8月15日
晴。午前5時頃に起床。温度計をみたら35℃を示していたのでヤバイ! と思った。午前8時頃に朝食を摂り、それからグータラに過ごしたが外は35℃を超しているとかの高温らしかったので、熱中症にならないように外出は止めにした。
昭和20年の8月15日は日本が大東亜戦争を止めた敗戦の日なのだが、あれから75年も経過したためか、新聞や放送では大東亜戦争のことを大きくは取りあげてはいなかった。
私が生まれた昭和5年は日露戦争が終わった明治38年から27年くらいしか経過していなかったのに、日露戦争のことなどは別に話題にも上がっていなかったことを考えると、75年前のことなどは誰も気にしなくなっているのは当然だよな~、と思った。
そういえば、今から30年ほど前で孫のS君が小学生の頃に、私が日本とアメリカとが戦争したときのことを話し始めたときに、S君が日本とアメリカとが戦争したの! それで日本が勝ったの? と言ったことを思い出した。
大東亜戦争が始まった年の翌年に旧制中学校に入学した私は中学校の3年生と4年生の大部分を学徒動員でダム建設、海軍の飛行場作り、海軍の夜間爆撃機銀河の部品製作など、に従事させられていたが、日本が敗戦国になって学徒動員が解除され学校にもどったが、強制的に予科練などに行かされた大勢の同級生が首謀者となってストライキを始めたことで4年生の全員が4年修了で追い出され、中学校の2年生までしか授業を受けていなかった状態で、陸海軍の復員兵などと一緒に上級学校の入学試験を行けなければならない、という事態になるなど、いろんな苦難があったことを思いだした。
あの頃から75年、人生の終わりにあたり、新型コロナウ
イルスの災いにぶち当たる、これも人生。
敗戦の ときから75年 長い旅 徘徊人okinatchi