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自宅から程ない処に第2次大戦中の「帝国陸軍造兵廠鷹来製造所」がありました
ここは大東亜戦争が勃発する直前の昭和16年12月に民間から徴用された約26万坪の広い土地に7つの工場が建てられ、約4000人もの人が働いていたそうです
終戦間際には人手不足を補うために近傍の15歳くらいの中学生たちまでが動員されて終戦の昭和20年8月15日まで主として陸軍の九九式小銃の弾丸を生産して戦場に送
りだしていたそうです
その鷹来製造所の本部事務所として使われていた建物が今も現存し、[名城大学農学部]の事務所と今も使われております
2階建てのコンクリート造りの建屋の中央には当時としては相当大きな時計塔があります
分針、時針の2本の針を失った白い文字盤、そしてその下には帝国陸軍徽章の星印が取り外されたままの汚れた痕跡が
63年の歴史を偲ばせるようにスス黒くなって残っておりましたので写真に収めてきました
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[大時計の文字盤とその下に陸軍紋章の星]
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