、讃岐国人の京都での勢力は衰え、代わって、阿波国人の勢力が
伸張する。
京兆家は澄元が継いだが、周防の大内義興と結んだ高国が澄元を追い、
次いで管領となった。
澄元は阿波を根拠として京都の高国と争うが、ついに管領の職を
取り戻せなかった。
高国側
大内義興・香西・寒川・安富・香川
澄元側
三好氏・山田郡植田一族
三好之長の孫元長の末子之虎は植田氏の一族十河家を継ぎ、
居城十河城は三好氏の讃岐進出の拠点となった。
澄元の子晴元は阿波にいたが、1527年、三好元長に擁されて
堺へ出て高国と争い、1531年、摂津天王寺で高国敗死。
この間、香西・寒川・安富・香川などの諸氏は晴元麾下の讃岐衆として
合戦に参加しており、高国から離反していた。
1532年、晴元は堺において、本願寺に三好元長を討たせたため、
この子長慶と対立、
1549年、晴元は京都を追われ、京兆家は滅亡する。
まさか、大河ドラマと讃岐・阿波がこんなに結びつくとは思いもしませんでした。
戦国時代って、戦いに明け暮れていたので、讃岐の歴史の本を読んでも
なかなか理解できなかったのですが、
今回のドラマを見て、少し流れがわかりました。
しかし、今回の大河ドラマ、歴史オタクでないと、ついていけないのでは?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます