関ヶ原の合戦で、豊臣家を支える西軍の総大将として活躍した石田三成は、合戦前から下痢と腹痛に悩まされ
十分な陣頭指揮が取れなかったという説があります。
9月といえば、まだまだ気温も高いことから食中毒も疑われますが、陣中で他に病人が出ていないことや
用心深い三成が不衛生な物を食べたとは考えにくいことです。
もしかすると自民党の安部総裁も苦しんだ、潰瘍性大腸炎や過敏性腸症候群・クローン病・腸結核などが
疑われます。
処刑前のエピソードにも
関が原に敗れ、京に送られた三成が六条河原の刑場に引かれていく途中に喉が乾いたため、
白湯を所望した。近くの民家に湯が無かったので、干柿をかわりに差し出すと
「かたじけないが、干柿は痰の毒ゆえ」と断わった。
「間もなく首をはねられる者が、なんの養生だ」と警護の者が笑うと三成は
「汝らのようなものにとってはもっともな了見であるが、大志を抱く将たる者は、首を断たれる瞬間まで
体をいたわるものであり、それはなんとかして本望を遂げんと思うからである。」と語った。 茗話記
とある。
しかし三成が上記のような難病に罹っていたとすると、囚われの身では安部総裁のように1日30回も
トイレを使わせてくれないだろうと思うのは当然です。
そのため、消化の悪い柿は食べなかったとも考えられます。
クローン病や潰瘍性大腸炎の食事 → http://mimibukuro.org/food/ibd-safty-food-list2/
石田三成公 辞世歌
続く