忍城は、小田原で秀吉に下った成田氏長の勧告により、1ヶ月以上の籠城の後、ようやく開城した。
同年 夏、徳川家康は関東入封。武蔵国忍(埼玉県行田市)には松平家忠を置いた。
文政6年(1823)桑名藩主・松平忠堯は桑名藩から忍藩への転封を命じられたが、
員弁郡・朝明郡・三重郡の一部地域は忍藩の飛地として支配を続けた。
一時期、幕府領となったが、明治4年(1871)の廃藩置県まで続く。
このように1590~1871年までの三重県は、親藩大名領や幕府領・伊勢神宮領などが
複雑に入り組んでいました。
原因として、徳川政権が大名を何度も転封させたこと。
転封しても領地をなかなか手放さなかったことなどが挙げられています。
(伊勢国は気候が温暖で、作物も多くとれ、人々が温和で治めやすかったから らしい)
「データベースれきはく」の「旧高旧領取調帳」
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param
左の「旧国名」の▼をクリックして「旧領名」を選択。
その右に「忍藩」と入力すると、全国の忍藩領が出できます。
これを参考にすると、萩たたみ店の住所は、伊勢国 忍藩領分 川北村 だと思う。(江戸時代にはなかったけど)
萩たたみ店→http://www.mi-mat.com/
行田忍城 忍藩十万石の面影!
http://www.youtube.com/watch?v=v7vet8WuT1o
石田三成公 自筆の句碑

続く