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iXa ファイル No.003  石田三成 「のぼうの城」 の真実!

2012年11月09日 | 畳(たたみ)以外

石田三成は元禄3年(1560)近江国坂田郡石田村(長浜市石田町)の土豪の次男として生まれる。



秀吉が近江長浜城主となった天正2年(1574)頃、父と兄と共に秀吉に仕官。

長浜駅前の出逢いの像



天正13年(1585)、秀吉の関白就任に伴い25歳で従五位下治部少輔に、30歳で

佐和山10万石(後に19万4千石)の領主となる。

井伊家の城 彦根城 石田三成の城 佐和山城!
http://www.youtube.com/watch?v=SrRtH_w2_as

「太閤記」には「三成は諫に付ては、我が気色取らず。諸事有る姿を好みし者なり。」

と記され、おべっか使いでなく、規律を守る真面目な人だったと考えられます。

佐和山城跡近くの佐和山遊園(滋賀県彦根市古沢町 JR彦根駅から徒歩15分)


佐和山城らしい


金閣寺のような


どっかの鐘楼


工事中の建物もあります


建物の維持管理が不十分で、見学には度胸を要す。ヘルメット・安全帯の着装をお勧めします。

慶長5年(1600)9月、関ヶ原の合戦で善戦するも、小早川秀秋の裏切りで惨敗、

同年10月 京都六条河原で刑死。享年41、京都大徳寺三玄院に葬られる。

明治40年、三成の墓が発掘調査された。

後にその資料から復顔や骨格が分析され、「女性のような骨格、面長、鼻は高く、

かなりの反っ歯、身長156cm前後」と報告されている。



石田三成は大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)と記された紋を用いたとされ、

「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味だそうです。
                                                                        

続く



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