やまさんのエンジョイ生活 Ver.2

趣味の登山、映画鑑賞、読書を日記風に紹介してます。

米原万里から始まる読書

2013-11-07 | 読書

10月14日(日)      「打ちのめされるようなすごい本」 (米原万里著)

  

  「ああ、私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」。2006年に逝った著者が最期の力をふり絞って執筆した壮絶ながん闘病気を収録する「私の読書日記」(「週刊文春」連載)と、1995年から2005年まで10年間の全書評。ロシア語会議通訳・エッセイスト・作家として活躍した著者の、最初で最後の書評集。

 今回、図書館から借りて単行本で読んだ。「私の読書日記」で読みたい本が沢山出てきた。後半の10年間の書評はよく読んでませんが、文庫本を購入してじっくり読んでみたい。

 10月15日(火)          「ねぼけ人生」 (水木しげる著)

   単行本で読んだのですが画像がないので文庫本を載せた

  陽気な落第生だった少年時代、ラバウルで死の淵をさまよい片腕を失った戦争の時代、赤貧のなかで紙芝居や貸本マンガを描き続けた戦後、そして突然訪れた「鬼太郎」と妖怪ブームの中で締め切りに終われる日々。波爛万丈の人生を、楽天的に生きぬいてきた、したたかな日本土人・水木しげるの面白く、ちょっぴり哀しい半生の記録。

  10月23日(水)          「哀歌」 (曾野綾子著) 

     

 貧困と動乱の大地・アフリカ。日本人修道女・鳥飼春菜はアフリカのとある最貧国の修道院に赴任する。この国では多数派ながら貧困にあえぐフツ族と、かつて特権的地位を得ていたツチ族が微妙なバランスの中で共存していた。そして修道院内部もフツ、ツチ、その混血、外国人と多種多様な人種で構成されていた。
現職大統領の不自然死は、この国をフツによるツチと、ツチとの関係が疑われたフツへの部族虐殺の惨劇へと導く。巧妙にツチへの虐殺を教唆する国営放送。民兵とは名ばかりの、強奪を目的とする集団の横行。教会の存在はまったく無力であった。
逃れてきたツチの難民の受け入れを拒む修道院長。神学校に乱入した民兵は、生徒も難民も修道女さえも惨殺した。そして教会にも軍隊と暴徒が殺到した。その先頭には、アフリカの呪術師のいでたちをした現地人牧師の姿があった。春菜は混乱の渦中で、修道院の庭師に陵辱される……。
100日間で100万人が虐殺されたという大混乱の中、春菜は信仰も、人間への信頼もすべてを失う。隣国へ脱出した春菜は日本人画商・田中一誠に助けられ、帰国する。しかし、春菜はあの庭師の子を身ごもっていた。修道院を去った春菜は田中の援助で、一人で子供を産む決心をする。
 田中へのほのかな愛。しかし、田中には自分が起した事故で失明させた妻がいた……。
 飽食と見せかけの繁栄の中、日本人が見失った生きることの悲しみと喜びの原点を描く、曽野文学、不滅の金字塔。ファン待望の長編小説。

 所属する修道会に命じられて部族対立の続くアフリカの国へ赴任した「スール(修道尼)」の鳥飼春菜。彼女は、教会や小中学校を併設する修道院で、「神の僕(しもべ)」で院長の「スール・ルイーズ」や現地人のスールたちに助けられながら、政府の管理するラジオディスクジョッキーが連日「ゴキブリ(ツチ族)を殺せ」と叫ぶ不穏な状況下にあって、自分は何を為すべきか、何ができるのかを模索しながら日々を過ごしていたのだが、ついに多数派部族(フツ族)の激しい「憎悪」に基づく少数派(ツチ族)に対するジェノサイド(集団虐殺)に巻き込まれる。ツチ族を陰に陽に支援していた隣国の大統領が謀殺(?)されたことから、フツ族の民兵組織が軍を後ろ盾にツチ族及びツチ族の血を継ぐ者への暴行、虐殺、略奪を開始し、大量の避難民を受け入れた修道院や教会でも彼らは暴虐の限りを尽くす。そして、春菜はその渦中で従順な庭師と思っていた男にレイプされる。身も心も疲弊しきって帰国した春菜を待っていたのは、冷淡とも思える修道会の処遇であり、妊娠であった。そんな失意と絶望の春菜を救ってくれたのは、アフリカから脱出する際ホテルで声をかけてくれた美術商の田中一誠であった。春菜に同情した彼は、損得抜きで春菜の生活を助け、生まれてくるであろう「黒い赤ん坊」との生活を決意させる。上下二巻、決して読みやすいとは言えないこの長大な物語において問われているのは、信仰とは何か、人は人生における苦悩と悲しみをどのように乗り越えていくのかであり、貧困と飢餓と動乱のアフリカとは異なるように見える日本の「平和」と「豊かさ」は真に人々に「幸福」をもたらすものなのか、人々は「愛」や「心」を失った生活を送っているのではないか、ということに他ならない。私たちは、この作者の真摯な問いにどう応えられるのか、読後しばしの黙考を強いる硬派の一書である。           (「北海道新聞」4月掲載 黒古一夫)
 納得の書評を見つけた。

 11月4日(月)         「オリガ・モリソヴィナの反語法」 (米原 万里著)

  

 1960年代のチェコ、プラハ。主人公で日本人留学生の小学生・弘世志摩が通うソビエト学校の舞踊教師オリガ・モリソヴナは、その卓越した舞踊技術だけでなく、なによりも歯に衣着せない鋭い舌鋒で名物教師として知られていた。大袈裟に誉めるのは罵倒の裏返しであり、けなすのは誉め言葉の代わりだった。その「反語法」と呼ばれる独特の言葉遣いで彼女は学校内で人気者だった。そんなオリガを志摩はいつも慕っていたが、やがて彼女の過去には深い謎が秘められているらしいと気づく。そして彼女と親しいフランス語教師、彼女たちを「お母さん」と呼ぶ転校生ジーナの存在もいわくありげだった。

   物語では、大人になった志摩が1992年ソ連崩壊直後のモスクワで、少女時代からずっと抱いていたそれらの疑問を解くべく、かつての同級生や関係者に会いながら、ついに真相にたどり着くまでがミステリータッチで描かれている。話が進むにつれて明らかにされていくのは、ひとりの天才ダンサーの数奇な運命だけではない。ソ連という国家の為政者たちの奇妙で残酷な人間性、そして彼らによって形作られたこれまた奇妙で残酷なソ連現代史、そしてその歴史の影で犠牲となった民衆の悲劇などが次々に明らかにされていく。

   物語の内容や手法からすれば、この作品は大宅壮一ノンフィクション賞作品『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の姉妹版であるといえる。しかし読み終わったあと、ときにフィクションのほうがノンフィクションよりも多くの真実を語ることができる、ということに気付くに違いない。(文月 達)

 凄い本に出会った。予備知識がなかったのですが謎解きの展開も含めて楽しめました。膨大な資料などに裏付けられた作品で、文章もロシア文学を思わせる。

 11月8日(金)         「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 (米原 万里著)

  

 一九六〇年、プラハ。小学生のマリはソビエト学校で個性的な友だちに囲まれていた。男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。クラス1の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それから三十年、激動の東欧で音信が途絶えた三人を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う!大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

 



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